おじさんの雑記帳 

「20世紀少年」の感想文そのほか 寺本匡俊 1960年生 東京在住

辛酸  (第1928回)

 前回はウィキペディアの注意点に触れましたが、アマゾン社の「カスタマー・レビュー」も、酷いのが少なくない。本当に本好きで買って読んだのか(カスタマーなのか)、あるいは、レビューというより単なる悪口雑言なのではないか、というのをよく見る。

 私に言わせば、アマゾンは単なる流通業者だから、便利ではあるが、自社サイトにこういう書き込みがあっても、てんで平気なのだ。それでも著者、出版社、本屋さんにとっては、営業妨害です。もっとも私は、アマゾンで「☆一つ」が少なくない本に興味を持ち、よく他の本屋で買い求める。何事も何事かの役に立つ。


 これを書いている現時点で、前回予告編を出した城山三郎著「男子の本懐」にも、☆一つが二件あり、両方とも城山は経済を知らないと書いている。それを書けるほどの経済通なら、城山以上に売れるのは間違いないから、そんなもの書いてないで作家になれば宜しい。

 第一、「男子の本懐」は経済小説とは言えない。それに、私自身、大学は経済学部で日本近代経済史を専攻し、担当教官の主な研究対象は幕末から太平洋戦争までであった。城山さんの小説にはこの時期のものが多く、その博識と問題意識の鋭さには頭が下がる。過去の軍縮に、びびって怒っているような連中の出番ではない。


 さて、悪口雑言はこの辺で止めておいて、今回は同じく城山三郎著「辛酸」について触れたい。憲法についてのブログですので、主にその観点から書きます。とはいっても、作品のメインテーマが憲法とは言い難いため、まず副題を示すと「田中正造足尾鉱毒事件」となっている。

 この小説を書いたときの城山三郎は三十四歳だったというから、その若さに驚く。書いたのは1961年で、私が生まれた翌年であり、解説によればまだ「公害」という言葉は、あまり知られていなかったらしい。今の日本の安心安全の基本は、この公害対策も寄与するところ大だ。本当に海も空も川も、汚されっぱなしだった。


 しかし、すでに公害そのものは、言葉の誕生を待たずして始まっており、環境破壊や薬害からくる深刻な健康被害等が、各地で続出していた時代です。私の一年上の年代が、サリドマイドの最大の被害者だった。物心ついたときには、四大公害病が大騒ぎになっていた。

 数年前、天草に旅行して船を借り、コウイカの釣りをしたときに、この辺もようやく好きに釣りができるようになったと、年配の船頭さんが嬉しそうに語っていたのを思い出す。水俣病水俣の方々だけが苦しんだのではない。


 こういう公害の端緒とも言うべき、すなわち産業革命の副作用が大きく酷い形で早くも表出したのが、副題にもある足尾銅山鉱毒事件だった。司馬遼太郎坂の上の雲」は明治時代の明るい側面を描いた作品だが、司馬さん自身、「あとがき」で同時に足尾鉱山や女工哀史があったことに触れている。

 副題に並んで登場する田中正造は、国会議員を務めた力量のある政治家だったが、この公害に苦しむ地元民の救済に後半生を捧げた。その事業そのものは、彼が途中で病死したうえに、失敗した。だが後世になり、人々の営みは、それに続いたのだ。


 鉱毒事件と田中正造については、詳しく書かれた書籍が多々あるので、ここでそれを書き写したりするのは避ける。それでも、テーマとして採りあげたのは、先述のように憲法という言葉が何か所かに出てくる作品でもあるからだ。

 明治時代だから、もちろん大日本帝国憲法のことです。現在もネットに堂々と貼られている自由民主党憲法改正草案は、ここでも何度かその問題点と考える部分を指摘してきたし、これからも先方が引っ込めない限り、私も止めない。


 議論を呼んでいる部分は、例えば国防軍を持つこと、天皇を元首とすること、国民の自由や権利を削減すること(この政党名は変えたらどうだろう)などであり、これらが明治憲法と類似していることから、戦前に逆戻りしたがっているとの批判も多く、中にはまるで大日本帝国憲法が悪者のようにいう人もいる。

 そんな簡単なものではない。明治憲法には「兵役の義務」だの「統帥権」だの「神聖にして侵すべからず」だの、後に悪用されて大戦争を招いた規定や文言が確かにある。これらを元に戻すのは、もちろん私も反対します。


 しかし明治の人たちにとってみると、本当に邪魔もの以外の何物でもなかったのか、ということを考えさせられるのが、この「辛酸」における田中正造の力強い主張に在る。急いで西洋民主主義を取入れた挙句に、併せて帝国主義の権力構造や軍事まで持ち込んだわけだが、近代憲法が初めてできたというのは大きい。

 それまで血筋や武力で押し付けられてきた我らと同じ下々が、初めて国づくりに参加できる時代になった。それも国会が定めた憲法という法規に明文化された。田中正造も、また、その言葉を借りて城山三郎も、憲法をないがしろにする国家権力やその手先たる地方行政に反旗を翻す。


 例えば、国の政治から退き、足尾銅山鉱毒に苦しみ抜いている下流地域の農民達を「憲法破壊」から守るため、今でいう控訴裁の法廷で、田中が仲間にまで心配をかけるほどの剣幕で 裁判長にこう言う。

 わしは二十余年の間、一意専心、調査してきたのに、あなたは聞こうともしない。若いくせに生意気である。それで天皇陛下の代理としての裁判ができるか。いまや国賊どもが寄ってたかって憲法を破壊し、国を滅ぼしているのがわからないのか。なぜ、この正造の言うことを聞こうとせんのか。


 いまの時代、「若いくせに生意気である」なんて言ったら法廷侮辱罪と大炎上だろうけれど、それはともかく、ここで田中は自分の意見に従えと命令しているのではなく、裁判なのだから言い分を聞いてほしいと、発言の機会を求めているのだ。裁判長はそれも拒む。弁護士まで、言い過ぎだと諭す。

 いつまで経ってもGHQの押し付けだと、何とかの一つ覚えのごとく唱えている人たちには、現憲法もまた大日本帝国憲法の延長にあり、立法手続き上もその改正であり、共通部分に良いものもあり、長年こうしてそれを護ろうとしてきた人たちがいることを少しは考えてほしい。言っても無駄だが言います。

 
 言わなくても分かっている方々も未読ならば、機会があれば是非お読みいただきたいため、ご案内申し上げました。図書館や古書屋でもきっと見つかると思います。もう一冊、図書館にもないかもしれない本を挙げます。池島信平「歴史好き」に、田中正造について書かれたエッセイがある。菊池寛の後継者にしてお弟子さん。

 池島さんによると、田中正造は敗残の床でこう漏らしたと書かれている。「政治をやっているうちに、かんじんの人民がほろんでしまった」。この二冊は、沖縄等の基地問題に関わる人にもおすすめです。以下、引用して終わり。

 
 「今日の政府は伊藤さん(博文)が出ても大隈さん(重信)が出ても、山県さん(有朋)が出ても、まあ似たようなものだと思う。何となれば、この人たちを助ける人が、皆自分の財産をつくろうとガツガツしている連中だからだ。どなたが出てもうまくいかぬ。日本はこの先、どうなるか、私にはわからない。ただバカでもよいから誰か真面目になってやったら、この国はどうにかなるかもしれぬが...。」

 歳費を辞退して、乞食のような格好をして、彼は明治三十三年の帝国議会の壇上で、こう絶叫している。この声は、いまなお、われわれの耳に新しく鳴りひびく思いがする。(十二月十八日)   池島信平「歴史好き」(中公文庫)より。



(おわり)




天草の海 早朝の釣り船
(2012年2月27日撮影)















.