おじさんの雑記帳 

「20世紀少年」の感想文そのほか 寺本匡俊 1960年生 東京在住

疑惑の銃弾  (第1238回)

 1984年といえば、私が大学を卒業して社会人になったという記念すべき年なのだが、てんで世間は関心がなく、唯一つの事件にマスコミも国民も大騒ぎになった。ロサンゼルス発の殺人事件で、私が読んでいた週刊誌に「疑惑の銃弾」という続き物で報道された。

 前にもどこかに書いたが、我が国のネット情報は、ウィンドウズが普及した1990年代後半から蓄積されたものがほとんどで、その前のものは転記されたり、記憶に基づいて書かれたりと往々にして正確さに欠け、それより何より情報量があまりに少ない。

 あと30年もすれば、20世紀は平安時代と大して変わらない歴史のジャンルに放り込まれる。源氏物語や枕草紙は平安時代のごく一部の描写にすぎないし、真偽の程も定かでないし、あれで全てとはとても言えないが、他に残った資料が少ないのだから仕方がない。昭和もそうなる。


 ネットで「疑惑の銃弾」関連のサイトをながめていても、当時の狂乱が全く伝わってこない。なんせ、私の同期は報道を基に、見てもいないロサンゼルスの現地地図まで作って、更新していたのだから阿呆だ。

 私もせっかく会社勤めになったのに、先輩が連れて行ってくれるところというと、例えば六本木にある全盛時代のディスコであり、そのついでに、これが疑惑の銃弾の関係者が経営していた店だなどと東京観光案内まで受けた。

 あのころの六本木は、今のように取り澄ましておらず、米軍や自衛隊の基地は夜になると不気味に暗くて静かになり、アマンドに首都高から排気ガスが降り注いでいた。あの町は米兵が繁華街にしたのだというのが私の認識である。


 その三年後ぐらい後に、今後はロサンゼルスに転勤になった。またしても、先輩がお出ましになり、「疑惑の銃弾」の駐車場を見せてやるというから、ついていった。当時の自宅から本当にすぐそばで、何の変哲もない屋外の駐車場だった。捜したが銃弾は落ちていなかった。

 この事件の被告は、前回の袴田さんの刑期の長さと並んで、獄中で起こした民事訴訟の数において、日本の刑務所史上に残るレコード・ホルダーである。もっとも、名前の読みが同じサッカー選手のほうが、いつしか有名になり、段々と名誉棄損の機会も減り出した。


 と思ったら、第二段が始まった。あのときの日系の方々を含むLAの捜査当局は、驚嘆すべき気合と行動力を示し、ちょうど私が初めて旅行に行った後のサイパンで、この男を逮捕した。当時のカリフォルニアは、凶悪犯罪に時効がなかったのだ。

 その後の当人自殺という急展開で立ち消えになった顛末は、当時のニューヨーク・タイムズの記事がネットにある。罪状は最後に出てくる殺人の共謀罪(a murder conspiracy)だった。
http://www.nytimes.com/2008/10/20/world/asia/20iht-20japan-fw.17095824.html


 憲法に戻る。長かった第三章の末尾となる二か条。これらも、前回と同様、改正草案は内容的に違いはないと理解している。

第三十九条 何人も、実行の時に適法であつた行為又は既に無罪とされた行為については、刑事上の責任を問はれない。又、同一の犯罪について、重ねて刑事上の責任を問はれない。

第四十条 何人も、抑留又は拘禁された後、無罪の裁判を受けたときは、法律の定めるところにより、国にその補償を求めることができる。


 この第39条の後半にある「同一の犯罪について、重ねて刑事上の責任を問はれない」という定めが、いまだに分かっているようで分かっていない。何度も同じ事柄で責められては、こちらが悪かろうと極めて辛いパワー・ハラスメントになりかねないという感覚は分かる。

 でも、三審制はどうなる。一応、裁判では決着がついているそうだし、他国も同様であろうが、三回も延々と裁判をするのは被告も原告も、さぞや大変であろう。ちなみに、下級審の裁判官も嫌な気分だろうなと思う。お疲れさまです。


 英語の「double Jeopardy」は、後味の悪い同名のアメリカ映画で知った言葉だ。日本語で、「同一の犯罪について、重ねて刑事上の責任を問はれない」という法理を、「一事不再理」と呼ぶらしい。これは、今の仕事を始めてから弁護士さんに教わった。

 この両者は似て非なるものだという論文を読んだことがある。何を言いたいのか、さっぱりわからぬ。こういうときは、書いた人間も分かっていないのだと結論付けることにしている。

 ともあれ、アメリ憲法権利章典にも出ていて、これも被告やその同類の人権擁護の一種なのだろう。シシフォスやプロメテウスは、生まれが早すぎたのだ。


 疑惑の銃弾は、複数の殺人、保険金詐欺、殺害依頼、ロサンゼルスの駐車場、容疑者の国外脱出というフィリップ・マーロウ時代のようなプロット満載の出来事だったのだが、日本の最高裁では証拠不十分、本人は全面否定ということで無罪になった。

 それをまた何でアメリカの警察が追いかけ、アメリカで裁判をしようとしたのか、私にはよくわからない展開の途中で、本人死亡によりお流れとなってしまった。誰が地獄行きなのか知らないが、それ以外の亡くなった方々のご冥福をお祈りする。




(おわり)





うちのマリモとメダカ (2017年2月26日撮影)


















































.