おじさんの雑記帳 

「20世紀少年」の感想文そのほか 寺本匡俊 1960年生 東京在住

瞳を閉じて  (第1009回)

 前回のタイトルが、ウェイクアップ・コールのごとく偉そうだったので、今回は穏やかに優しく、ちなみに平井さんではなくてユーミンの曲より。彼女のファンには、少し気の毒な言い方をするので予めお伝えいたします。「ボブ・レノン」の話題は尽きたかと思っていたが、まだまだ。今日は歌詞の発音のこと。次回は楽器のことなど。

 中学生のころだったと思うが、新聞か雑誌の記事で、作詞の心得のような趣旨の短文を読んだ。名前は忘れたが、演歌の作詞家だったと思う。大昔のことゆえ殆ど忘れたが、一つだけ鮮明に覚えている注意事項というべきものがあった。各フレーズの終わりの音を「え行」(エケセテネヘメエレヱ)にしないようにというものである。


 わざわざ演歌の作詞家だったはずという記憶を持ち出したのは、演歌のように最後の音(日本語では、ほとんどが母音)を引き延ばして、歌い上げる楽曲は「えー」と伸びたまま終わってしまうと締まりがないというような理由であった。これを守るには工夫が要る。

 なぜかというに日本語の動詞の五段活用では、否応なく仮定形と命令形が「え行」で終わる。これらを避けなければ、作詞家先生の言いつけに背いてしまう。もっとも、フォーク・ソングは音の余韻に浸る癖はなく、拓郎も陽水も、泉谷しげるも語尾は簡潔に切り上げているので、「え行」も耳障りではない。


 その偉大な例外が、われらのユーミンである。彼女はリズミカルな曲はもちろん、私の好きな「瞳を閉じて」のようなスローな曲ではなおさら、語尾を伸ばし続けて数十年。しかも、その伸びた母音の発音にビブラートがかかる。このため「え行」が、ヤギの鳴き声のように響く。

 彼女は当世屈指のメロディー・メイカーだが、こんなに長く第一線で歌い続けながら、歌が上手いとか声が良いという印象が希薄なのは、発声練習が足りなかったからだと勝手に決めている。この点、ロックはさすが挑戦の音楽。忌野清志郎の場合を挙げる。

 この雨にやられて。僕の好きなセンセー。うう、授業をさぼって。昨日は車の中で寝た、あの娘と手をつないで...。片端から冒頭すでに破調である。ともあれケンヂの歌、「ボブ・レノン」は、素直に見事なまで「え行」を外している。


 では、英語ではどうか。英単語は、フレンチほか外来語を除くと、ほとんどが連母音または子音で終わる。われら日本人はこれが苦手で、しかも自分が下手であることに、なかなか気付かない。「My Way」の最後もフランク・シナトラが歌うと、「マイウェイ」で仕上がる。

 でも日本人がカラオケで歌うと(実は、ほとんどのプロの歌手も同様)、「マイウェー」というヤギさん状態に陥るため、やむなく聴き手は拍手で掻き消さないといけない。子音で終えるのは苦行に近い。この点、昨日話題にしたスペインの映画やイタリーもそうだが、ラテン系は母音が付いて回るので聴きやすいし落ち着く。途中で何ですが、ぜんぶ私の感覚です。


 さて、若き日のジョン・レノンは、母音を様々に繰り返して、緊張感と力強さを損なわないようにしている。ヲゥオゥ、イェイイェイという片仮名で書くとみっともないが、その例外はビートルズが世界中で流行らせたまま回収せずに終わった”yeah”だろうな。どこかでケンヂですら、「オー、イエーじゃねえよ」と言っていたような覚えがある。(追記)第18集でした。

 古きフォーク・シンガー時代のボブ・ディランは”blues”という単語が好きで、しばしば「ウーー」と伸ばしているのだが、この人は言葉遣いや歌唱もバラエティ豊かであり、「風に吹かれて」では歯切れの良い子音で終わる単語を頻繁に使う。脚韻は母音だけではない。”friend”と”wind”でも構わない。支離滅裂のまま終わります。





(この稿おわり)






昔の喫茶店には、こんな感じの角砂糖があったような。
(2016年4月7日撮影)






1) まずはユーミン。「瞳を閉じて」。

 小さな子供に尋ねられたら
 海の青さをもう一度伝えるために
 いま瞳を閉じて



2) お次はボブ・ディラン。”Blowin' in the Wind”

 How many seas must a white dove sail,
 before she sleeps in the sand?

 幾つの海を渡れば 白き鳩は砂地で眠りにつけるのか



3) 大トリは「旧約聖書」 創世記第八章
  (ウェブサイト「口語訳聖書 創世記 日本の聖書」より拝借) 
  

 ノアはまた地のおもてから、水がひいたかどうかを見ようと、彼の所から、はとを放ったが、はとは足の裏をとどめる所が見つからなかったので、箱舟のノアのもとに帰ってきた。水がまだ全地のおもてにあったからである。彼は手を伸べて、これを捕え、箱舟の中の彼のもとに引き入れた。それから七日待って再びはとを箱舟から放った。はとは夕方になって彼のもとに帰ってきた。見ると、そのくちばしには、オリブの若葉があった。ノアは地から水がひいたのを知った。さらに七日待ってまた、はとを放ったところ、もはや彼のもとには帰ってこなかった。







一輪挿しオリブ (2016年4月9日撮影)





















































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