おじさんの雑記帳 

「20世紀少年」の感想文そのほか 寺本匡俊 1960年生 東京在住

正義の味方  (第1103回)

 漫画「20世紀少年」では正義、未来、平和、自由、権利、理想といった難しい抽象概念をあらわす言葉を、子供たちが普通に使っている。これらは私たちが日常接していた漫画やアニメ、小説や映画に、ごく普通に出てきた。今もそうなのだろうか。どうも違う感じがする。

 当節あまり話題にならないのは、これらが在って当たり前の世界、あるいは、在ることになっている世界に、今の私たちが暮らしているからだと思う。かつては若者が主張するときの用語だったのに、今では我ら年寄りが昔を懐かしんだり、今後を危ぶんだりして使っている。違います?


 いま別のブログで伯父の戦争についての記事を書いているので、昔の人の書いた本や、旧い映画を観る機会が増えた。ありきたりの表現だが、比べてみると、現代の文明が勝ち得て来たもの、失ったもの、相変わらずであるもの、さまざまです。

 そういう古い本や映画の中に、正義の味方をみたので、これから何回かにわけて感想文を書くことに決めた。まともなリーダーが過去にしかいないとしたら緊急事態であり、私はいまそういう心境になりつつある。温故知新。


 こういう次第になった一つのきっかけは、二年前の6月に、このブログで書いた故郷静岡が1945年6月に空襲に遭ったときの話。それとは別の事件であるが、最近よく似た話題に関連する記録を読んだ。今は亡き日本人の話です。

(2年前のURL。ご参考まで) 
http://d.hatena.ne.jp/TeramotoM/20150627/1435385928

 上記の空襲に関連して、私のおぼろげな記憶では、墜落したB29の搭乗員が住民の報復に遭っている。これが記憶違いだとしても、似たようなことは各地であったらしい。通常の庶民感情であり、自分だってやるだろうと書いた。今もそう思う。


 だが、そのあとで、どういう気分になるだろう。敵に捕まって責められたら、何とこたえるのだろう。これは考えるに値することだと思った。そのお手本になるようなエピソードが一つ、映画にもなったのでご存じの方も多いと思うが、大変な有名人という訳でもなさそうだから、ここで書くのです。

 人には一人一人、それぞれの正義があるなどという、分かったようなことを平気で語る人が増え、私は違和感と言うより嫌悪感を覚える。好きにさせろと言っているだけで、犯罪者やテロリストや独裁者の論理に過ぎない。

 正義は分かち合うものであって、権利や自由のように憲法や法律で個人に保障されるものとは、性質が違う。前にも書いたが、価値観も分かち合うものであって、多様化したら、もはや価値観ではない。大きく出たなあ。出過ぎないうちに、次回から本論に入ろう。




(おわり)




上野御陰殿坂  (2017年6月12日撮影)








 治安当局: 「法律は我々の側にある」
 スティーブ・ビコ: 「だが、正義は我々の側にある」

    映画 「CRY FREEDOM」




























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