前回の続きです。今回は短編集の最後から二番目の作品、「その日」。ちなみに最後の作品は「その日のあとで」。この作品集における「その日」とは主人公によると、「僕たちは、いずれ訪れる和美の亡くなる日を『その日』と呼んでいた」。ただし、この短編は「その日」の少し前の日から始まります。また先述のように、過ぎ去りし日々の回顧も記されています。
この少し前の日というのは、和美が六人用の病室から個室に移された「四月の初め」の或る日です。主治医の永原先生から、「来月までは、ということはないと思います」という見込みが伝えられました。主人公は個室の壁が厚いのに気がつきます。患者の苦しみの声か、それとも家族の慟哭の声か、何か外に漏れないような防音ではなかろうかと訝しみます。
個室に移された和美は昏々と眠ったままで、手をさすると骨と血管の起伏までわかり、四十度近い発熱が続いています。これを見て主人公はかつて、やせ衰えた自分の姿を子供たちに見せたくないと言っていた妻の願いと約束をあえて違えて、二人の息子を病室に連れて来ることに決めました。病院から職場へ向かうのタクシーの中で、彼の携帯電話が鳴ります。
この日、緊急用として携帯電話の番号を永原先生に伝えた主人公は、病院の電話番号の呼び出し音だけ、ハッペルベルの「カノン」を設定しました。病院からの通知だけは、通常の鳩時計の呼び出し音ではなく、美しい音楽で聴きたくなったからです。タクシー内で鳴ったのは鳩時計で、苦笑して出た電話は仕事関係のものでした。頬を緩めたせいか、すぐイラストの仕事の話に入ることができます。
このとき「和美のことはふっと頭の中から抜け落ちた」。このあと次の段落に移り、「日常というのは強いものだと、和美が病気になってから知った」と続きます。検査結果を聞き、不安が絶望に変わり、二人は毎日泣き、のんびり屋だった和美も神経質になってしまいます。そしてこのまま絶望を抱えて何か月も生きられないことを二人は身に滲みて悟りました。
主人公は絶望に耐えられなくなると人は死ぬのだと考えます。ちなみに私が題名だけ知っている本にキルケゴールの「死に至る病」という哲学書がありますが、本文の冒頭に「死に至る病とは絶望のことである」と明記されています(岩波文庫)。主人公としては、二人の子のためにも死に至るわけにはいきません。「だから、僕たちは日常を生きた」と続きます。
僕たちの日常と言っても、余命宣告を受けた患者の和美と、その先も生きてゆく主人公では、日常の意味が異なりました。和美の場合は写真を選んで残したり始末したり、お世話になった人たちに連絡を取ったり、故郷の町に帰って親族と話をしています。彼女が選んだ棺におさめる遺影は、家族写真と二人が若かったころの夫婦の写真。
一方の主人公は、先のエピソードでも分かるように仕事に力を入れます。彼は総勢五名のイラストほかデザイン全般を手掛ける小さな会社の社長です。社員にも事情を伝えたうえで仕事を続けます。この社員たちが後に登場しますが、二人の息子と同様、彼の心の支えになっています。会社は彼の「城」であり時には家庭より居心地がよく、「悩みを打ち明けられる相手がいることを幸せに思う」と感じています。それもこれも、彼がこれまで家族と社員を大事にしてきたからこその賜物です。
もちろん彼の「悲しみは深い」ままです。それでも主人公は和美の病院に通い続けるうちに、これもまた日常のこととなり、それがために「僕は悲しみとの付き合い方を覚えたのかもしれない」と考えています。私も何度か、病院へのお見舞いを重ねた経験があります。入院中の相手のためというより、正直なところ、自分のためであったような感じが確かにあります。
短編の続きは職場に移りますが、以下次号と致します。なお、この小説のあとは、重病のため死に直面しつつ生きた二人の学者(いずれも故人)の本を読むつもりです。こちらはフィクションではないし、親しい者を病気で失うという設定でもなくて、自分自身が患者ですから重い内容です。私自身もこういう読書とブログを日常にして生きています。
(つづく)

.