おじさんの雑記帳 

「20世紀少年」の感想文そのほか 寺本匡俊 1960年生 東京在住

息子が来たぞ  (第1289回)

 前回の続きで重松清その日のまえに」に収録されている短編小説「ヒア・カムズ・ザ・サン」をもう一回記事にします。作品のタイトルはザ・ビートルズの楽曲”Here Comes The Sun”に由来します。

 私の世代は現役時代のビートルズを微かに覚えている最後の年代だろうと、このブログに何回か書きました。小学生の私は金もないのに街のレコード店を覗くのが好きで、ある日、ビートルズの新譜入荷とあり、4人が交差点を歩いているジャケットを見たのを覚えています。あれからもう半世紀以上が経過しています。人間五十年。


 母ちゃんは後に息子のトシくんと、ストリート・ミュージシャンのカオルくんに語った思い出話によると、ティーンエージャーだったころの母ちゃんは、このジョージ・ハリスンの曲が好きでした。

 ただし、「サン」は本来の太陽ではなく、息子の意味だと取り違えており(発音が同じです)、例えば待ちわびていた息子が戦争から還って来たというような場面を想定していたのだそうです。

 
 告知を受けた日、母ちゃんはカオルくんと初めて会い、西洋クラシックを奏でているカオルくんに、このアコースティック・ギターが軽快なスリーフィンガー・ピッキングを聞かせる曲をリクエストしたらしく、でもカオルくんは知らない曲で応えられなかったらしい。

 母ちゃんの脳裏に「息子」にどう伝えたらよいかという、気の重い悩みがありました。その足で帰宅した母ちゃんはトシくんに胃カメラをのもうかという作り話をして驚かせましたが、一方でトシくんはこの夜、会話の最後になって、母ちゃんが一度も自分と目を合わせなかったことに気づきます。


 先述のように母ちゃんは、トシくんに少しづつ事態を伝えようとし、二つの伝達方法を採用しました。一つはかつて多くのうちにあった「家庭の医学」という分厚い素人むけの医学書。もう一つは、より正確に知らせるために人を介在させます。でも親一人子一人の母子家庭ですから、共通の相手が見つからない。カオルくんに白羽の矢が立ちました。他言しそうもない若者に見えたようです。

 一つ目の自宅内トラップ「家庭の医学」に、トシくんは見事に引っかかります。最初にしおりがある箇所を読んでみたら、重症も軽症もある肺がんの頁でした。息子は読み進めつつ、一喜一憂します。


 後日、しおりはもっと先の頁に進んでいました。「尊厳死リビング・ウィル、ターミナル・ケア」。何れも現代医学の重要課題ですが、すでに家庭の医学の領域とは申しかねる内容です。緩和病棟。私の高校の同級生も、そこで亡くなりました。

 トシくんは居ても立ってもいられなくなり、自転車を飛ばして駅前方面に急行し、カオルくんに会いにゆきます。母ちゃんはまるで初恋の相手について語るようにカオルくんの話をしていました。何か知っているかもしれない。


 何かどころか、彼女は母ちゃんから家庭の諸事情、トシくんの性格、そしてガンを告知されたことまで聞き知っていました。まだまだトシくんは母ちゃんから見て頼りなく、「あんな息子を残して死ねない」とまで言われてしまっている。

 歌える雰囲気じゃないと坐って話していたカオルくんですが、トシくんが頭を抱えて黙り込んでしまってから、再びグレゴリオ賛歌の演奏に入ります。やがて小さな「一人分の拍手」が聞こえて来ました。カオル君の演奏と来てくれた息子に対する母ちゃんの拍手です。


 練習しましたと言って、カオルくんは二人に「ヒア・カムズ・ザ・サン」を聞かせます。カオルくんは本当なのか、それとも母ちゃんに話を合わせたのか分かりませんが、自分も太陽ではなく「親子」だと思っていたと伝えています。

 歌い終えたカオルくんは天使か幽霊のごとく、いつの間にか消えてしまいます。残された母子は久しぶりに手をつないで泣きながらうちに帰ります。この短編はここで終わりますが、その続きが「その日のあとで」に出てきます。母ちゃんは「ひこうき雲」に出て来た山本学級委員長が看護師長として働いているターミナル・ケアの病棟に入院します。


(おわり)

宮沢賢治記念館にて  (2025年9月28日撮影)































.