おじさんの雑記帳 

「20世紀少年」の感想文そのほか 寺本匡俊 1960年生 東京在住

明日への遺言  (第1106回)

 これは映画のタイトルです。筋は、原作である大岡昇平「ながい旅」をお読みいただくか、あらすじならネットにも結構、載っている。2008年公開の邦画。主人公は前回までにご紹介した岡田資元司令官。

 主役が藤田まことで、妻を富司純子が演ずると聞いては、それだけで見る価値があるというものだ。てなもんや三度笠と、緋牡丹お竜。ほとんどの場面が、勝者による軍事裁判の法廷なのだが、この二人のおかげで静かな作品になった。


 とはいえ、残虐な場面が苦手なお方は、あとあと悪い夢でも見そうなのでご注意願いたい。この映画の残酷シーンは、主に冒頭に出てくるが、本物なのだ。いま一部の日本人がほめている「かつては立派だった日本・日本人」が参加した戦争で起きた証拠写真や映像がうつる。

 映画のストーリーは、おおむね大岡さんの中編ドキュメンタリーに沿っているので、詳しくはそちらをどうぞ。以下は私の補足や感想です。監督・脚本は黒澤組ご出身の小泉堯史。寡作だが、いい作品をつくる。出演者をみれば分かる。

 証人役で田中好子蒼井優が出てくる。二人とも、背筋を伸ばして、真っすぐ前をみながら語る。スーちゃん、もっと長生きしてほしかった。もっともっと、いい女優になったのに。


 アメリカ人も何人か出てくる。主任の検察官は、一目見て分かったが映画「20世紀少年」で国連のお偉いさんとして葬式に参列し、せっかく眠っていた”ともだち”に近寄った挙句、起こしてしまった人だ。

 この検察官は、映画で被告側に向かい「米軍全体を断罪するつもりか」と言っていたし、私が持っているこの法廷の目撃者の記録にも、「これでは、原告と被告が逆だ」などと怒っていたらしい。

 それほどまでに藤田まことが演じた岡田資中将は、米軍の無差別攻撃を厳しく非難し、これを「法戦」と呼び、太平洋戦争の延長であると位置づけ、これに勝って有罪判決を受け、死刑になった。上記の主任検察官は、勝訴したにもかかわらず、後日、岡田死刑囚の減刑嘆願書を提出している。


 弁護団長のフェザーストーン弁護士も、法戦の戦友になった。岡田さんは意気投合したようで、大岡さんによると自らの手記に「羽石博士」と書いている。この男優も、どこかで見た。英語の映画サイトを覗くと、「businessman」として、「ダイハード」に端役で出演しているらしい。

 いま確かめようがないのだが、確かブルース・ウィリスの刑事がLA空港に到着した際に、機内で拳銃を腰に下げているのを見て、驚いていた隣席のおじさんではないかと思う。いつの日か、確認してみます。

 
 証人は、私と同じ歳の西村雅彦も演じている。東海軍の調達責任者らしき役柄で、彼女らとともに重要な証言をする。すなわち、アメリカの空襲が軍事工場地帯ではなく、民家を狙い撃ちにした無差別大量殺人であることを立証する役回り。

 ついでだから、また映画「20世紀少年」に戻ると、西村雅彦は歌舞伎町のラーメン屋「七龍」の店長さん。さらに、宮崎駿監督「風立ちぬ」では、主人公二郎の直属の上司で、臨時の仲人にもなった黒川さんの声優。黒川さんの外見は、ヨシツネ隊長のようであった。庵野さんとも同い年ということになる。


 岡田司令官の論理は、撃墜されたB29の搭乗員は捕虜ではなく、国際法違反の殺人犯であり、その斬首は捕虜の虐待ではなく、処刑であるというものだ。そして、その組織決定は、日本軍の軍律に基づいたもので、略式ながらも軍隊の規定にそったものであり、その判断の全責任は司令官たる自分にある。

 自ら手を下した訳ではないので、現代の刑事法でいうと殺人の幇助とか教唆とかいう罪名になるのだろうか。こういうのは原告側も立証が難しいだろうなと思うが、本ケースでは被告の代表が自ら、すべて自分が命じたと明言しているため、その先に待つ罰の重さを知りながら、誰も否定できなくなってしまう。


 2時間弱の映画にまとめるため、「ながい旅」を読むと、若干の省略や、本質を変えない程度の変更がなされている。このため、「ながい旅」やその他の資料の感想は稿を改めて触れたいが、その前に一つ、映画の反対尋問(検察側の証言)において、東海軍にいた伍長が証人として出てくる。

 検察官の意図は、実際にこの法廷にいる者により捕虜虐待がなされたことを証明するために目撃者を呼び出したもので、かつての上官の人殺しを証言しないとならない伍長も辛い役回りだ。


 伍長は検察官の質問に沿い、今この被告席にいる「成田中尉」が、三名を斬首したのを見たと証言する。名指しされた若い士官は、被告席で頭を垂れ、うずくまってしまった。映画の最後に判決の結果として、司令官の部下だった士官たちの名前と刑罰の内容が記される。成田姓は一人しかいない。

 「成田喜久基中尉 重労働三十年」。重労働というのは、懲役のことだろう。実際には、日本の降伏文書署名とともに、彼に限らず多くが減刑され、早期に釈放されている。他の同様の裁判では、実行犯は軒並み死罪だったようだが。

 前回までに資料に使わせてもらった「静岡連隊物語」の柳田芙美緒さんは、この成田中尉と顔見知りだった。少なくとも二回は会っている。そのときの様子が「帰還前後」に出てくるので、せっかくだから、それもここに残したい。次の話題にします。二人とも生まれ故郷は、私と同じ静岡県の中部だ。




(おわり)





上野の寛永寺にて  (2017年6月14日撮影)




 夢は今も めぐりて
 忘れがたき 故郷

   「ふるさと」 唱歌







































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