おじさんの雑記帳 

「20世紀少年」の感想文そのほか 寺本匡俊 1960年生 東京在住

友を待つ  (第1007回)

 大学時代の麻雀仲間で、ときどき音楽の話もしていた男から、「おもろい奴が出て来よった。ええで。」と教えてもらったのがプリンスで、当時から訃報が届くまで、ひたすら気取った芸名だと思っていたら本名だったのですね。二つ年上。早いな。どうしたんだろう。

 サンフランシスコでVH1の番組を無造作に録画したビデオの中に、彼が歌う「1999」が入っている。先月、何気なしにこのテープを観ながら、「みんな世紀末となると似たようなことを考えるんだな」と思っていた矢先のことだ。風のごとく軽快にギターを弾き、横回転のハムスターのように踊る。

 社会人二年目になって、ようやく生まれて初めてステレオ・コンポを買った。サンスイ製。月に一枚ぐらいのペースでLPレコードを買い始め、ローリング・ストーンズが多かったが、その中にプリンスの「パープル・レイン」の輸入盤もあって、しばらく毎日のように聴いていたのを覚えている。合掌。


 さて、オッチョの当初計画は、”ともだち”か万丈目を誘拐にして、大みそかの計画を中止させるというものでした。政党兼カルト相手に7人と拳銃だけという条件も厳しいが、そもそも両名は警戒厳重または行方知れずで、なかなか捕まらない。さすがの豊川オッチョも探し疲れたのか、国会議事堂の前で座り込んでいる。

 指名手配されている者(非合法であるが、万丈目に命を狙われている)が、国会前で一休みというのも、あまり見かけない景色であろう。警備側も盲点を突かれたのか、誰何もされない。せっかく常盤ユキジが乗っていくかと誘ってくれたのに、美しい淑女(古語でオトコオンナともいう)の後部座席に二人乗りなんて滅多にない機会だと思うのだが、オッチョは手話で断った。彼はまだまだ、”ともだち”を待つ気らしい。


 漫画では、そのころケンヂが、他の仲間相手に「もう止めよう」と弱音を吐いている。1997年の一連の騒動のあとは何も起こらない。連立与党になって、充分その野望は果たされたのだろうかという推測も出た。ところが、悪い意味でそんな世俗的な成功で満足するような連中ではなかったのだ。

 オッチョの目の前で、彼が絵の謎解きに至る記憶を呼び起こした刹那、「のろし」はあがった。初代のゴジラに壊されて以来のことだろうか、国会議事堂の上部が吹っ飛んだ。犯罪者は「よげん」を実現してみせたのだろうが、蜂起したのはケンヂたちのほうであった。どれだけ歩いたら家にたどり着けるかも分からぬまま歌も作った。


 東京都に「ヘブンアーチスト」という制度がある。都の審査に通った人たちが、公共施設の指定場所で音楽ほか手品やダンスを道行く東京都民や観光客にお見せするという大道芸。うちの近所では上野公園が一大会場になっている。
 
 仕事で都営地下鉄大江戸線に乗るとき、JRの御徒町駅から都営線上野御徒町駅に乗り換えるのだが、この大江戸線に至る地下道にもヘブンアーチストのステージがある。それほど広くない通路なので、いつもお一人だけ。地下道独特の音響効果がある。写真はその指定場所の目印です。

 先月だったか、ここで六十代と思しきおじさんが、サキソフォンを演奏していらした。何人か立ち止まって聴いている。会議に遅刻しそうだった私もしばし歩を止めた。どうしてあのような笛だかラッパだか分からない楽器から、ああいう素敵な音が出るのだ。なお、その次に通りかかったときは和服のおじさんが三味線を弾いていた。奥が深いね、ヘブンアーチスト。


 ローリング・ストーンズを聴くようになったのは、プリンスよりは早くて、でも大学生になってからだ。当時の私の「音源」は、貸し借りするカセット・テープか、下宿で唯一の貴重品だったラジカセで聴くFM放送だった。だから、あの4年間だけはリアルタイムで新曲やリバイバルを聴いていたことになる。

 そのころ、ストーンズが発表したアルバムが「刺青の男」で、ジャケットを見て反射的に思い出したのが、前にも話題にしたレイ・ブラッドベリの短編集「刺青の男」の文庫本の表紙絵。こちらは恐ろしい予言者の話だが、話題を元に戻してストーンズがシングル・カットしたのが、ここで何度も話題にした「スタート・ミー・アップ」と、スローテンポの「友を待つ」であった。

 
 この二曲を聴かなかったら、そのあと十枚ほどの彼らのレコードを買うようなことにはならなかったかもしれない。「友を待つ」の間奏で、サックスを聴かせているのは、小欄でも何年か前に一度だけ名を挙げたことがあるソニー・ロリンズだ。ロリンズのスペルは、まるでローリング・ストーンズの略語のようだが、そういうおバカな冗談を云っている場合ではないほどの大物であるらしい。

 彼が録音する際、お招きしたミック・ジャガーが「スタジオの中にいたほうがよろしいでしょうか」と言上したところ、大御所は「頼む、自分が弾く箇所にきたら踊ってくれ」と返し、ミックは実際にそうしたらしい。その結果について、ミック・ジャガーは端的に言い残している。「肩だけでコミュニケーションはとれる」。オッチョとユキジに少し似ている。

 さて、人質大作戦も水泡に帰しつつあり、ケンヂはやむなくお母ちゃんとカンナを山形に疎開させて、20世紀末の大みそかを迎えることになる。映画でのお母ちゃんとカンナの旅立ちの場面は、上野駅の地下ホーム。上野発の夜行列車、青森行きのブルートレインだ。





(この稿おわり)





日差しを待つ。(2016年4月9日撮影)



木蓮。(2016年4月7日撮影)






 I'm not waiting on a lady.
 I'm just waiting on a friend.

     ”Waiting on a Friend”  The Rolling Stones














































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