おじさんの雑記帳 

「20世紀少年」の感想文そのほか 寺本匡俊 1960年生 東京在住

銃口 (20世紀少年 第569回)

 第17集の163ページ。この場面での蝶野刑事は、一部の行動を除き、荒れ果てた世界の中で人間味を見せている。彼は昼間、芹沢が二人の市民を射殺した民家を夜になって再び訪問している。格子戸をガラリと開ける。「大丈夫、怖がらないで」と声をかけているが無理な注文だろう。

 寝床の母子はすっかり怯えてしまっている。蝶野刑事は自分の母に送るはずだった米袋をその家の母親に差し出して、子供たちに食べさせてやってくれと言った。土下座して「ごめんな、本当にごめんな」と詫びている。これとそっくりなセリフは「21世紀少年」に出てくるのだが、そちらはそれまで待とう。


 黙ってその様子をうかがっていた母親だったが、遠くから流れてきた音楽に蝶野巡査長が気付いたとき、思わず「だめ」と繰り返している。警察官に知られてはいけない何かが行われているらしい。音を頼りに巡査長が現場に踏み込んでみると、先ほどのページに出て来たラジカセを囲んで、大勢の人々が木の床で車座になっている。

 何をやっているんだと訊く警官に、村の人たちは無言のままだ。「何やってるって聞いてるんだ、答えろ」と叫んで巡査長は拳銃を向けた。それはいけない。蝶野、銃をおろせ。相手は丸腰で無抵抗の一般人だ。芹沢と同じになりたいか。治安維持法のごとき「夜間の集会は禁止されているんだ」というのが蝶野巡査長の言い分だが、相手は動じない。


 私は一度だけ、アメリカでポリスにピストルを向けられたことがある。ちなみに、拳銃で狙われたことがもう一回あるらしいのだが、自分では目撃しておらず、伝聞に過ぎないので省略する。

 その夜、私は同僚と二人で夜の道路を車で走っていた。翌日の仕事のため、夜間に長距離移動をしたのだが、途中で二人そろって尿意を催したのだけれど、幹線道路なのにあいにく町と町の間で、人家も見当たらないような暗い場所。やむなく車を止めて近くの原っぱを少し歩いて奥に進んだ。カリフォルニアにはガラガラヘビがいるのだが構っていられない。


 二人並んでのんびり用を足していたら、突然、眩しいほどの懐中電灯の光を当てられて、手を挙げろと命じられた。女性には分かり辛いと思うが、立小便の最中に両手を挙げるというのは格好のよいものではない。とはいえ、銃口も見える。生まれて初めてのホールド・アップ、やむなく言うとおりにした。

 近づいてきた制服の警官は(あるいは保安官だったかもしれない)、ライトの光を浴びているアジア人らしき二人組が過激な犯罪行為を行っているのはないことを確認したらしく、ここでそういうことをしてはいけないのだと説教しただけで、軽犯罪法違反により逮捕されることもなく放免された。


 警官自身も間の抜けた状況に安堵したらしく、別れ際に「I know Nature calls.」と言って笑った。初めて聞くスラングだったが、即刻その意味を理解したものだ。動悸も落ち着いたころ、同僚は「警官で良かった」と言った。それもそうだ。どうせ拳銃を向けられるのであれば、警察官であるに越したことはない。

 ついでだから語り残しておくと、私はアメリカとカナダで何回かスピード違反で切符を切られているのだが、カリフォルニア州で3回目に捕まったとき、とうとう罰金では済まされず、ロサンゼルスの地方裁判所から文書で出頭命令が来た。アメリカの司法制度など全く知らない。例えば、免許取り上げになると仕事も生活も困る。まさか実刑はなかろうが...。


 米国人の同僚に相談して回ったのだが、相手によってアドバイスが違う。どう考えても、みんなで人の不幸を楽しんでいるとしか思えない。カリフォルニアンに頼った私がバカであった。やむなく、指定日に裁判所に行った。その少し前に会社が訴えられて、被告側の証人として裁判に呼びつけられたのだが(判決は無罪)、今回はさらに身分が低くて容疑者か被告である

 しばらく法廷で、裁判所の担当官と時間をつぶした。裁判の相手は私を告訴した警察なのか、起訴した検察なのか、それすら分からぬまま敵前逃亡されてしまったようであり、私は「帰ってよい」と言われたので帰った。きっと時間の無駄だと放置されたに違いないのが悔しい。さて、蝶野巡査長はというと、村人から妙な話を聞く破目になった。



(この項おわり)




新宿アルタ前 (2012年12月18日撮影)
























































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