おじさんの雑記帳 

「20世紀少年」の感想文そのほか 寺本匡俊 1960年生 東京在住

憲法は第25条だ  (第1269回)

 もう10年くらい前、司法試験の合格を目指して勉強中の方が、意見交換の席上で、「憲法で一番大事な条文は第9条ではなく、天皇制でも政教分離でもなく、第25条だ。」と力説してみえたのを覚えている。それまで、第25条になんて書いてあるか知らなかった私にとって、新鮮なご意見であった。

 比べようがないので一番かどうかはともかく、最大級に大切な定めであることに異論はない。だから、改正草案を見つけたときも、第25条を最初に見比べた。家族に、あんまり変わってなくてよかったねと言われた。現憲法と草案を並べる。


  【現行憲法

第二十五条 すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。
二 国は、すべての生活部面について、社会福祉社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。

  【改正草案】

生存権等)
第二十五条 全て国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。
2 国は、国民生活のあらゆる側面において、社会福祉社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。


 正直言って、私はこの条項の説明に昔からよく使われる生存権という言葉があまり好きではない。そんなもの、国家に認めさせる必要もない程、当然だと思ってきたからだ。いかに平和呆けしているかも自覚している。人の命が粗雑に扱われていた時代を、直接知らないからだ。それに否応なく生存は終わる。

 しかし案の定というか、改正草案には(生存権等)という不思議な見出しがつけられ、例によって「等」とは何か説明してもらいたいが、ここではそれより、放り出したように「生存権等」ときては、如何にも「生きるくらいの権利は認めてやる」という雰囲気を感じるのは私の考え過ぎか。でも、ここまで何十回もブログを更新してきた者の率直な実感である。


 余計な見出しのせいで、何だか今の憲法にある「最低限度」という用語が、最低限度を下回っていないなら文句を言わないようにと聞こえる。ひがみか。この点は英語版の表現をみよう。表現としては、こちらのほうが気に入っている。「maintain」という動詞が、どんなに下がっても最低限度を割るなという底支えの趣旨をよく表しているように思う。

Article 25. All people shall have the right to maintain the minimum standards of wholesome and cultured living.
In all spheres of life, the State shall use its endeavors for the promotion and extension of social welfare and security, and of public health.


 ところで、私の理解が酷く間違っていなければ、戦後の憲法案はGHQと日本の間を二往復した。最初に先日引用した「GHQ草案」が示され、日本側が対案を出し、それを受けてもう一度GHQが第二案を作り、日本政府がこれを訳してGHQの了解を得てから国会に提出した。国会でも修正が入っている。これで「押し付け」とは、ずいぶん先輩を小馬鹿にしていはいまいか。

 最初の「GHQ草案」に、この第25条第1項に当たる条文は無い。くどくなるので再引用はしないが、この直前の「学問の自由」の条項の次は、福祉と教育の条になっている。第25条の第2項と第26条に似たものだ。しかし、上記のとおり、最終の英語文のほうには載っている。ということは、上記の往復のどこかで、どちらかが第25条を加えたのだ。


 勝手な想像を続けるが、おそらく日本側だろう。戦後も暫くは先回書いたようにバラックの小屋で祖父母や両親たちは暮らし、もう二度と食べたくないと言い続けたほど芋とカボチャばかりの食事を続け、闇市に行けずに裁判官が餓死した。こんな状況下、これ以上、お互い手を出すなと戦争指導者やGHQに、一言いいたかったのかもしれない。だから、第25条では用語にこだわる。

 70余年前とは日本語も、いろいろニュアンスの違いがあることは知ってのうえで、あれこれ申します。まず、最後のほうに出てくる「生活」。これは、現代では「私生活」とほぼ同義で用いられることが少なくない。


 まず、中学校で「life」の意味の一つとして、「生活」があると習った。そして今や、ワーク・ライフ・バランスなどという奇妙な言葉が普通に使われている。このスローガンは、「ワーク」と「ライフ」を別物と位置付けなければ成立しないはずだが、冗談ではない。仕事だって生活のうちだ。それも、大切なものだ。

 一生の間、一日中ほとんど働けと言っているのではない。現実にほぼ全ての人は、祖父・曽祖父が首相ではなく、生涯のほとんどを働いて(あるいは、その準備段階として勉強して)暮らす。勤労の義務なんて言われんでも仕事にいそしんでいる。英語版では、この点でも多義の「life」ではなく、「living」(生きていく)と使っていて的確だと思う。また長くなってきたので続く。





(おわり)






信州 伊那谷  (2016年10月18日撮影)











































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