おじさんの雑記帳 

「20世紀少年」の感想文そのほか 寺本匡俊 1960年生 東京在住

ボブ・ディランのコンサート【脱線】   (20世紀少年 第232回)

 自慢できそうなことなど殆ど思い当たらない人生だが、私はボブ・ディランのコンサートを生で観たことがある男だ。

 数年前、アテネに旅行した際、アクロポリスのそばに「ディオニュソス劇場」なるものがあることを知って見物してきた。人影まばらだったが、ここで古代ギリシャの悲劇などが演じられていたかと思うと感無量でありました。ところで、二十代後半に住んでいたロサンゼルスには、「The Greek Theatre」という野外のコンサート会場がある。

 グリーク・シアターは、ディオニュソス劇場をモデルにしたのではあるまいか。扇型の観客席が良く似ている。この劇場は、昔、世界屈指の天文台があったため、天文少年だった私もその名を知っていたグリフィス山のふもとにある。この山の頂から眺めるLAの夜景は圧巻だが、風のある日でないと名物のスモッグが立ちこめて良く見えない。


 ロックが好きだと散々威張ってきた割に、私はあまりロックのコンサートに行っていない。コンサートに行くためには、お金と時間と体力(若さ)が揃い、その揃った範囲内においてコンサートが開催されるというのが条件になるのだが、私の人生にこれらが勢ぞろいした期間は極めて短い。その貴重な時期がアメリカ駐在時である。

 このグリーク・シアターで私は、幾つかのコンサートを楽しんだ。特に強く印象に残っているのは、ウィントン・マルサリスサンタナ、そして、ボブ・ディランである。マルサリスのトランペットの音は、音が光となって夜のLAの街に、ヤコブの梯子のごとく差しているのが「見えた」。サンタナは、最前列で観たのは良かったが、左のスピーカーの真ん前に座ってしまったため、翌日の昼まで耳が聞こえなくなった。


 ボブ・ディランを観たのは、1998年か99年ではないかと思う。いつもお世話になっている職場の先輩をお誘いして(確か、チケットもプレゼントして)出掛けた。共通の知り合いによれば、残念ながらこの先輩は、三十代の若さで交通事故のため亡くなったそうだ。合掌。

 初めて見たボブ・ディランは、おそろしく愛想のない男であった。全く、一言も喋らなかったのである。そもそも、最初の挨拶たるべき「ハロー」も「サンキュー」もなく、いつの間に前座と入れ替わったのか、後ろのほうの席に居た近眼の私は、それさえ気が付かなかった。


 あ、本人だと分かったのは、「追憶のハイウェイ61」を歌い始めてからである。彼の作品はアルバム五六枚分ぐらいは知っているのだが、とうとう誰もが知っているような代表作は殆ど歌わず、途中のトークもなく、最後にようやく「Like a Rolling Stone」を歌って観客を喜ばせたが、「グッドバイ」とも云わずに立ち去り、もちろんアンコールにも応えず仕舞いであった。

 全体で30分程度だったし、この傍若無人そのものの態度で、もしも高額の入場料を取ったなら、さすがのアメリカ人も怒ったかもしれないが、実に安価で(確か数千円だった)、さすが歌声は力強く、まあ何とも形容しようのない妙なコンサートであった。

 柳ジョージもそうだったが、お喋りが苦手なら喋らなくても構わないか(でも、挨拶ぐらいはしましょう)。それでもこうして書いていると、あの晩、グリーク・シアターに響き渡った「How does it feel?」の大合唱を、昨日のことのように思い出す。今も元気で無愛想に歌っているだろうか。


(この稿おわり)



ホテイアオイには、こんなに綺麗な花が咲く。
ただし、一昨年の写真。去年は咲かなかった。
(2010年9月16日撮影)