おじさんの雑記帳 

「20世紀少年」の感想文そのほか 寺本匡俊 1960年生 東京在住

ヒア・カムズ・ザ・サン  (第1288回)

戦後の日本では、個々人にとっての生老病死の在り方が大きく変化しました。例えば、家族構成の影響があります。私が生まれ育った家庭は祖父母、両親、私たち兄妹の三世帯が平屋に暮らしておりました。両親が働いていましたので、子育てには祖父母も加わっていました。

そのころから、もう使われなくなった言葉ですが「核家族化」が進みました。特に戦後第一次ベビーブーマー(いわゆる団塊の世代の前後)が親きょうだいから離れてマイホームを建て、いまだに政府が使う「標準型の家族モデル」(両親と子供二人)が一般化します。


これがいつごろ標準となったのか、統計を見た覚えがありませんが、いまでも覚えている関連情報の一つに、2000年ごろの国民意識調査の結果において、「老いた親の面倒を誰が見るべきか」という質問に対し、それまで一位だった同居家族を抜き、介護施設が首位になったことです。

これは日本における介護保険制度が、2000年に成立したことと平仄が合っています。このころ以降の子供たちにとって、じいちゃんばあちゃんは遠くに住んでいる親戚であり、盆暮れ正月に会いに行く存在になったわけです。老いや死は、それほど身近なものではなくなりました。


現在読書中の重松清その日のまえに」は、文庫本の巻末をみると、各短編は2000年代半ばに、個々に雑誌に掲載されています。ちょうど上記のような日本の家庭状況が変わって来たころです。実際、登場人物たちが祖父母と同居している気配はありません。

他方で親子の仲は親密です。それがこの悲惨な運命を背負わされる人たちの物語集において、大きな救いになっています。現実の社会問題として私たちは老々介護や、ヤングケアラーの報道等に日々接しているだけに、「こういう家庭をつくろうではないか」というメッセージも受け取ります。


今回次回の短編の題名はブログのタイトルのとおり「ヒア・カムズ・ザ・サン」。主な登場順物は、母一人子一人の母子家庭でがんばる「母ちゃん」、語り部の一人息子「トシくん」高校生、謎のストリート・ミュージシャン「カオルくん」高校生。

母子は一見、互いに言いたい放題ですが、ある日から言いたいことが言えなくなり、でもすっかり黙ってもいられなくなります。ある日とはこの短編集でいうところの「その日のまえ」が始まったかもしれない日です。


かもしれない、という意味は、母ちゃんのガンが「もう手遅れ、という時期には達していない」と主治医にも、セカンドオピニオンでも言われたためです。さて、この小説は「その夜、母ちゃんはご機嫌だった」で始まります。

営業で走り回る母ちゃんは、その日、路上でギターを奏でるカオルくんに会い、一目ぼれのような有様で大ファンになって帰宅します。トシくんは寿司やら肉やらの御馳走に大喜びなのですが、後に母ちゃんがこの日、ガンの告知を受けていたことを知ります。


その前すでに健康診断でひっかかり、胃カメラをのんで精密検査を受けてのことでしたが、この日まで母ちゃんは黙っていました。ご馳走を買って帰ったのは、料理する元気が出なかったのかもしれません。

カオルくんは、グレゴリオ聖歌を弾いていました。通りすがりの母ちゃんが、この荘重な音楽に惹かれたのも告知のせいだったのかもしれません。ではトシくんにどう伝えるか母ちゃんは悩みます。好奇旺盛な息子に遠回しに少しずつ伝えることにしたようです。


もしも手遅れになってからいきなり伝えたのでは、トシくんが受けるであろう衝撃は計り知れません。かといって或る程度は進行しているようですから、いずれは手術や入院となるはずなので、お互い闘病に向けた心の準備もしないといけません。

この夜、母ちゃんはカオルくんへの賛辞をトシくんに散々吹き込んだあとで、健康診断で幾つか所見があったので胃カメラを呑もうかなと思っているとだけ、トシくんに伝えました。トシくんはもちろん動転しますが、疲れて帰って来た母ちゃんがあまり話したがらない感じで、質問攻めにもできない。まだ小さなころ父親を失い、彼には母ちゃんしかいません。さあ、これからどうする。


(つづく)

ダイサギ  (2025年8月30日撮影)
























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