おじさんの雑記帳 

「20世紀少年」の感想文そのほか 寺本匡俊 1960年生 東京在住

英語の第9条  (第1314回)

 これまで私が「英語版の憲法」などと称して利用してきた資料は、首相官邸のインターネット・サイトに掲載されている。ご覧になりたい方は、こちらをどうぞ。日本国政府の紋章である五七桐の紋があしらってあるので本物でございましょう。公布の日付は11月3日になっている。明治天皇のお誕生日。
http://japan.kantei.go.jp/constitution_and_government/frame_01.html

 以前、憲法に関する本は読んだことが無いと書いたが、正確には一冊持っていて、ただし殆ど読んでいない。もう10年ほど前に出た本で(2007年5月3日出版、憲法記念日だ)、このタイミングは、先般言及した「新憲法草案」という小泉政権時代に作られた素案が公開され、憲法改正の議論が起きたころのものだ。


 小泉さんは、最新の改正案が十年前の素案(舛添さんが主な執筆者だったらしい)より「復古調になっているようですが」という先日の日経の取材に答えて、「読んでない」と答えている。ともあれ、うちの本の題名は「図解『憲法問題』がわかる」というもので、諸記録を見ても見事に売れていない。

 内容は事実関係や諸学説の両論併記などが中心の中立的な記載になっている。大方の「改憲派」も「護憲派」も、いまや感情論のレベルに燃え上がっており、こういう冷静な書物は好かれないのだろう。この「売れていない」度合いからして、一応バランスが取れているだろうという判断の基準にして、憲法成立過程の記事を読んでみた。詳細はネットで分かるので、転写はしません。


 概要だけ。戦後まもなく、日本側は独自で新憲法案を作ったが、これをそのまま受け入れることを拒んだGHQが自らの代案を提示、敗戦国が逆らうべくもなく、ほぼそのまま今の憲法になったという経緯は、立場を問わず否定する方はおるまい。

 上記の官邸のサイトには、何の説明もないが、要するにこれが英語の最終版であり、これを翻訳し国会にかけて、若干の修正をし制定されたのが現行の憲法であるということだろう。第9条という恐ろしい相手を勉強するにあたり、まずは搦め手から、この英語のオリジナルから眺めてみることにした。日英両方の第9条を引用する。


  【現行憲法

第二章 戦争の放棄

第九条  日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2  前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

  【英語版】

CHAPTER II  RENUNCIATION OF WAR

Article 9. Aspiring sincerely to an international peace based on justice and order, the Japanese people forever renounce war as a sovereign right of the nation and the threat or use of force as means of settling international disputes.
In order to accomplish the aim of the preceding paragraph, land, sea, and air forces, as well as other war potential, will never be maintained. The right of belligerency of the state will not be recognized.


 本日は、最新の改正草案は措き、上記の日英の比較をする。英文の第9条は、改正案で共に大きな論題となるはずの前文および第97条(改正案では削除される基本的人権の条項)と少し似ているという感じがする。いずれも一部の表記が理想論的になっている。上記で例えれば「誠実に希求し」というような、大半の日本人が生涯使いそうもない文学的表現が散見される。

 さて、英語版の中身を観る前に、一作業してみた。英文憲法には助動詞の”shall”が頻出する。”shall”は多様な意味があり、”Shall we dance?”というような軟派な使い方もあるが、中学校の英文法で習ったとおり、第三者を主語とするときは、語り手がその第三者に、何かをさせる・させないという強い意思の表明になる。


 日本国憲法は国民が確定したので、国民は第三者に対し、「ああしろ」「こうするな」と注文を付けているから、”shall”の使用頻度が高い。主語も多様で、政府機関、天皇、個人、国民自身などなど。特に出番が多い箇所は、やはり第三章「国民の権利及び義務」である。私の端末で”shall”を検索すると169個も出てくる。条文数の103より多いのだ。

 冒頭部分では前文に2か所、第一章「天皇」のこれまで読んできた各条にも一つか二つ出てくる。珍しく途切れるのは、特にコメントも思い浮かばなかったので取り上げなかった第8条の皇室の財産等に関する規定で、”shall”ではなく”can”が使われている。国事行為や国政と比べて、印象がソフトである。そして、上記引用のとおり、第9条に”shall”は一つもない。


 そうなった理由の一つは、推測ですが第9条の第1項が、憲法前文と同じく「日本国民は」で始まる国民の宣言であるため、強行法規・禁止令的な表現にする必要がないとしたようで、ご覧のとおり現在形になっている。形式にこだわると、文面上は、国民が「放棄した」のであって、国家に放棄させたのではない。

 第2項は、さらに興味深い。”shall”が無い代り、”will”が二回出てくる。相応の意志は感じるが、”shall”ほど強くないというのが、一般的な語感だろうと思う。しかも珍しいことに受動態(受け身)なので、誰が・何が、「保持しない」「認めない」の主語なのか明示されていない。


 日本語のほうは、普通に読む限り第1項と続けて解釈するだろうから、第1項と平仄をあわせると、第2項の主体も日本国民ということになる。それなら英語はそう書けばよいのに、そうでないとは一体どうしたことか、私には見当がつかない。大雑把な言い方をすると英語では、第1項と比べ、第2項は格調という点で劣る。日本語版は、語調を合わせたようで違和感がない。

 改憲派の多くは、第9条や前文を中心に、現行憲法GHQなり米国なりに「押し付けられた」ものであり、自主憲法を制定すべきであるというのが一つの大きな目的・説得材料になっている。だから、こんな英文は今やどうでも宜しいものだろう。でも意外と原文(特に第2項)はマイルドな感じです。

 なお、当初のGHQ案は、国立国会図書館のサイトにある。文面が随所で異なるものの、今回の話題である第9条の”shall”と”will”の件については、本質的な相違はないと考える。また、第9条に限らず、英語版では項目建てに「章」(chapter)と「条」(article)しかなく、下位の「項」と「号」は日本側で付けた模様です。
http://www.ndl.go.jp/constitution/shiryo/03/076a_e/076a_etx.html






(おわり)







生け花  (2016年6月4日撮影)