最初に神谷美恵子「こころの旅」を読んだとき、これは良い本に巡り合ったなと冒頭部分で思いました。印象に残った分を飛び飛びに転記します。この「こころの旅」が、「からだの健康」という雑誌の連載だったことも関連しています。
・ 人の生にこんなにも重みが感ぜられるのはその生命にこころなるものがあまりにも発達してそなわってしまったからなのであろう。
・ いうまでもなくこことは肉体と切っても切りはなせない関係にある。
・ 日本人論をどんなに構築してみたところで、個々の日本人のこころがすっかり説明できるものでもないのである。それはおそらく人間が環境にあい対して生きるという構造を持つに至っているからであろう。
内容と直接関係のない感想から始めます。この連載が始まったのは前述のとおり1973年。私が中学生だったこの年、石油ショックが始まりました。それはそうと、本書に限らずこのころの本を読んでいると、ひらがなが多いことと、句読点が少ないことによく気づきます。司馬遼太郎の作品も同じ。
上位引用の各文を私なりに言い換えると、「人生の重さは、こころがあまりに発達した点にある」、「こころと体はつながっている」、「個々人のこころは、総論のみで語れるものではない」。
いずれも、次回以降に参照する第八章から第十章を読むにあたり、キーワードとなります。著者は精神科医です。その立場から、精神医学は脳という体の一部(内臓)の病気を診療する科でありますが、とはいえ、こころの重さが我々について回ることを臨床医の経験から指摘しています。
次に西洋の思想に影響でしょうか、私も肉体と精神は別物という、先入観がありました。そうと信じる思想信条を持つのは自由ですが、私のように霊魂や天国の存在を信じていない者にとり、この「こころと体はつながっている」という指摘は、とても「落ち着く」考え方です。病は気から。
最後の「日本人論をどんなに構築してみたところで、個々の日本人のこころがすっかり説明できるものでもないのである」という点は、この先、そうはいっても年齢や性別などにより、階層別のアプローチ、社会環境の影響などを論じていきます。体の変化(加齢や病気)は個人間で共通点が多いし、目に付きますから、これも避けられない議論です。
その際に、著者が個々人のこころを軽んじているものではないことを自覚しておかないと、「日本人論」「世代論」みたいな抽象性の高いだけのものに読まれかねません。それでは第八章の読書に進みます。
(つづく)

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