おじさんの雑記帳 

「20世紀少年」の感想文そのほか 寺本匡俊 1960年生 東京在住

NHKの番組改編  (第1253回)

前回の続き。憲法および放送法を巡る疑惑の一例。疑惑と書いたのは、一番肝心な部分が、例のごとく密室で行われた模様であり、「言った言わない」のまま闇に落ちた。この十数年後、日本の政権与党と大手マスメディアが、如何に変質したことか。

いまネットの検索で、「NHK番組捏造」と検索すると、近年の東京オリンピックパラリンピックを巡る、字幕がどうのこうのという報道や書き込みが出てくる。今回の話題は、この件とは別の出来事であるが、主役や重要な関係者が共通しているのは偶然ではあるまい。まいた種がたくましく、ずる賢く育ったのだ。


本件の検索は、例えば「NHK番組改編 安部 中川」で調べると、もろもろの意見が出てくる。ご確認を願いたい記事は、まず当事者のNHK、批判者である共産党赤旗、相変わらずどこまで信用してよいのか分からないが、少なくとも関係者の名前ぐらいは押さえることができるWikipedia。これくらいは読んでいただくとありがたい。

ついでにいうと、今の勢いで政権の隠蔽体質が悪質化すると、これらのサイトもネットから消されるかもしれない。拙者と同様、PDFで印刷するか、スクリーン・ショットで保存されたほうがよい。すでに最高裁まで争いが進み、司法的には一件落着している。すっかり過去の話になった。



疑わしいものは罰せず。法律家にとっては金科玉条であるが、あくまで一般論である。そうでなけでば、個々の事案において被告と原告の弁護士がディベートを繰り返したり、下級裁判所の判決が控訴、上告で覆ることは滅多にあるまい。現実には法解釈や立場の違いには、個人差が大きい。

法律家でもそうなのだから、私たちの職場や家庭において、意見が食い違うのは日常のことであり、「言った言わない」ことだから「疑わしきものは罰せず」、で済まして宜しいか。思い切り疑わしいもの、特にその後の関係者のふるまいから、「ああ、やっぱり」と考えざるを得ない典型例が本件だ。


詳細は上記サイトの記述、主張に譲る。政治的圧力がかかったこと、そして、NHKが放送予定だった番組の改編を行ったこと、これらについては異論もあるようだが、私の立場はこのブログでわざわざ昔話を、今日的問題として取り上げていることからもお判りいただけるものだ。

最初に問題が表ざたになったとき、すなわち2000年から2001年にかけては、ちょうど私が海外駐在から帰って来たばかりで、新たな仕事も尋常ではない忙しさと難しさで、他の政治課題とともに、ほとんど記憶に残っていない。だが本件は2005年ごろ、再燃した。裁判沙汰が起きたからだ。


以下、敬称を略す。敬っていないから。本件の主役の政治家は、当時経済産業大臣だった中川昭一と、官房副長官だった安倍晋三。総理大臣は当初が森喜朗、途中から小泉純一郎に交代している。中川と安部は故人となり、ことの真相は闇に葬られたまま朽ちてゆくのだろう。

2005年ごろの騒動以降、私は自由民主党(その候補者や推薦者も含め)には、一度しか投票していない。その一度切りの例外は、民主党政権の末期に、野田佳彦が「消費税率を10%に上げるが、全てを社会保障の支出にあてる」と明言しておきながら、採決までの段階で、換骨奪胎したときだけだ。


NHKのニュースやドキュメンタリーを観る機会も減った。中には良質な報道もあるので捨てきれずにいるが、あれ以降、「何か言い繕っていないか」、「何か黙っていないか」という、われながら嫌な見方をするようになった。最近は総合放送のメイン番組でも、かつでの教育テレビ「セサミ・ストリート」のレベルにまで下がって来た。

NHKだけつるし上げるのは、不公平なので申し上げておけば、大手のマスメディアや顔の売れた言論人の言うことも、すっかり当てにならなくなった。ネットの書き込みも玉石混交で、無責任なものが多い。私は個人的に地方紙に期待している。まだまだ、多くの地方の方々に読まれている。それとラジオ。つまり、マイノリティの時代を待つ。


(おわり)



カワセミのシルエット  (2022年10月23日撮影)


















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