おじさんの雑記帳 

「20世紀少年」の感想文そのほか 寺本匡俊 1960年生 東京在住

その責任を負ふ  (第1313回)

 前回で「小寺文書」のブログの引越しが終わりました。本日以降は、「憲法と社会」の引っ越しです。今回は第1047回の続きで、第一章の「天皇」の最終回。次に「戦争の放棄」へと移ります。天皇の章は、最後に現行憲法の第3条と第7条を対象にします。先に問題なく読めそうにみえる第7条をみる。国事行為の限定列挙(これで全部というリスト)である。


  【現行憲法

第七条 天皇は、内閣の助言と承認により、国民のために、左の国事に関する行為を行ふ。
一 憲法改正、法律、政令及び条約を公布すること。
二 国会を召集すること。
三 衆議院を解散すること。
四 国会議員の総選挙の施行を公示すること。
五 国務大臣及び法律の定めるその他の官吏の任免並びに全権委任状及び大使及び公使の信任状を認証すること。
六 大赦、特赦、減刑刑の執行の免除及び復権を認証すること。
七 栄典を授与すること。
八 批准書及び法律の定めるその他の外交文書を認証すること。
九 外国の大使及び公使を接受すること。
十 儀式を行ふこと。


 これは自民党の改正草案でも、ほとんど変わりがない。若干の表現の変更や項目の移動はあるが、私程度が見た限りでは本質的な変更らしきものは見当たらない。ただし、本文の「内閣の助言と承認により」が削られている。これについては第3条のところで後述する。

 気付いたことだけ書き残します。第四号の「国会議員の総選挙の施行を公示すること。」が、改正草案の第6条第2項では「衆議院議員の総選挙及び参議院議員通常選挙の施行を公示すること。」になっている。

 先日終わったばかりだが、参議院は半分ずつ改選するので、総選挙とは呼ばない。むしろ、これまでどう言葉遣いを運用していたのだろうか不思議である。AKBも全員、選挙の対象になっているのだろうか。あと一つ、第一号にある憲法改正や法律等の公布について。


 仕事柄たまに「官報」を読む。便利なもので今ではネットで読めるし、バックナンバーまであるから助かる。官報の記載事項のうち、法律や政令は最後に「御名御璽」と書かれていて、いつも何故なんだろうと思っていたのだが、この第一号の公布に該当するからなのでしょうね。本物の公布文書には、御璽が捺されているのであろう。生涯、見る機会はあるまい。

 ということで第7条は大きな問題にも突き当らずに通過できそうだが、次の第3条が読みづらかった。こちらは、どういうつもりなのか改正草案では、第6条の第4項に移設されている。条から項に「格下げ」であり、しかも後回し。さらに、言葉遣いも変わっている。それぞれ以下のとおり。


  【現行憲法

第三条 天皇の国事に関するすべての行為には、内閣の助言と承認を必要とし、内閣が、その責任を負ふ。


  【改正草案】

天皇の国事行為等)
第六条 (中略)
天皇の国事に関する全ての行為には、内閣の進言を必要とし、内閣がその責任を負う。ただし、衆議院の解散については、内閣総理大臣の進言による。


 現行憲法の上記条文において、「内閣の助言と承認を必要」とするのは、天皇ではない。この文脈であれば、国事行為が必要としている。それに続く「内閣が、その責任を負ふ」も、国事行為の責任機関を定めている。このことは、憲法の英語版を読めば、更に明確に理解できる。

 いずれも、内閣は国事行為に疎漏なきよう、しっかり働くようにと言っているのだ。誰が言っているのかといえば、もちろん日本国民が憲法を通じて、である。実務的には、内閣の構成員たる閣僚みんなということではなくて、宮内庁が橋渡し役になるのだろう。


 なお、助言は英語で”advice”になっている。日本語では殆ど助言の意味にしか使われないが、本来はもっと広く専門家の意見や報告という意味だ。国事行為は天王陛下お一人で完結するものではなく、相手もいれば事務方もいる。予算も場所も必要だから、その準備と最終確認を内閣に任じている。

 というふうに私は読むのだが、この調子でいくと、改正草案の該当部分が、少し分かりにくくなってしまうから困る。まず、「助言と承認」が消えて、その代わりに「進言」が入っている。どの辞書を見ても「進言」とは、上位の人に意見を申し上げることという説明になっている。


 つまり上下関係を前提にしており、大河ドラマでいえば「殿、申し上げたき儀がございます。」という場面である。先ほど「助言と承認」は、国事行為に対して行われるものと解釈したが、「進言」となると、ここでは「内閣が天皇に対し」という構図しか考えられない。

 進言といえば、へりくだった感じはするが、ここでは天皇が断るという選択肢はない。信長なら「黙れ、猿」と退けて平気だが、国事行為となると「衆議員の解散は、まだ早い」とか、「その大臣は別の人のほうが宜しい」などとは言えない。国政に直接しかも深く関与してしまう。責任を負う相手が国事行為ではなく、天皇というのも上手く言えないが変だ。


 本当にこの表現で良いのか。この改正草案は内閣の法制局がちゃんと読んでいるのだろうか。また、後半の「ただし、衆議院の解散については、内閣総理大臣の進言による。」というのも唐突な感じがする。これまでは内閣だったのに、これだけ総理個人の専権になった。

 この意図は、少なくともそのうちの一つは、私にも分かる。いずれ三権のところで触れることになるが、現行憲法には内閣総理大臣衆議院を解散できるという条項がない。この第7条の国事行為と第3条の「承認」を併せて、私よりも更に深読みしているらしい。政党を問わず、歴代の与党すべてがそうしてきた。


 これまで明確な定めが無かったというのも妙な話だが、ともあれ、記者会見では多くの総理が「衆議院を解散しました」と明言してきたので、このたび慣習法を成文法にする所存ということでしょう。憲法学者は何と云っているのだろう。「衆議院を解散すること」を行うのは上記のとおり、現行の憲法では天皇なのだが...。

 解散権を明示すること自体に反対はしないが、ここに入れずに、「国会」の章で書くべき事項だと思う(実際、そこでもう一回出てくる)。しかも、こう書いたので、やはり進言のお相手は天皇としか読めない。しかも何の責任を負うのだろうか。


 歯切れが悪いまま、第一章を終わるのも無念だが仕方がない。次回から難題中の難題、憲法9条に移る。最後から読めばよかった。今回は雑談で終わります。私は横着者なので、皇居の一般参賀などに出かけたことは一度もないが、すぐ目の前で今上の両陛下を拝見したことがある。7年か8年くらい前で、場所は上野の東京国立博物館の前。

 もう夕方で東博も閉っており、人影まばらなのに博物館前の交差点付近では、お巡りさんが三四人、立っている。どうみても勤務中だが、事件や事故があったような気配もない。外出から帰宅する途中だった私は、ずうずうしくも近くにいた警察官に「何か、あったのですか?」と訊いた。


 いい返事が来たねえ。「これから陛下がいらっしゃいます。」と、単なる通りすがりのおっさんに、この情報である。最近は世の中物騒なので、こうもいかなくなっているかもしれないが、ヨーロッパなどでは考えられない長閑さである。

 間もなく黒い車が来て、右折し博物館の敷地内に入っていった。お忍びのはずなのに、後部座席では右側の天皇陛下と、私がいる左側の皇后陛下が、それぞれ車の窓ガラスを下ろして手を振っていらした。ほんの数秒のことで、しかも誰が来るのか知っていたのは警察と私だけとあって、何人かの通行人は呆然と見守るばかりであった。いい国だ。




(おわり)




火鉢  (2016年6月3日撮影)