おじさんの雑記帳 

「20世紀少年」の感想文そのほか 寺本匡俊 1960年生 東京在住

宗教団体に政治上の権力を行使させたい場合  (第1347回)

 万一、ここに直接あるいは途中からお越しいただいた方々がいらしたならばお伝え申し上げます。このカテゴリーの最初に書きましたが、私は法律家ではないし、政治家でもないし、憲法の本やサイトも殆ど全く読んでいません。まずは誰の意見にも左右されることなく独学するため、個人的な意見としてこれを書いています。ただし、メディアやネットの影響は、もちろん避けられません。

 なお、前回あまりに誤字脱字が多かったので書きなおしました。お恥ずかしい。今回はようやく第20条の条項本文に入る。三項ある。このうち、第2項は以下のとおり、いまの憲法自民党の改正草案は同じ。今回は第1項、後に第2項をテーマにする。それでは、いつものように併記して比較する。


  【現行憲法

第二十条 信教の自由は、何人に対してもこれを保障する。いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない。
二 何人も、宗教上の行為、祝典、儀式又は行事に参加することを強制されない。
三 国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない。


  【改正草案】

(信教の自由)
第二十条信教の自由は、保障する。国は、いかなる宗教団体に対しても、特権を与えてはならない。
二 何人も、宗教上の行為、祝典、儀式又は行事に参加することを強制されない。
三 国及び地方自治体その他の公共団体は、特定の宗教のための教育その他の宗教的活動をしてはならない。ただし、社会的儀礼又は習俗的行為の範囲を超えないものについては、この限りでない。


 本稿において今回、嫌味なタイトルを選んだのは強調したいがためで、改正草案の第一項は、現憲法にある「又は政治上の権力を行使してはならない。」という我が国の政教分離にとって極めて重要と考える箇所を外している。

 さらに細かいことを言うと、草案では主語が、「宗教団体」から「国」に替わっている。これは、上記の削除の結果、宗教団体が主語になる必要がなくなったためでもある。ほかに理由があるかどうかは分からない。たぶん、特権禁止の部分は同じ意味のままだと思うのだが。


 第1項の改訂案は、至って明確な意思表示である。改正草案を作った人々は、宗教団体に政治上の権力を行使してほしいのだ。お得意の「公益及び公の秩序に反しない限り」という制限すらない。めでたく全面解禁である。では、何を念頭に置いて、かくも寛大な措置をせんとしているのだろうか。

 現時点で連立与党を組んでいる公明党は、周知のとおり創価学会を支持母体としている。私が青少年だったころ、記憶が定かではないが、両者の関係は憲法第20条の政教分離に反するのではないかという議論があったように思う。

 では、確認できるだろうか。幸い同党の公式サイトは、これを書いている時点において、真っ向からこの課題を取り上げている。該当部分を引用します。 
【追記】当時と現在で内容が微妙に変わっている。
https://www.komei.or.jp/faq/


Q. 公明党創価学会の関係は?

A. 政党と支持団体の関係です。各政党を労働組合や各種団体などが支持する関係と同類です。公明党創価学会不定期で「連絡協議会」を開催し、協議内容はマスコミ公開されています。一部週刊誌等で「政教一致だ」とか「憲法20条に違反した関係にある」等の記事が掲載されることがありますが、全く的外れな批判であり、既に国会の論戦の場でも決着済みのことです。そもそも、憲法が定める「政教分離」原則の意味は、憲法が宗教団体の政治活動を禁止しているということではありません。
 内閣法制局は「憲法政教分離の原則とは、信教の自由の保障を実質的なものとするため、国およびその機関が国権行使の場面において宗教に介入し、または関与することを排除する趣旨である。それを超えて、宗教団体が政治的活動をすることをも排除している趣旨ではない」(大森内閣法制局長官の国会答弁趣旨=1999年7月15日)としています。憲法が規制対象としているのは、「国家権力」の側です。つまり、創価学会という支持団体(宗教法人)が公明党という政党を支援することは、なんら憲法違反になりません。国家権力が、ある特定の宗教を擁護したり、国民に強制するようなことを禁じているのが「政教分離」原則です。
 具体的に言うと、先の戦前・戦中に実際にあった事実として軍事政権・国家(政)が、一定の「国家神道」(教)を強要したり、天皇陛下を神に祭り上げ、思想統制を図ろうとしたことなどです。この反省に立ち、信教の自由、言論の自由、結社の自由−−などが定められ、「政教分離の原則」が条文に記載されたのです。


 太字にして段落もつけた二箇所は、以下の議論で使うため、私が強調しました。長文だが、引用は必要十分なだけすべきであるという、丸谷才一さんのご意見に従っている。「A」の第一文には、両者が政党と支持団体の関係であり、第二文に国会で決着済みとある。確かに最近は聞かないが、やはり昔は話題になったらしい。

 次に出てくる「憲法が定める『政教分離』原則の意味は、憲法が宗教団体の政治活動を禁止しているということではありません。」という件が、たぶん過去に議論になったのだ。その結果が、続く内閣法制局の見解である。然り、オウムも排除されることなく国政選挙に出た。


 この内閣法制局長官の答弁がなされた1999年という年は、公明党が初めて自由民主党と連立し、与党となった年である。政治の力学というのは、こういう具合に作用するものらしい。なお、あくまで見解は内閣のものである。最高裁ではない。

 私見ながら、公明党さんの説明は間違いではなくとも、一般論としては少し言葉足らずだろう。与党になれば国家権力の一員であることに疑問の余地はなく(野党だって立法府に所属する限り、議題によっては与党に与するのだから同様だろう)、したがって、支援団体に特定の宗教団体があるならば、まず上記のとおり、その宗教を政治的に擁護してはならない。


 次に、宗教団体を支持母体に持つ政党は、憲法に書いてあるように、その宗教団体に特権を与えてはならず、宗教団体も(これがあるから主語になっている意義がある)、政治上の権力を行使してはならない。ここまでは良い。右の写真は前回の五重塔跡。


 そして思うに、投票も合法の政治献金も構わないが、特に与党ならば、その宗教団体の代表的な人物が、個人的にでも政治(特に支持する政党)に直接関与してはいけないはずだ。この点は、どうだろう、間違いか?

 間違ってはいないという強引な前提で、気が向かない話題に触れなければならない。憲法の勉強を始めるまで存在すら知らなかったのだが、憲法関係であれこれネットで検索していると、最近よく出てくるのが「日本会議」という団体名で、関連する書籍もいろいろ出ているようだ。正直に第一印象を申し述べます。この偉そうな名称は何だ。自由ですが。


 今回は正体を良く知らない以上、この日本会議の公式サイトだけを情報源にする。「日本会議とは?」というページがあり、改正草案の前文とよく似た文章を読むことができる。まさか書いてもらったのではあるまいな。誰かのせいで、最近疑い深いのです。

 この文章の中に、「私達の新しい国民運動に呼応して、国会においては超党派による『日本会議国会議員懇談会』が設立されています。」という一節がある。この「超党派」というところに配慮が行き届いている。何故そう感じるかというと、会議の主な顔ぶれに宗教関係者が多いから、第20条対策だろう。なお、その宗教関係者がたも、各団体からお越しの「超党派」である。


 もっとも憲法は「いかなる宗教団体は」という表現を使っているので、複数だろうが海外だろうが、ダメなものはダメ。そして私の上記「間違ってはいないという強引な前提」が正しければ、個人で別団体にも所属していようが、本業が宗教団体を代表するような人ならば、例えば与党のみならず野党でも超党派でも、立法に関わってはいけない。まして憲法はいけない。

 上記のサイトには「役員名簿」もあり、どうみても神道の立派な肩書らしきものをお持ちの方が少なくない。もう一度、公明党サイトの転載箇所に戻り、二つ目の太字部分を読む。「具体的に言うと、先の戦前・戦中に実際にあった事実として軍事政権・国家(政)が、一定の「国家神道」(教)を強要したり、天皇陛下を神に祭り上げ、思想統制を図ろうとした」のがいけなかった。


 今のところ大丈夫というご判断だから、これだけ堂々としていなさるのだろう。ただし、前段の引用文は、現在の憲法でいうと第20条第2項に反する行い(すなわち、強制)であった。それ以外にも、第1項では「政治上の権力を行使してはならない。」と明言している。これも大丈夫のおつもりらしい。

 それでは、なぜ改正草案は、これを削ろうとしているのだろうか。すでに、第一章から第三章の途中のあちこちで、私は草案起草者の明治憲法へのノスタルジーを感じてきたし、このことは他にも多くの人が指摘している。同じ路線ならば、またしてもペアの候補は国家神道なのか? まだ軍事国家ではないと思うが、政教野合の弊害が、軍事や思想統制だけではないことを次回、確かめる。







(おわり)






新潟の山中にて  (2016年9月24日撮影)






































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