おじさんの雑記帳 

「20世紀少年」の感想文そのほか 寺本匡俊 1960年生 東京在住

雑感  (第1384回)

 ひととおり日本国憲法を自分なりに読み終えて、これからは一般向けの本やサイトに目を通しながら、もう少し詳しく勉強するつもり。それを始める前に、憲法初等教育を終えた雑感をまとめる。明日は大事な総選挙ですから。

 以前、アメリカの憲法と比べてみたことがある。あちらは構成がユニークで、日本の憲法では後半にあたる統治機構のところ(三権分立や財政や地方自治)が、本文になっている。


 一方、我が憲法の第三章「国民の権利及び義務」に規定されている自由や権利については、修正条項(いわゆる権利の章典)の冒頭部分にあり、つまり後から追加されたものだ。

 権利章典が追記されたのは1791年で、すなわちフランス革命の影響によるもの。早速これを取り入れるあたり、当時の新興国の心意気を感じる。そして日本の憲法についても、同じことが言えると思う。明治のときも、昭和のときも。


 昭和憲法は、明治やアメリカの憲法の基本構造に加えて(または変えて)、前文、第一章「天皇」、第二章「戦争の放棄」が、その劈頭を飾った。これらは米国憲法にはない日本ならではのものだ(今になっても「押し付け」とばかり呼びたてる変人が少なくないが)。

 したがって、今後、この部分に追加変更をしようとする者は、この国を相当、大掛かりに変えようとしていると考えて間違いあるまい。現状追認などという穏やかなものではない。一読して思うに、憲法は違反しては(させては)ならないが、必ずしも現状と完璧に一致しなければならないものではない。

 
 その「現状」は天皇制にせよ、自衛隊にせよ、どうにも憲法だけでは説明のつかない何かです。これで何十年もやってきた。不満を持つ政党も、下手すると政権が吹っ飛ぶ時代は慎重だった。それが今は人の言うことに耳を貸さない。

 そもそも、この勉強を始めた一因は、生涯に一度は憲法の議論をしてみたいという漠然とした思いによるもので(今も過去のブログのどこかに残っている)、言葉を換えていえば、私は一字一句、憲法を変えてはならないという考えは持っていない。良くなるなら歓迎する。


 だが、改憲案のまとまった最新情報というべき自由民主党日本国憲法改正草案は、醜悪なものであると思う。これについては、今後、多くの人の見解に触れたい。この選挙には間に合わないが、国民投票までには、しっかりしないといけない。

 緊急事態の対応や、高校授業料の無償化のように、憲法に書かなくてもできると法律家や自治体が言っていることを一々、書き足すものではない。高校無償化は確かに重要な課題で賛成するが、何年も前から社会問題化しているのに、18歳19歳が選挙権を持ってから急に大声を挙げるのはなぜか。


 最近の大企業(メーカーや広告代理店など)の無残なスキャンダルの続発と、政府や報道機関の大騒ぎは何たる事態か。いま政界や財界の上のほうにいる世代は、この私と同世代から一回り上の戦後第一次ベビーブーマー(いわゆる団塊の世代の前後)までが大半だろう。

 幸か不幸か我らは、戦争も革命もクーデタも飢餓も大恐慌も経験せずに老いた世代だ。だから、よほどの苦労と努力をしないと、人の心の痛みが分からない。自分の心の痛みには耐えられない。若い方々は、こういう連中に迎合している場合なのかどうか、よく考えてください。いろんな人の意見をきいてください。




(おわり)




秋の川越にて  (2017年10月8日撮影)

































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