おじさんの雑記帳 

「20世紀少年」の感想文そのほか 寺本匡俊 1960年生 東京在住

気になってしかたないのに  (20世紀少年 第342回)

 そろそろ第12巻に戻ろう。74ページ目上段のオッチョ少年は、ビールスをまき散らすという案を山根に自慢されて、「ギョロ目のオッチョ」の眼を大きく見開いている。アイデア・マンは、自分だけではなかったのだ。ちょっとショックだったか。彼にしては珍しくどもりながら、「が、学級委員会、始まるぞ」と振り切って歩き出した。

 その背中に向けて、山根は「よげんの書」よりも、もっとすごいもの、すなわち「しんよげんの書」を作ったんだと言った。英文法的にいうと、現在完了形です。本当だとしたら、「しんよげんの書」は「よげんの書」よりも先に出来上がっていたことになる。


 さらに山根からは、もっと詳しく知りたいなら図書館においでよというお誘いまであった。図書館には山根達が「秘密の連絡」に使う本があるのだという。そして、その本は「絶対、誰にも借りられずにずっとある本」であるという。

 山根は性格的、学力的にオッチョに自分と似たものを感じていたのかもしれない。言葉通り受けめとるなら、彼は落合君を仲間に引き入れたかったことになる。彼がフクベエに”絶交”された理由は、表向きは「秘密の連絡」について、あるいは、それに加えて「しんよげんの書」の存在について、オッチョに情報漏えいしたからだろうが、実際のところ、支配欲満載のフクベエに、やっかまれたのかもしれない。


 2015年、第12巻の69ページ、ショーグンと角田氏が辿りついた山根の実家住所には家屋などなくて、駐車場になっていた。今や東京にも至ることろにある都市型の無人駐車場。かつて営業担当のヨシツネが、「4と千」を間違って発注し996個の余剰在庫を抱えてしまい、死にたいとケンヂにぼやきながら座り込んでいたような駐車場。

 角田氏は早くもあきらめムードだが、ショーグンは違った。「学校へ行くんだ」と血相を変えている。大変なことを思い出したからだという。それに続いて落合君と山根君の廊下での会話シーンが始まるのだが、ここで「大変なこと」とは二つあるだろう。


 その一つは、山根たちが「しんよげんの書」を作ったといったことを思い出したということだ。ショーグンはすでに「しんよげんの書」の存在を知っている。第9巻の最後、ヘリで逃亡しようとする旧ムショ仲間の13番に、「しんよげんの書」の現物らしきものを見せられ、その名称も教わった。間違いはなかった。山根はやはり、”ともだち”側の人物だったのだ。しかも古くからの。

 もう一つが、「秘密の連絡」すなわち、図書館にあるはずの絶対、貸出されない本の存在である。山根の実家が消失し、彼の行方を捜しようがなくなった今、手元に残された唯一の手がかりは、この本に仕込まれているかもしれない秘密の情報しかないとショーグンは判断したのだろう。


 学校に向かう道すがら、彼は漫画家に小学校の廊下で山根から聞いた話を伝えている。そして、そのときオッチョ少年は秘密の連絡に使う本など気にもかけなかった、いや、気にかけないふりをしたんだと正直に話している。

 実際は、「気になってしかたないのに、無視しようとした」のだ。しかし、実際には山根から教わった細菌兵器案を、さも自分が考えたようにケンヂたちに伝えたと言っている。


 後にケンヂは、忘れられないのに忘れようとしたことに悩まされることになる。オッチョも別件で同じようなことを感じていたらしい。ケンヂは、自分ひとりで書いたわけでもないはずの「よげんの書」が招いた災厄について、自責の念から逃れることができない。オッチョも、もしかしたら細菌兵器の提案などしなければ、こうはならなかったと思っているのかもしれない。

 全部のセリフをチェックした訳ではないが、ケンヂは「俺のせいで」と言って苦しみ、オッチョは「俺達の考えたことが」と表現して、責任の一旦を担おうとする。いずれにせよ、この二人が最後の最後に、国連の表彰式を固辞した理由の一つは、このあたりの心境にあるのかもしれない。


 ともあれ今は、後悔している場合ではない。2015年は始まってしまっているのだ。神様が見た西暦が終わるという予知夢を、オッチョが聞き及んでいたかどうかは分からないが、アフリカでまたしても全身から失血する感染症が流行し始めたのは当然、知っているに違いない。緊急事態である。その足で二人は学校に向かった。元旦もすでに夕暮れ時を迎えている。


(この稿おわり)



アヤメの紫の美しさよ(芦花公園そばにて、2012年4月21日撮影)