おじさんの雑記帳 

「20世紀少年」の感想文そのほか 寺本匡俊 1960年生 東京在住

納棺夫日記  (第1281回)

 
 拙宅の本棚にある青木新門著「納棺夫日記」(文春文庫)は、1996年に出た「増補改訂版」の第22刷で2009年のもの。初版の原本は1993年なのですが、時間が経って急に売れたのは、この本を読んだ本木雅弘が主演した映画「おくりびと」が、2009年にアカデミー賞の外国映画賞を受賞したからでしょう。私のようなミーハーが好奇心で買ったに違いありません。

 本書は題名のとおり納棺の仕事をしていた著者が、当時つけていた日記をもとに、前半はドキュメンタリー風に、後半は宗教、死生を語る思想書として取りまとめたものです。もっとも、納棺夫という言葉は無かったそうで、納棺が上手いと評判になった著者が、いつのまにかそう呼ばれるようになったと書いています。


 舞台は富山、立山が見える北国。私は静岡で生まれ育ち、社会人になってからは東京暮らしが長く、いずれも温暖なので北国の気象(特に寒い季節)に疎いです。みぞれというのは雨と雪が混じった状態で降って来るもので、これも単発的に経験したことはあったと思いますが、「みぞれの時期」というような季節の移り変わりを表すような気候になじみがありません。

 著者によると、山々の紅葉が積雪に追いつかれぬように山裾を駆け下りるころ、山麓の柿の木の葉が落ち始め、その枝の先に小さな柿の実が現れるころ、「みぞれが降り始める」。晩秋の光景でしょうか。この描写のあとに、宮沢賢治「永訣の朝」が出てきます。とし子が病死したのは11月の下旬でした。朝からみぞれがふって、おもてはへんにあかるいのだと兄は詠います。

 とし子のいう「あめゆじゆ」が、みぞれ(雨と雪)のことのようです。この詩は方言が持つ標準語にしづらい発声と、標準語に訳しにくい抒情を何とかそのまま伝えようとする宮沢賢治の苦心が随所に伺えます。私は積雪の白い世界をイメージしていましたが、どうも違うらしい。まだ雪は積もっていないようです。


 「納棺夫日記」の詳細はぜひ原作をお読みいただくとして、私は二か所だけ、初回の読書で印象に残った箇所と、今回再読してみて新たに思うところがあった箇所を引用し、感想を述べます。初読で印象に残ったこととは、いま人は死から眼をそらし、忌まわしいものとして「タブー視」しているという趣旨の文が数多く出てきます。

 これらは彼が受けた職業差別や、家族からも浴びせられた嫌悪の言葉などと共に語られますから、説得力があります。上掲の出版経緯からすると日記をつけていたのは、おそらく高度経済成長からバブル景気の時代、最初に出版されたころには、バブルがはじけています。さもありなん。はじけて失せたのは好景気だけでは済まなかったのです。「みぞれに育った私」である著者にとって、生死は雨ならず雪ならずの常なきものであったようです。


 もう一か所の今回の再読で気になった文章は、まずその前段に高度成長前の遺体は、自宅死亡が五割以上で、遺体は黒ずみ枯枝のように痩せ細り、部屋の片隅に「くの字」になって横たわっていました。これをまっすぐのお棺に遺族の前で納めなければならないのですから、大変な仕事です。いつも汗まみれだったと回顧しています。ところが、時代とともに変わりました。引用します。

 「最近とみに、ぶよぶよした死体が多くなってきた。ナイロンの袋に水を入れたような、青白いぶよぶよ死体である」。これは病院から時には管をつけたまま運び出されるもので、「晩秋に枯葉が散るような、そんな自然な感じを与えないのである」。遺族に無礼だと思いますか。おそらく御遺族も、その「ナイロンの袋に水を入れたような」ものに触れる機会もなく、「業者任せ」になっているはずです。


(おわり)


奄美の毒蛇 ヒャン  (2025年7月12日撮影)

















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