おじさんの雑記帳 

「20世紀少年」の感想文そのほか 寺本匡俊 1960年生 東京在住

包丁 (20世紀少年 第871回)

 ただいま岩手県にいます。道に迷った挙句にバスの中。この紀行文はまたいずれ書きます。

 さて、銃器は我が身を守るためのものであるという全米ライフル協会の長年にわたる主張にも拘わらず、報道による限り凶器の犠牲になっているのは主に生徒や学生や先生である。太閤様の刀狩以降、日本の治安は世界屈指の良さを誇っている。

 あらゆる優れた道具や乗り物がそうであるように、兵器も手に入れたら使いたくなるのが人間というものではなかろうか。銀玉鉄砲に慣れたせいか私は拳銃を手にしたときも人を撃とうなどとは思わなかったが、ここに一つの例外がある。


 もう十年以上も前だがネパールに出張した際、帰り際に街角の市場でナイフを買った。露店の店番は万丈目のような怪しげな男ではなく、ババのような怖い老婆でもなく穏やかな表情の中年女であった。

 店はダブルベッドくらいの広さの敷物だけで、その上に多種多様の品物が陳列されている。こういうところでは外国人観光客はボラれるのが相場であるが、それでも安いと感じたので、つい買った。刃渡り十センチくらいの小型のグルカ・ナイフである。

 小さめと言ってもその重みと形状は、ガキのころ鉛筆を削っていた小刀とは利用目的が異なることが、手にした瞬間に分かる。あまりに物騒なので今は手元に置いていない。家族に見つかると更に物騒でもあるからだ。


 下巻の136ページ、壁面にAと書かれた団地の一棟でユキジが階段を駆け上がる。間に合わなかったら手遅れ何てもんじゃない状況だが、当時の団地にエレベーターなんて洒落たものは無かったのだ。

 最初は205号室をノックしただろうが、カギがかかっていたか無人だったに違いない。カンナのアンテナによれば、そこからリモコンでロボットを操縦しているらしい。ならば上だ。屋上を目指してユキジがゆく。

 
 この漫画は何度も屋上が主要な舞台になっている。ケンヂがズルしてスプーンを曲げようとし、サダキヨが宇宙人との交信を図り、第四中学校では後ほど出てくるが一騒動あり、ドンキーが落とされ、モンちゃんがサダキヨを呼び出し、ヨシツネはヘリコプターで派手に降りて来た。

 今回もただでは済まない二人が出会う。ユキジが屋上にたどり着くと、コートの背中を見せて女が立っており、フェンスの向こう側を見ている。手にリモコンを持っているのを見て、それをよこせと叫びながらユキジは駆け寄った。


 振り向きざまに敷島娘が振り回したのは、リモコンではなくて包丁であった。私はお湯を沸かす以外の料理が一切できないので包丁には詳しくないが、これは文化包丁であろうか。先ほどの食事の場面からして敷島娘は右利きだが、右手はリモコンでふさがっているので已む無く左手で包丁を横に薙ぎ払った。

 素人だろうな。田村マサオは一直線に突き進み、体重をかけてピエール師の懐に飛び込んでいる。スピードといい威力といい、こちらのほうがずっと上だろう。しかも相手は黒帯だけでは一人前と認めないという柔道の達人である。寸でのところでユキジは第一撃を交わしている。


 最初で最後の機会を逃し、これで勝負あった。薩摩の示現流みたいなものだな。第二次の包丁攻撃は、あっさりユキジの蹴りが相手の右腕に極まり、包丁は敷島娘の手を離れて回転しながら宙を舞った。とどめは背負い投げで一本。

 ユキジはリモコンを取り上げて、どうやって止めるのかと問うた。しかし敷島娘はトカゲのように笑い、自動操縦にしてあるから手遅れだという。この直前のページに、まずはロボットを倒す前に止めようとしているケンヂの奮闘姿が描かれているが、おそらくもう自動に切り替わっていたのだろう。オッチョのときと同じで、もう歩みは止まらないのだ。


 敷島娘は「しんよげんの書」の最終ページの予言を読み上げる。ロボットは秘密基地を踏みつぶし、”反陽子ばくだん”が地球を滅ぼすだろう。さらに「あなた方が作ったロボット」と他人のせいにし、「敵に渡すな、大事なリモコン」と教祖の説教を持ち上げている。

 ユキジも怒った。「あなたは心を支配されてるのよ」とさすが古風である。今では言葉に手垢が付いた感じがするが、マインド・コントロールという。やはり政教分離はおろそかにできない。ユキジはさらに”ともだち”は「まがい物」と断じた。この言葉も最近はあまり聞かないな。


 まがい物とは単なるニセモノではなくて、本物とそっくりの偽物のことだ。おそらく「見紛う」(発音は、ミマゴー)や、「まぎらわしい」(発音は、まぎらわしい)と語源が同じであろう。本物そっくりだったので、他作自演なのに皆な騙されたのです。

 敷島娘は頑固にも本物だとの主張をひっこめず、本物にお仕えしたのだと言い張る。そして、「もし彼が本物でなかったとしたら」と言い出したのだが、普通この言葉を口にしたら多分、信者は信者でなくなるはずだけれど...。「私の人生は何だったのよ」と女は叫ぶ。ユキジは厳しく育てられたので「あんたの人生だよ」などとは言わない。


 返事を待つまでもなく、敷島娘はいきなりダッシュした。ハイヒールでフェンスを登り出す。ユキジは後ろから組み付いて「死なせない」と阻止に出た。自動操縦の解除方法を教えてもらわないと困るもんね。

 敷島娘は「どうせ、この世界は終わるのよ」と自らの身投げを正当化(?)しようとする。ユキジは「絶対に終わらせない」と譲らない。ここで描写が終わるので、そのあとどうなったのか分からない。フクベエのように、一緒に落ちたのではないことだけは確かだが。


 ところで、高須は敷島娘たちが自分と”ともだち”の子を狙っており、首尾よくいった際には火星に移住するのだと言っていたが、これでは話が違うではないか。どうやら神の子の奪回計画はまた失敗して、しかたないから「しんよげんの書」だけでも実現しようとしたか。

 でも、もし本当に地球が終わったら、誰が予言の正しさを確認し喜ぶのだ? 少なくとも最終ページは予言というより遺書だろう。しかも、他人様を道連れに。迷惑な。



(この稿おわり)




 



 What about the heartache?
 What about the emptiness inside?
 It doesn't just fade away.
 Turning the knife,
 How much can I bleed?
 The cut runs deep.

       ”The Cut Runs Deep”  Deep Purple



 包丁一本 晒に巻いて 旅へ出るのも板場の修業
 待ってて こいさん 哀しいだろが
 ああ 若い二人の想い出にじむ法善寺 月も未練な十三夜

                   「月の法善寺横丁」






































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