第7巻の37ページ目、トンネルの崩落個所がここだけなら、外に出られるかもしれないとショーグンは云う。トンネルよりも下にある避難経路まで降りて、崩落地点の下を抜け、再度その先のトンネルに上がることができるかもしれない。ショーグンは角田氏に懐中電灯で照らす役割を申しつけて潜っていく。
ここで待ってろ、5分たったら戻ってくると言い残していったのだが、角田氏が何分待っても返らない。そこで漫画家は、救出に向かう。本当は5分たっていないのかもしれないが、そんな場合ではないと判断したものである。これでショーグンを救助したら、大英雄になっただろう。ところが彼は水中で、長ズボンの先を非常口の扉に引っ掛けてしまい、身動きが取れなくなった。
ここで溺れかけた角田氏が、臨死体験のごとく思い出したのは、初めて常盤荘の前に立ったときの自らの姿であり、「やあ、よく来たね、角田氏。僕が宝塚だ。よろしく」と挨拶する宝塚先生であり、氏子氏と金子氏との「みんなで面白い漫画を描こう」という誓いであった。
常盤荘の一室で、開明墨汁を使って漫画を描いている角田氏がいる。ジャージ姿の氏子氏と金子氏も働いている。同じ部屋で背中を見せてベレー帽をかぶっている宝塚先生は、その名、常盤荘、この鼻の形からして、どうみても宝塚出身の手塚治虫がモデルであろう。
私は浦沢直樹さんが手塚治虫に、どのような影響を受けたのか全く知らない。「20世紀少年」に出て来る手塚作品というと、「W3」ぐらいしか思い出せない。しかし、第7巻40ページ中段のわずか1枚の絵で充分であろう。これは、プロフェッショナルが敬意を込めてプロフェッショナルを描いた肖像でなくて何であろうか。
手塚治虫の生涯や作品群についての膨大な情報は至るところにあるから、一々ここで触れることもない。例によって私にとっての手塚治虫を語るのみだ。物ごころついたときには、世の中に彼のマンガやアニメがあふれていた。ただし、私は主にアニメで、「鉄腕アトム」や「ジャングル大帝」を観つつ、不遜にも、手塚治虫は幼い子供向けだけの漫画家だと、自分も幼いくせに思っていたのを覚えている。
多少、観方が変ってきたのは、同世代の男なら分かってくれると思うが、「やけっぱちのマリア」と「不思議なメルモ」のころから。そして、週刊チャンピオンに「ブラック・ジャック」の連載が始まった。この作品で初めて知ったのだが、手塚さんは医学博士である。
本人がどこかで書いていたが、「血を見るのが嫌で医者を諦めた」らしい。これと同じ理由で、チャールズ・ダーウィンが医者になるのを止めて学者になっている。人間、何が幸いするか分からないものだ。それより重要なのは、大学時代、病院で人が何人も死んでいくのをみて、命のこと死のことを考えるようになったと彼が語っていたことである。
手塚治虫は命の作家、ヒューマニズムの漫画家とよく言われるかと思うが、命といっても、彼のメイン・テーマは、むむしろ「生」ではなくて「死」だったのではないか。文庫本「ブッダ」のあとがきで、アルフィーの誰かが書いていたが、手塚漫画の主人公格は往々にして、物語の冒頭や中盤ですぐに死んでしまう。手塚ワールドでは、最後まで生き残るのも大変なのだ。
この指摘は正しい。しかし、それだけではない。一般に重要な登場人物は、漫画でも映画でも小説でも、普通はそれなりの経緯と盛り上がりを見せつつ劇的に死んでいくものだが、手塚漫画の場合は、ほぼ即死。医学の進歩と平和な時代のおかげで、われわれの周囲では今、人はゆっくり、じっくり死んでいくことが増えたが、一昔前はあっさり、ひっそりと死んでいったのだ。この生死のあっけなさが手塚漫画には描かれている。
私にとって最も衝撃的だった手塚作品は、高校2年で級友に借りて読んだ「火の鳥」の「宇宙編」である。「火の鳥」でも次々と人が死ぬばかりか、死ぬにも死ねないというもっと恐ろしい運命を背負ったものまで出てくる。特に大人向けの手塚作品のテーマは重い。浦沢作品のテーマは後年ほど重い。「20世紀少年」も段々と重くなってくる。
ところで、幸い、角田氏は戻ってきたショーグンに救われて、反対側の水面に浮上した。「待っていろと言っただろう」とショーグンは叱りつけているのだが、貴兄を助けにきたのだぞ、失敗したけれど。漫画家が「ぼくにも信念がある」と叫んでいる。信念。大脱走トンネルの流行語大賞だな。
(この稿おわり)
わが家の日の出(2011年12月13日撮影)