おじさんの雑記帳 

「20世紀少年」の感想文そのほか 寺本匡俊 1960年生 東京在住

アトラクションの攻略法     (20世紀少年 第242回)

 第8巻の133ページ目に、”ともだち”に「とりこまれた男」のことをヨシツネが語るシーンがある。「コイズミと同じようなケース」で、攻略法を教えた男の子だったらしい。コイズミと同じようなケースとは、すなわち、研修の途中で逃げ出してきたのを、ヨシツネが仲間に引き入れたということだろう。

 その少年は、部屋中の壁に「たすけて」と書いて逃げたらしい。その一つを清掃係のヨシツネが消し洩らし、同じ部屋に宿泊したコイズミが見つけた。さらに、少年はベッドのシーツで作った大きなテルテル坊主と、紙に手書きで「ともだちとあった あそんだ」という不可解なメッセージを残した。これを解くカギを探すのがコイズミの使命である。


 ところで、ヨシツネによると、攻略法は教えるが、それより大事なのは、コイズミの精神力であるという。彼女はのちに第8話において、アトラクション内で悪戦苦闘しながら「あたし、その精神力みたいなものに、一番、縁遠いのよね」とつぶやいている。

 一般に精神力というと、われわれが持つイメージは、忍耐、克己心、集中力、たゆまぬ努力、行くが男のど根性といった感じの、日本人の美徳とされる勤勉さや規律性を支える心の強さだろうかと思う。それはそれで確かにそのとおりなのだが、それだけではあるまい。


 身体能力に例えれば、持久力と瞬発力は別のものである。陸上が典型だが、マラソンと100メートル走に求められる資質は大きく異なる。球技でもレギュラー、先発組には持久力が重要だし、他方、代打やスーパーサブには瞬発力が大切であろう。その両者を適度に組み合せて持つものが適しているポジションもあるに違いない。

 精神力にも、先ほどの我慢や努力のできる力がある一方で、瞬発力的な精神力というものを考えて良い。例えば、即座に適切な判断を下す能力であったり、意志したことを瞬時に行動に移せる力であったり、環境変化に対して臨機応変に対応できる柔軟さであったり。


 また、ヨシツネは攻略法の伝授にあたり、コイズミに対して「途中、いろいろな誘惑や質問がある。その時は、深く考えるな。素直なフリをして、表面上、奴らに委ねるんだ」とも語っている。つまり、「あれこれ考え込まない能力」というものもあるならば、それもコイズミに求められた精神力に含まれる。注意力散漫性とでも言うか。

 果たして研修後半、アトラクション挑戦を再開したコイズミは、禅の悟りの境地のごとく、おしよせる雑念を受け流し、あるいは、エロイムエッサイムのテーマを念仏のごとく唱えながら煩悩を退けつつ、快進撃を見せて高須を感涙にむせばせ、最後に苦手なシューティング・アトラクションではケンヂ一派を全員射殺してオール・クリア、がんばり過ぎて、見事3位。


 しかし、疲労困憊のコイズミに対し、レレレのおじさんとして近づいたヨシツネは、今更それはないだろうと思うのだが、「ひとつだけ言い忘れたことがある」と言い出した。かつて、これからコイズミが入るボーナス・ステージが行われた部屋の掃除を命じられたとき、床にはおびただしい量の血が広がっていたそうだ。

 もうコイズミは後にも引けないし、他の選択肢もない。持ち前のコイズミ的「精神力」で、無事、戻ってくるしかない。高須が語る「栄えある貴重な体験。素晴らしい世界」を満喫してこなければならないときがきた。自由研究を完成させなければ落第のおそれもあるが、それどころではない死地に自ら足を踏み入れる破目になった。


(この稿おわり)


今年の正月、東京は好天でした。もう2月か。(2012年1月3日撮影)