おじさんの雑記帳 

「20世紀少年」の感想文そのほか 寺本匡俊 1960年生 東京在住

祈りの声 蹄の音 歌うようなざわめき (第1349回)

 今週は柄にもなく忙しいため、今回は簡略に参ります。第20条の第2項。強制禁止を強調する異色の定めだ。この条項は、改正草案において変更点がないため、何が書いてあるかだけ確かめる。条文は次のとおり。第3項は次回に読むので、今日は略します。

第二十条 信教の自由は、何人に対してもこれを保障する。いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない。
二 何人も、宗教上の行為、祝典、儀式又は行事に参加することを強制されない。


 第1項の前半と同じく、「何人も」であるから、いずれも日本国民のみならず、日本に住んでいる外国人も含む。このうち、「行為、祝典、儀式又は行事」とは何か。別に読み流しても、大事にはならないだろうが、せっかくの機会だ。英語版の力を借りる。太字の部分が対応している。

 Article 20. Freedom of religion is guaranteed to all. No religious organization shall receive any privileges from the State, nor exercise any political authority.No person shall be compelled to take part in any religious act, celebration, rite or practice. The State and its organs shall refrain from religious education or any other religious activity.


 行為は「act」。以下、例示は全て私の推測です。宗教的な行為というのは、残る三つ以外の全部を含みそうだ。残りの三つは言葉の印象からして、基本的に組織的な行動であろう。したがって、個人で行う礼拝、座禅、念仏、初詣、五寸釘などが、この行為に当たるのだろう。

 祝典は「celebration」。クリスマス・パ―ティ、神式の結婚式。儀式を意味する「rite」は普段あまり見かけない英単語だが、荘厳な式典のことだそうだから、葬式・法事が典型なのだろう。行事は「practice」。神社仏閣にいくと、年中行事とか今月の行事などと書かれた張り紙をよく見かける。要するに、冠婚葬祭のことだな。


 さて、参加を強制されないのは有難いが、では、その反対の「不参加を強制されない」というのも変な日本語だが、つまり「立ち入り禁止」というのはどうなのか。書いてないから無い、で済ませたいが、一応、考えてみる。

 今の時代にもあるかどうか知らないが、宗教は性別や人種に厳しいものもあり、女人禁制とかユダヤ人だけが救済されるとか、関係者以外お断りというものがある。これも信仰の自由のはずだ。

 換言すれば、女性ばかり例に挙げて恐縮だが、かつての高野山のように女人禁制の宗教施設に、無理やり女性が「入れろ」というのは、第1項の「宗教的な行為」の強制に(教えに反することを受け入れよということだろうから)、広い意味で該当するものだと思う。


 かつて、パキスタンイスラマバードにある同国最大のモスクを見物に行ったことがある。敷地内には入れてくれたが、あの丸っこい建物は異教徒不可ということで、文字どおり門前払いであった。ただし、門番のおじさんは心の寛いお方で、しばらくの間、入口の扉を開け放して中を見せてくださったのであった。床の上で無数の人々がお祈りを捧げていて壮観だった。

 イスラム教国やキリスト教国にもいろいろあって、その宗教を国教としている国もあれば、実質的に国教でも、そういう公式の定めが無い国もあるらしい。また、国教であると規定されていても、ほかの宗教を信仰する自由がある国と、禁止されている国とがあるらしい。


 パキスタンではイスラムが国教だが、他の宗教の信仰も許されている。私は同国でキリスト教徒に会った。ヒゲをはやしていないので不思議に思い、その人の同僚に訊いたら「彼はクリスチャンだ」と教えてくれたのだ。

 現地滞在の長い日本人に聞いたところでは、表向きは厳禁されたカーストも、今なおインド文化圏では隠然たる力を持った社会規範であるらしい。周知のとおり「アンタッチャブル」(不可触民)というカーストの外、最下層のさらに下という残酷な階層もある。

 彼らは、その国の支配的な宗教では救われないという理解で良いのだろうか、例えばキリスト教徒になることが少なくないとのことだった。思えば、バビロンに捕囚されたヘブライの人々が、あれほどまでに強烈な民族宗教を創り上げたのも、同じような事情であったのかもしれない。そういう意味で、宗教を禁止されている国家とは、社会的弱者にとって恐ろしく厳しい世界である。




(おわり)





ある山村にて。この道の先に仏像が立っている。その先に神社がある。まことに今の日本は自由だ。
(2016年9月24日撮影)









































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