おじさんの雑記帳 

「20世紀少年」の感想文そのほか 寺本匡俊 1960年生 東京在住

パラノイア     (20世紀少年 第169回)

 私は最近、フランスの哲学者、ミシェル・フーコー(女のような名前だが、怖い顔をしたおじさんである)の初期の著作、「精神疾患とパーソナリティ」(ちくま学芸文庫)という本を読んでいる。難解であるが、中山元氏の翻訳が素晴らしく、素人でもある程度は分かる。

 1962年に出版されたという本であるため、その後の精神医学の進歩もあって、用語や考え方は古くなっているかもしれない。それに私は医師ではないので、乱暴な引用は避けなければならないのを承知のうえで申し上げるが、その一節にフクベエという男の少年時代の様子とそっくりな症状が出てくる。

 該当部分は以下のとおり。「パラノイア。情緒的な高揚と(自負心や嫉妬心など)、心的な活動の亢進を背景として、体系的な妄想が発達する。この妄想は首尾一貫したものであり、幻覚を伴わず、誇大妄想、被害妄想、権利要求妄想のようなテーマに結晶して、偽・論理的な統一性を獲得する。」(同書015ページ〜016ページ)


 いかがですか? そっくりですね。では、現代において、「パラノイア」とはどのような意味なのか、「広辞苑」の現時点での最新バージョン(第六版)をみてみよう。

 「体系立った妄想を抱く精神病。妄想の主体は血統・発明・宗教・恋愛・嫉妬・心気・迫害などで四十歳以上の男性に多いとされる。統合失調症のような人格の乱れはない。偏執病(へんしゅうびょう)、妄想症」。ということで、私も適齢期らしい。


 ちなみに、広辞苑によれば「妄想」とは何かというと、「根拠のない主観的な想像や信念。(中略)事実の経験や論理によっては、容易に訂正されることがない。」という代物である。フクベエに「人格的な乱れ」が無かったであろうことは、妻キリコが「サークル活動」に不審を抱くまで、何の違和感もなく一緒に暮らしていたことから察せられる。

 そのサークルも、一見、人格的に問題がなかったからこそ、発展したのだろう。ともあれ、病気であったかどうかにはともかくとして、フクベエが偏執的な人間であったと言って差し支えあるまい。自負心や嫉妬心、体系立った妄想、根拠のない主観的な信念。前回、私は迫真の演技と書いたが、本人には虚実の区別も付かなかったのかもしれない。


 さて、前起きはこの程度にして、第7巻の血の大みそかの場面に戻ろう。ケンヂに、”ともだち”はカンナの父親と聞かされたフクベエは、すでに「ともだちコンサート」で自分からケンヂにそう言っているはずなのだが、驚き、そして拳銃を下ろした。そして、忍者ハットリくんのお面の男に語りかけ始める。


(この稿おわり)



ミツバチが飛び交っていました。(撮影2011年11月13日)