おじさんの雑記帳 

「20世紀少年」の感想文そのほか 寺本匡俊 1960年生 東京在住

山根君と落合君の会話 【後半】  (20世紀少年 第339回)

 第12巻の71ページ目で、学研の科学の話題でオッチョに軽くあしらわれた山根は、「それともやっぱり、落合君もそれほどじゃないのかな」と絡んできた。科学の付録は本題を持ち出すための、話のとっかかりに過ぎなかったものと思われる。それにしても小学校時代にお互いの名前を「君付け」にするとは、よほど二人とも育ちの良い優等生であったのか。

 何が言いたいのだと訊くオッチョに、山根は「いや、聞いちゃったんだよね」と答えている。山根が聞いたものとは、原っぱの秘密基地で何かやっているんだろうという、オッチョには聞き捨てならないものであった。さらに、山根は「”よげんの書”って作ってんだろ」とまで言った。俺達だけの秘密基地が踏み荒らされている。


 秘密基地の描写は、第1巻の第1話に早くも出て来る。1969年の夏、小学校4年生の4人組。オッチョの宣言により、隠れ家を改め「俺達だけの基地」になったのだが、当初の使い道はマンガの読み放題とか、ラジオでGSとか平凡パンチがどうのこうのという平和目的のはずだった。

 それが第2巻の第12話に再出したときには、世界征服をもくろむ悪の組織があり、俺たちがその悪の組織から地球の平和を守ることになっていた。ケンヂはすでにスケッチブックと筆記用具を持ち込んでいる。この基地がなぜ戦闘モードになったのかというと、その一因は第2巻の61ページから描かれているように、小学館学年誌や週刊漫画雑誌に影響されて、ケンヂは正義の味方になりたくなったのだろう。


 落合君と山根君の会話は、こういう風に続く。「なんで知ってんだよ」、「友達に聞いたんだ」、「誰だよ、その友達って」、「それは言えないよ」、「知ってるのは、そいつとお前だけか」、「んー、もう一人いるかな」、「誰だよ、言えよ」、「誰だっていいだろ、それよりさ...」。

 レッド・ツェッペリンに「コミュニケーション・ブレイクダウン」という曲があるが、オッチョにとってはまさに言葉の応酬だけで会話が成立していない。こういう山根のような嫌な奴、どこにでもいました。覚えていないだけで、自分もそうだったかもしれないが。


 この場面で山根の云う「友達」とは、この前後の展開からしてフクベエであろうか。では、「もう一人」は誰か。この時点で知っているとしたら、サダキヨだろうか。しかし、ここでの山根はサダキヨが知っていることを知っていのるか? 後に出てくる「しんよげんの書」の制作チームにいるナショナルキッドのお面は誰か。疑問百出だが、検討はすべて後回し。それよりも、山根の「それよりさ」とは何か。

 続く発言、「君らの”よげんの書”程度じゃ、地球は滅亡しない」というのが、この日の彼の主たる論点であるらしい。「巨大ロボットが、ガオーっとか出てきたってどうってことない」そうだ。続いて、どうせケンヂが考えたのだろうという誹謗中傷が始まり、付き合わないほうが良いなどと言うので、オッチョは「余計なお世話だ」と軽く、いなしている。私もそう思う。


 僕らだったらどうすると思うと、山根は食い下がった。「ビールスだよ」と言われて、オッチョもつい足が止まる。前にも書いたが、遠い昔はウィルスのことをビールスと呼んでいたのです。「ビールス、細菌をまき散らすんだ。どう名案だろ?」。オッチョは名案だと思った。

 このため、詳しくは後日改めて話題にするが、2015年の元日にショーグンが角田氏に語ったところによると、「さも自分が考えたように、細菌兵器の話をケンヂたちにしたんだ」のであった。この場面は第2巻に出て来た。次回もう一度、話題にします。


 ちなみに、これも前に書いたが、近年よく知られてきたように(私が知ったのが、遠い昔ではないだけか?)ウィルスと細菌は全然、違うものだ。細菌は生物だから、わしら人類の遠縁である。他方、「生物と無生物の間」(福岡伸一著、講談社現代新書)によると、「ウィルスは生物と無生物のあいだをたゆたう何者か」である。

 福岡ハカセはウィルスを無生物と結論付けているが、同書によると、生物の定義に関わる問題として議論は続いているらしく、つくづく、やっかいな代物が存在しているものだ。でも、山根にしても”ともだち”にしても、どっちでも良かったのだ。同じ結果を招くのであれば。


 それより、以下のことを気にするのは私だけかもしれないが、でも、そうであればこのブログも類を見ない「しつこさ」という点において存在意義があるかもしれない。次のとおり前提条件を二つ置いてみる。(1)この小学4年生のときの落合君との会話において、山根君は嘘をついていない。(2)この出来事についてのショーグンの記憶に間違いはない。

 この二つが正しい(つまり、二人の発言は事実を語っている)のであれば、「よげんの書」の執筆過程と山根らの関与について、時間的な順序は次のとおりとなる。巨大ロボットが出てくる「よげんの書」を友達が見て、山根に話し、僕たちなら細菌なりビールスなりと使うと考え、その案を山根君が落合君に喋って、オッチョがケンヂたちに披露した。

 すなわち、巨大ロボットの発想が先であり、細菌兵器の提案が後なのである。しかし「よげんの書」では、ページの順番はそうなっていない。逆である。かくて次回は、もう一度、「よげんの書」を読むことになりました。


(この稿おわり)



この桜は薄い緑が入った花を咲かせる。お気に入りの木の一つ。
(2012年4月21日、南日暮里公園にて撮影)