おじさんの雑記帳 

「20世紀少年」の感想文そのほか 寺本匡俊 1960年生 東京在住

子供相手に人の道 人生などを説く男 (20世紀少年 第392回)

 第13巻の第10話は「ドイツの静かな町」という題名。その舞台は「ハイマートリヒト、ドイツ、2015年」とある。地理が好きなので、この作品に限らず知らない地名が出てくると、地図などで調べずにはいられないという厄介な性分です。ハイマートリヒトも調べたことがあるが挫折した。

 まず、カタカナでそのまま検索したのだが、出てきたのは私と同好の士による日本語の「20世紀少年」関連のサイトばかり。次に、恥ずかしながら文法も単語もほとんど覚えていないのだが、大学で選択した第二外国語がドイツ語だったので、大体どのようなスペリングになるか見当がつくのだが、それで検索しても地名は出てこなくて駄目だった。

 やむなく、ドイツ語のネットの地図を探し出し、スイス国境方面を綿密に調べたことがあるのだが、結局とうとう見つからなかった。真相は闇の中。これも架空の地名なのだろうか。ちなみに、私はドイツに1泊2日の旅行をしたことがあるだけなので、ドイツのことをあまり知らない。ライン川沿いにドライブして、ケルンの大聖堂に登りました。


 冒頭、入口のガラスのドアが破壊された商店の絵が出て来て、食料品のようなものが床に散乱している。一人の老人が、ボトルを手にして、ため息をついている。その隣から「だいたいが賞味期限切れだよ」と声がかかった。このマスクをしたペーターという少年と老人は知り合いだ。

 のちに老人だけ車を運転して自宅に戻っているので彼は郊外に住んでいる様子だが、ペーターは街中で暮らしているのだろうか。ともあれ、小さな町の狭い世間なので老人も少年も、後出の警察官もみんな顔見知り。二人の会話によると、そんな静かな町に暴動が発生して、このスーパーも暴徒の群れに略奪されたらしい。

 老人は少年が咳をしているのを気にかけている。「母さんのほうがもっとひどい」というペーターの返事を聞いて、さらに心配そうな表情を浮かべた。この町でも、風邪のような症状のあとで死に至る病が猖獗を極めたのだろう。病院は順番待ちで、丸一日待っても受診できないそうだ。マスクの効き目も定かではない。「ポップさんはマスクしないの?」とペーターに訊かれて、老人はヒゲが蒸れるんだよと微笑んだ。


 ハイカラとバンカラという表現は明治期からあるのだが、すでに私が子供のころには古き言葉となって、日常ほとんど使われなくなっていたように思う。あえて換言すれば前者は洋風、後者は和風の蛮風か。もっとも、大和和紀ちゃんの「はいからさんが通る」と、かまやつひろしの「我が良き友よ」のおかげで、私と同年代の人の多くはこれらの言葉をご記憶のことと思う。

 ムッシュかまやつは、ご本人がどう思っているか知らないが、私のイメージではハイカラさんそのものである。今でも彼が遠い昔、ステージの上でベルボトムジーンズをはき、客席にVサインをして「ピース」と言っていた姿を覚えている。吉田拓郎が作詞作曲した「我が良き友よ」の提供を受けたとき、「この俺に、この歌かよ」という旨の感想を抱いたとムッシュがインタビューに答えていたのを記憶している。

 拓郎の挑戦状を、かまやつさんは受けて立った。おかげで私たちは、今もこのバンカラ・ソングを聴くことができる。私の特に好きな歌詞は4番の「家庭教師の柄じゃない 金のためだと言いながら 子供相手に人の道 人生などを説く男」という一節です。


 ポップさんとペーターは二人して商品を載せたカートを転がしながらカウンターまで来た。ポップさんがお金を置く。現実の世界ではユーロがこれからどうなるか分からないが、この紙幣には「EURO」と印刷されているのが見える。「お金、払うの? 店員なんかいないよ」とペーターが言う。ダニーは目の前に蕎麦の代金を払う相手がいたのだが、ここは無人なのだ。

 「それが人の道ってもんだ」とポップさんはペーターに説いた。ペーターも払った。「いい子だ」と老人は少年の肩を抱く。いつの日か、オッチョとケンヂのこんな姿を見る日も来るだろう。そして同じころ、北海道で一人、DJをやっているコンチも、同じように人の道を歩みつつ、コーラの代金を払っていた。



(この稿おわり)




日本銀行本店。ともだち暦3年、日本の通貨は「友路」(ゆうろ)になっているが、日銀は生き延びたのだろうか?
(2012年6月10日撮影)
















































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