おじさんの雑記帳 

「20世紀少年」の感想文そのほか 寺本匡俊 1960年生 東京在住

遠い夜明け  (第1363回)

 あれと言う間に、通常国会が終わってしまった。憲法改正も宙に浮いたままで、少なくとも強引にどこかへ進むほどの余裕がなかった。それより、個人的に不気味に思うのは、教育のことだ。

 今年に入ってから、事が多い。教育勅語の幼稚園の話から、口利きと公金の使いみちについての話題が始まり、これから検察の出番だという。道徳の教科書では、パン屋さんが和菓子屋さんに変えられた。高校を無償にするというのは悪くないが、それより保育所の課題解決が優先ではありませんか。

 また、なぜか文部科学省だけ天下りが問題になった。このことで退職に追い込まれた元事務次官が、公文書の問題を提起している。そして獣医学部の件。かくのごとく、教育当局にばかりにかかっている圧力は、いったい何なのだろう。誰か教えてくれないかな。

 

 今回で第六章の司法が終わる。秘密裁判も欠席裁判も駄目という条項だ。では、いつものように比較から。

【現行憲法】 

第八十二条 裁判の対審及び判決は、公開法廷でこれを行ふ。
2 裁判所が、裁判官の全員一致で、公の秩序又は善良の風俗を害する虞があると決した場合には、対審は、公開しないでこれを行ふことができる。但し、政治犯罪、出版に関する犯罪又はこの憲法第三章で保障する国民の権利が問題となつてゐる事件の対審は、常にこれを公開しなければならない。


【改正草案】

(裁判の公開)
第八十二条 裁判の口頭弁論及び公判手続並びに判決は、公開の法廷で行う。
2 裁判所が、裁判官の全員一致で、公の秩序又は善良の風俗を害するおそれがあると決した場合には、口頭弁論及び公判手続は、公開しないで行うことができる。ただし、政治犯罪、出版に関する犯罪又は第三章で保障する国民の権利が問題となっている事件の口頭弁論及び公判手続は、常に公開しなければならない。


 いきなり、「対審」という聞きなれない言葉が出てくるが、これは改正草案が言い換えをしている「口頭弁論及び公判手続」と同じ意味のようなので、そうであれば、第2項も含めて第82条の両者に本質的な違いはないはずだ。

 この対審でなければならないというのが、先ほど「欠席裁判は駄目」と自分なりに言い換えた部分で、しかも「公開の法廷で行う」という大原則が打ち立てられているので、秘密の裁判も駄目だ。


 前に書いたかもしれないが、一度だけ、仕事に必要で地裁の公判を見に行った覚えがある。IDの提示と身体・持ち物の検査を受けただけで、予約も入場料も要らない。

 原告も被告も、私の目の前にいて、実名を呼ばれている。憲法どおりで結構なのだが、それにしても裁判なんて遠い世界だと思っていたら、国会や皇居に入るより、はるかに楽だ。


 ところで、この条項には、上記の公開の原則に対する例外と、その例外に対する例外が定められている。公開の例外とは、「裁判官の全員一致で、公の秩序又は善良の風俗を害するおそれがあると決した場合」。

 これが広く何を意味しているか分からないが、公序良俗に反してはいけないと民法の第一条に書いて歩あるくらいだから、われわれの生活全般を脅かす何物かは避けなければならない。私が思いつくのは、原告や被告のプライバシーの保護だ。例えば、少年法とか性犯罪の被害者とか。


 次に例外の例外とは、第2項にある「政治犯罪、出版に関する犯罪又は第三章で保障する国民の権利が問題となっている事件」は、必ず公開しなければならないというものである。これから増えませんように。
 
 先日、話題に出した映画「ガンジー」の次に、同じ監督の「CRY FREEDOM」(邦題は「遠い夜明け」)も観た。いずれの映画も、主人公が政治犯として捕まり、特に「遠い夜明け」では、裁判の前に警察で死ぬ。治安維持法に殺された小林多喜二と全く同じ。


 「遠い夜明け」の主人公の一人、スティーブ・ビコは、名前と出来事の概要ぐらいだけ、十数年前から知っていた。そのころ初めてアフリカへの出張が決まり、行き先の国々の基礎情報を慌てて集めたのだが、その中に南アフリカ共和国が入っていたのだ。

 ヨハネスブルクに着いたとき、迎えに来てくれた現地の駐在者が車中で、「昨日、うちのオフィスの隣にある銀行に強盗が入って、銃撃戦になった。」と言った。だからどうしろという訳でもなく、「いらっしゃい」という感じであった。


 マンデラさんが解放された直後のことだったと思うが、もう夜は明けただろうか。国もいったん調子が悪くなると、立ち直るのに時間がかかるというものだろう。

 ごく大雑把に述べれば、司法は過去に起きたことを対象とする。行政は現在、立法は未来のためだろう。特に憲法は、そうだ。違憲訴訟は、政治犯罪の裁判の典型例であるはずだ。これから増えるだろうか。それとも、減らされるだろうか。




(おわり)



近所のバラ  (2017年6月8日撮影)


拙宅のバラ  (2017年6月11日撮影)