おじさんの雑記帳 

「20世紀少年」の感想文そのほか 寺本匡俊 1960年生 東京在住

自衛権とは何でしょう  (第1323回)

 自分の身を自分で守る権利があるのは、個人でも組織でも変わらない。されど、実際に揉め事があったときは、それが自衛に当たるのかどうかについて、時間の余裕と必要性があれば事前に判断しなければならないし、事後には裁判等で問題になる。個人で言えば刑事法の正当防衛や緊急避難、過剰防衛といった日常的にも使われる言葉・概念が争いの対象になる。

 国家間ではどうか。よく引用される国連憲章の第51条は、「第7章 平和に対する脅威、平和の破壊及び侵略行為に関する行動」という物騒な名前の章の最後に出てくる。以下の青字がその全文。引用元は「国際連合広報センター」の和文
http://www.unic.or.jp/info/un/charter/text_japanese/


第51条 この憲章のいかなる規定も、国際連合加盟国に対して武力攻撃が発生した場合には、安全保障理事会が国際の平和及び安全の維持に必要な措置をとるまでの間、個別的又は集団的自衛の固有の権利を害するものではない。この自衛権の行使に当って加盟国がとった措置は、直ちに安全保障理事会に報告しなければならない。また、この措置は、安全保障理事会が国際の平和及び安全の維持または回復のために必要と認める行動をいつでもとるこの憲章に基く権能及び責任に対しては、いかなる影響も及ぼすものではない。


 表現は「期間限定」であり、すなわち安全保障理事会が必要な措置をとるまでの間なら、自衛権の行使は可である。しかし、早急な安保理の措置を当てにしている国は、お言葉ですが昨今あまりあるまい。少なくとも、いつどうやって措置されるか分からないのだから(なんせ国連軍は戦歴無しなのだ)、それまでは当事者が頑張らないといけないのだろう。

 条文の根幹は、「個別的又は集団的自衛の固有の権利を害するものではない。」というところ。まず、「個別的」「集団的」「自衛・自衛権」の定義は前後にも見当たらない。大筋の意味は共有できるのだろうが、あとは加盟国ごとに決めるしかないはすだ。それも時代と共に変わる。


 なお、上記の引用部分のうち、「権利を害するものではない」という修辞は、同様の例を後日話題にするが、いわば消極的に認めているだけだと思う。つまり、個別的自衛権あるいは集団的自衛権を持つと決めている国の権利行使は邪魔はしないという意味であり、あくまで表記上は、この二種の自衛権を持たないといけないという強制ではないと思っていました。


 しかし、「固有の」(inherent)権利と言っているため、国連はあらゆる加盟国が個別的・集団的自衛権を持つことを前提にしているという主張をよく耳にする。むしろ重要なのは前出の「安保理の出番まで」とか、上記に続く「この自衛権の行使にあたって」などの付帯条件だ。ある程度までは、加盟国の自衛の権利を認めるし、行使も認める。

 ただし、憲章で国連の定める範囲内でということだ。無制限ではない。「集団的自衛権国連憲章で規定されている」と単純に語る人は注意したほうがいい。「自衛権を持たない」「持っていても行使しない」という選択肢は、特に集団的のほうは、理屈の上ではあり得るはずだ。

 実際、歴代政権の説明および変節する前の内閣法制局は、「集団的自衛権は持っているが、行使しない」という解釈だっただずだ。国連が個別的と集団的の両者とも固有の権利と認めるのは、他の国が守ってくれる保障も、単独で自衛できる保障もないからだ。でも、日本国民は現憲法において、その行使(行くところまでいけば戦争)を放棄している。


 再確認。長年わが国は政府見解として、集団的自衛権の行使は憲法上、認められないと明言してきた。個人的な意見としては、政府の見解に反するが、憲法により行使が禁止されている権利などは無意味ではないか。無いに等しい。今になって「国際法は常に憲法に優先する」という論者も出てきたが、注意したほうがいい。中国には言った方が良さそうだが。

 他方で言うまでもなく、日本では個別的自由権の解釈には変遷があり、私が生まれたときには既に自衛隊があって(むこうが6歳年上です)、すでに個別的自衛権を持ち、制限付きで行使できる国になっていた。終戦から個別まで約10年、そのあと集団まで50年以上を経ている。


 改めて、自衛権とは何か。わが自衛隊は英語で「Japan Self-Defense Forces」という。フォースは多義で、単なる力でもあるし(自衛隊の自衛「力」はこれだろう)、他方で通常、空軍がエア・フォースと呼ばれるように、軍隊の意味もある。日本国憲法を知らない外国人が、自衛隊の規模や能力を目の当たりにすれば軍だと思うだろう。アメリカ軍と合同の訓練もしているのだし。

 そのアメリカ軍は、「United States Armed Forces」。この「armed」が付けば立派な軍隊・戦力という意味なのだろうか。憲法改正が実現したら、また英語版も作ってほしい。自主的に作れば問題ないでしょう。他国に勝手に翻訳されるより、その方がいいはずだ。


 アメリカ軍の上位組織は、国防総省といい、前回ご登場いただいた国防長官がそのトップ。英語で「United States Department of Defense」と書く。何度、見直しても「defense」である。アメリカの数多くの戦争や、ビンラディンの処刑などは、すべて国家の防衛のためである。西洋の諺にいわく、攻撃は最大の防御なり。

 サッカーのチームに例えれば、アメリカ軍は全選手がディフェンダーであり、試合開始とともに、全員そろって敵陣に入り攻撃に移る。こういう戦闘集団と、これから集団的自衛権のお付き合いをすることになるのだろうか。かくして米国は、今回のリオが初めてではないが、テロ防止のためオリンピックの選手村に星条旗を掲げることができない。


 ところで日本は個別的自衛権も、自衛隊も持っている。では、いかなる場合に、この権利を行使できるのか。防衛省などの諸資料に出てくる「自衛権発動の三要件」というのがある。過去においては、次の?から?までの三条件を、すべて満たしてしまったときのみ、「実力」を行使できるということになっていた。幸い、この「防衛出動」は私の知る限り実績はない。

 そして、この範囲でならば、現行憲法第9条の「交戦権」には該当しないという解釈に拠ってきた。子供のころから何度も聞いてきた「専守防衛」というのは、主にこの?に注目したもので、こちらからは手を出さず、我が国に深刻な危害を加えて来た相手にのみ、あくまで最初のパンチを受けてから、撃退するために打ち返すというものという理解です。

  ? 我が国に対する急迫不正の侵害があること
  ? これを排除するために他の適当な手段がないこと
  ? 必要最小限度の実力行使にとどまるべきこと


 この三要件は、今や一部が修正されて、その新たな要件(「新三要件」というらしい)の内容は、前回引用した防衛白書にも載っているように、集団的自衛権を組み込んでいる。

? わが国に対する武力攻撃が発生したこと、またはわが国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生し、これによりわが国の存立が脅かされ、国民の生命、自由および幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険があること
? これを排除し、わが国の存立を全うし、国民を守るために他に適当な手段がないこと
? 必要最小限度の実力行使にとどまるべきこと

 上記の?が長文になった主な理由は、(1)守るべき国が日本だけではなく、「わが国と密接な関係にある他国」も加わったこと、(2)ただし、この他国に対し「武力攻撃が発生し、これによりわが国の存立が脅かされ」た場合に限ること、(3)憲法で保障された「国民の生命、自由および幸福追求の権利」を「明白な危機」から守るのが目的であることが加わったためで、これが集団的自衛権の概念を形成する。

 現行憲法では「国民を守る」と言わないと、物事が進まないのだ。これと比べて改正草案がどういう表現になっているかは、後日改めて検討します。さて、上記に戻って(1)の親密な他国とは、現時点で誰も異存がないのは、二国間の安全保障条約を締結しているディフェンダー国家アメリカである。他には見当たらないような感じがする。軍事同盟がないのは憲法上、本来、当然だから(つまり安保は例外)、仕方がない。

 なお、?にある「明白な危険」というのは司法用語で、アメリカの違憲審査基準である「明白かつ現在の危険(clear and present danger)」から来ているものだと思う。トム・クランシーの傑作、「今そこにある危機」と英語では同じ。?は旧よりも新のほうが、厳しい事態を想定しているようです。文面上は。

 
 よって運用する上で重要なのは、明白な危険により我が国の存立が脅かされるかどうかの判断だろう。毎回、ホルムズ海峡に出張なんてことになったら大変だ。前回、安全保障に外交と通商が不可欠と申し上げたのは、ここに直接かかわる。例えば石油燃料の輸入先が、中東諸国に偏り過ぎていると、シー・レーンがどうのこうのという議論になり、何が起きても存亡の危機になってしまう。

 念のため、以上はあくまで現在の「自衛隊時代」における自衛権の発動要件である。もしも、改正草案にあるような軍隊を持つことになった場合は、自衛権の範囲が第9条の改訂にともない、ずっと広がることになる。というよりも、認めてこなかった交戦権に相当するものになるはずで、つまりアメリカ的になりそうだ。敵地に土足で踏み込める。ICBMを持てる。


 やるからには戦争には勝たなければならない。角さんのいうとおり、負けたときの損失は、人命・財産・領土から名誉・賠償金・後遺症に至るまで甚大で「怖い」。あれほど金をつぎ込んだ国連においてさえも、いまだに日本は敵性国らしいではないか。今度はアメリカがいるから大丈夫だろうか。繰り返す。集団的自衛権の行使の要件は、文面上とはいえ政府の公式見解によれば、アメリカ等が危機に瀕したときではなく、日本が本当に危なくなったときだけだ。白村江のように。

 最近何かとニュースを提供してくる中国は、日本と並んでアメリカの国債保有国の両横綱であり、日米中はEUも含めて、世界的な経済拠点でもある。東アジアで、アメリカが大戦争をするだろうか。押し付けられているのは変えようと思えば変えられた憲法というより、米国債と軍事協力要請のほうが深刻ではないのだろうか。誰の言うことを信じて良いのか、全く見当もつきません。




(おわり)






夏色  (2016年8月2日撮影)