おじさんの雑記帳 

「20世紀少年」の感想文そのほか 寺本匡俊 1960年生 東京在住

さらばモンちゃん   (20世紀少年 第308回)

 前にも書いたのだが、私は連載中の「20世紀少年」を一回も読んでいない。理由は二つあって、一つは連載開始時にカンボジアという、当時、日本の情報がほとんど届かない所に住んでいたこと。もう一つは、ビッグ・コミックビッグ・コミック・オリジナルは、もう30年近く読んでいるのだが(海外駐在中を除いて)、スピリッツはあまり読んだことがないから。好みの問題。

 今年の4月5日号から、オリジナルでは「MASTER キートン」が、「Re マスター」という副題付きで連載再開という嬉しい出来事があった。キートン先生、少しやせたかな。連載第1回には、巧みに棒術を操る修道女(?)たちが出て来て、主人公から「タック和尚も真っ青」だと評価されている。


 かつて、私はショーグンの棒術を、水滸伝の豹子頭林冲になぞらえたのだが、作者の参考文献は「アイヴァンホー」だったのだろうか。ロビン・フッドの名前なら、T-REXの「20TH CENTURY BOY」にも出てくる。私も小学校のころは、ロビン・フッドの物語が好きだったなあ。チビ・ジョンのファンでした。

 なお、マスター・キートンの再連載には、長崎尚志/ストーリーというクレジットが出ている。ついでに、ビッグ・コミックで連載中の「憂国のラスプーチン」という異色の漫画も、脚本に「漫画界のイワン大帝」こと長崎先尚志さんの名がある。多彩多芸のお方なのであろう。なお、同姓同名が第1巻150ページの、”ともだち”の”絶交”候補者リストに載っている。


 さて。第11巻の86ページに戻る。サダキヨから手ごたえのある”ともだち”情報を収集することに成功し、また、血の大みそかのケンヂの言動も思い起こして、モンちゃんは久々の逆転トライを決めるべく、全身全霊で走るときが来たと考えたのだろう。「俺は今、一日でも長く行きたい」と上を向いて歩きながら語った。この世で彼が口にした最後の言葉になった。

 心気横溢のモンちゃんは、先ほどから一緒に歩いているサダキヨが、彼の横に並ばず後ろから付いてくることに注意が向かなかったらしい。サダキヨは、そのころ鈍器を拾い、高々と持ち上げていたのだ。せめてもの救いは、モンちゃんが病魔と闘いながら続けてきた調査が実ったあとだったこと、彼が苦しまずに世を去ったことか...。


 サダキヨは、モンちゃんが左胸のポケットに入れていたメモを引き出した。それは、サダキヨの血塗られた手により、モンちゃんの鮮血に染まった。サダキヨは、自分の仕事を「まっとうした」ことを電話連絡してから現場を去る。「僕はいい者だ」と繰り返しながら歩く後ろ姿が、天地逆さに描かれている絵が印象的。

 サダキヨがモンちゃんの亡骸からメモを奪い取ったのは、彼の立場からすれば分からないでもない。ここまで喋ったことが”ともだち”関係者に知れたら命がない。しかし、ではなぜその後、12年間もそのまま捨てずにいたのだろう。保存も下手で、ほとんど読めなくなってしまっても、なぜ手元に置き続けていたのだろうか。


 仮に、”ともだち”情報を他者に伝えるための手段が必要ならば、自分で書くなり話すなりすれば良い。12年を経れば追加情報もあろう。モンちゃんメモを手放せなかったのは、そういう実用的な理由によるのではないだろう。サダキヨはきっと、何度もこのメモを読み返し、眺め続けては、これでいいのか、あれで良かったのかと迷い続けたに相違ない。

 だが、どれだけモンちゃん殺しで悩んだとしても、同情の余地はない。その2年前の血の大みそかの時点でも、彼は”ともだち”の友達のままだったのだから、キリコや山根が陥ったような深刻な反省や恐怖があってもよかろうに、その気配は全くない。それに、彼の苦悩は、”ともだち”が自分に対して、どういう仕打ちをしたのかという一対一の人間関係から生ずる疑念や怨念から、一歩も外に出ていない。


 モンちゃんメモは、書いた人が急死し、手に入れた男が仕舞い込んだがために、日の目を見ることなく12年の歳月をいたずらに過ごした。しかし、繰り返すが、おそらくサダキヨは何度もこのメモを取り出しては、僕はいい者か悪者かと答えの出ない思案に暮れたことだろう。そんなふうに長い時間をかけて、ようやく彼も行動を起こす気持ちになった。

 モンちゃん最期の日は、小学生が夏休みの宿題に苦しむ季節だから、8月の終わりごろだろう。第9巻でユキジがモンちゃんの墓参りをする日は、モンちゃんの「命日」なのだが、どうみてもユキジも、墓参りの直後に会う市原弁護士も真冬の服装。モンちゃんが生死不明のままで墓が立つとは思えないので、この命日はどういうふうに決まったのだろうという疑問を残したままだった。


 ユキジが選んだのかとも考えてみた。モンちゃんとユキジにとって、一番大切な日となれば、大みそかだろう。しかし、この墓参りの日は、カンナが歌舞伎町教会で決起する日である。桃源ホームの夜を経て、ユキジとカンナが、ヨシツネとコイズミに合流してから数日後に、カンナはオデオン座を訪問し(第8話にそう書いてある)、そのあとで街頭テレビの紅白歌合戦を見ている。

 したがって、モンちゃんの「命日」は12月31日ではなくて、もっと前だ。あるいは、ユキジが彼の訃報に接した日なのかもしれない。願わくば、そのお墓の中に彼の遺骨が納められていますように。テニアンで戦死した私の伯父は、遺骨も遺品もない。ともあれ、モンちゃんは遺品をのこした。それはサダキヨの手を離れようとしている。


(この稿おわり)


ご近所の花壇も花盛り。春の心が伝わるならば♪(2012年3月25日撮影)


散歩中の桜(2012年4月3日撮影)