「20世紀少年」第10巻第2話のタイトルは「クロスロード」。英単語の「crossroad」は、うちの辞書によると、単数では横道、脇道といった意味で、大通りに交差する狭い道のことを指す。複数で「crossroads」となると、十字路を意味する。第2話には、三つの十字路が出てくる。
一つは、アメリカのブルース・ギタリスト&シンガーのロバート・ジョンソンが十字路で悪魔に魂を売り、それと引き換えに「誰も聴いたことのないような音楽を手に入れた」というケンヂの独白。二つ目は、絵はないが、エロイム・エッサイムズのリード・ギタリストが、西日暮里の十字路で同じような経験をしたという話。三つ目は、都立新大久保高校の校舎内の十字路で、遠藤カンナと小泉響子が初めて言葉を交わす場面。
ロバート・ジョンソンは手元にあるCDの解説によると、ミシシッピ州出身の黒人男性。1911年生まれとあるから、去年が生誕100周年記念だったのだ。ケンヂの説明どおり27歳の若さでこの世を去っている。解説書に写真が載っている死亡証明書には26歳と書かれているが、1911年5月生まれで、死亡は1938年8月だからケンヂが正しい。ただし、解説によると死因は毒殺ではなく、肺炎になっている。
この解説書は全文、英語で書かれているので(CDは made in the EU)、以下の引用は拙い私訳でご勘弁願います。解説はその冒頭で、「ブルースのみならず、ロック、フォーク、R&Bその他のポピュラー音楽は、彼の影響下でその活力を得た」と断言している。本当か? では、この解説書に引用されているミュージシャンたちの言葉を聴こう。
ジョンソンの録音は1930年代の発表以降、しばらく世間からほとんど忘れられていたらしいが、1961年と1970年に再リリースされて話題を呼んだらしい。その1970年に25歳になっていたエリック・クラプトンのコメントより。「25歳のとき以来、俺はロバート・ジョンソンを知らない奴とは口をきこうと思わなくなった」。激しい。
次。ジミー・ペイジ。「ロバート・ジョンソンの音楽は、百万ものリフを生み出した。ロバート・ジョンソンは、百万もの夢を育んだ」。素朴で良いな。カルロス・サンタナは宗教がかっている。「神とは、ロバート・ジョンソンの音楽における至高の勝利である」。
ジョン・メレンキャンプは愛国者であった。「British Invasion(ビートルズやストーンズのアメリカ上陸のこと)と呼ばれたニキビ面の小僧が束になって担いできた素敵な何か、それは、ずっとこの地にあったのだ。ロバート・ジョンソン、そして彼のブルースだ」。
さすがは詩人のボブ・ディラン。「最初の音を耳にしたその時、ラウド・スピーカーから伝わってくる振動に私は総毛立った。音楽には、彼と彼以外のすべてという違いしかないということを知り得た瞬間だった」。
最後に、こういう評価もある。「ロバート・ジョンソンは、ただ一人のオーケストラのようなものです。彼の最高級の作品のうち幾つかは、バッハの作品の構成に類似しています。閃光を放つインスピレーションの炸裂...」。意外と言っては失礼かもしれませんが、キース・リチャードの賛辞である。
キースはローリング・ストーンズで、「Love in Vain」をカバーしている。クロスロードはエリック・クラプトンがクリーム時代にもソロでもカバーしている。
これらを見る限り、ヴォーカルよりもギタリストに与えた影響が大きいようだ。肝心の演奏振りであるが、ブルースそのものなので、アップテンポの明るいロックが好きな人には、あまりお勧めできないと思う。また、何せ1930年代の録音なので、デジタル・サウンドしか知らない世代には聴き辛いかもしれない。
魂と引き換えに音楽をというファウスト的なお話しは、言い伝えとしてあるらしいが、真偽のほどは定かでない。彼の代表作「クロス・ロード・ブルース」の歌詞は神に救いを求めており、悪魔は出て来ない。本人は背が低く痩せていて、穏やかな人柄であったらしい。旅が好きで、ともだち暦3年のケンヂのように歌いながら旅した。
解説書には2枚の彼の写真が載っている。一枚は帽子とジャケットを着用(第10巻の絵と同じ服装)、もう一枚は煙草を咥え、いずれも旅芸人らしく、アコースティック・ギターを抱えている。短い生涯で、わずか2回しか録音のセッションをしていない。29曲が残った。この財産によりロックが誕生したとケンヂは語っている。
(この稿おわり)