第4巻の13ページで、七色キッドの話題が出た際、ショーグンは「また、日本か、どうなってんだ、あの国は」と小馬鹿にしているのだが、それに対してイソノさんは、「長い不況から抜け出して、すいぶん景気がよくなったみたいよ」と応えている。
この場面設定は2000年の夏、この巻に収録されている回が連載されていたのも2000年だと単行本に記載があるから、物語の時代設定が連載時の年代に追いついたわけだ。
現実の日本の経済が、このころどうなっていたかというと、2000年代前半は、数字上では「いざなぎ景気」を超える戦後最長の好景気だったらしい。しかし、この時期に日本は、何か決定的な失策をしたらしい。
今では「失われた20年」と呼ばれる時期は、このころから始まったし(つまり、一旦、乗り越えたかにみえた「失われた10年」は、終わっていなかった)、社会の制度・慣習が音を立てるように崩れ始めたのもこの時代である。20年経過した今も、回復どころか先の見えないどん底にとどまっている様子だ。
イソノさんによれば、物語の中の日本では、「ナントカいう政党が連立政党に加わってから」好景気になったらしいのだが、ショーグンは興味が無く、仕事に出かけてしまう。その直後にイソノさんは現地の新聞に、その政党の議員団がバンコクに来ている記事を見つけている。
政党の正式名は「友達民主党」、略して「友民党」(ゆーみん党)という、実にふざけたネーミングである。現実の日本の政治が、このころどうなっていたかというと、いまの政権与党の民主党を菅・鳩山らが結党したのが1996年、公明党が連立与党に参加したのが1999年だから、友民党の名称と政権参加のアイデアは、両党から頂戴したものだろう。
メイと共にチャイポンの手下に殺されかけたショーグンは、偶然、通りかかった日本人が、その手下にハッポン・ストリートはどこか、などと間抜けな質問をして邪魔をしたため、九死に一生を得た。オッチョの命の恩人になってしまったこの男、すなわち万丈目は、後にさぞかし、この顛末を悔いたに違いない。
万丈目はショーグンに名刺を差し出している。「友民党 衆議院議員」と書かれていることから、イソノさんが語っていた議員団が彼らであることが分かる。閣僚になっていれば名刺にその肩書があっても良さそうだが、無いところをみると、万丈目は入閣せずに党務に専念していたか。
万丈目は郊外のバス停までショーグンとメイを送ってくれたのだが、親切心からではない。そればかりか、メイの命取りになった。ショーグンは、後にさぞかし、この展開を悔いたに違いない。
さて、しばらくは先を急がず、オッチョの息子や、ショーグンの産みの親ともいえる師匠についてみてみよう。
(この稿おわり)
ハッポン・ストリートあたりは、物騒な日本人やタイ人などが歩いているかもしれないのです。 (2011年9月9日撮影)