おじさんの雑記帳 

「20世紀少年」の感想文そのほか 寺本匡俊 1960年生 東京在住

第2項を放棄しますか  (第1327回)

 今次改憲の議論において、おそらく緊急事態条項と並んで最大の論点となるのが、第9条第2項だろう。最新の改正草案における同項は、修正とか調整とかいうレベルではない。全文「総とっかえ」なのだ。

 現行憲法の平和主義をそのまま死守する立場の方々からすれば、脊髄反応で「絶対反対」になるはずだ。妥協は難しそうで、最後に決めるときは、数の論理で決まる気がする。せめて最初から、そうなりませんように。まずは第9条の条文比較。


  【現行憲法

第九条 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。


  【改正草案】

第九条 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動としての戦争を放棄し、武力による威嚇及び武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては用いない。
2 前項の規定は、自衛権の発動を妨げるものではない。


 すでに何日か前に、現行の第2項を読んだのだが、少し補足します。一つめは、現行「芦田修正」の箇所にある「前項の目的」とは何か。目的とくれば手段。第1項に手段という言葉が出てくる。ここでは、「国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使」が手段であり、そうとは書いてないが目的は、「国際紛争を解決する」こと、すなわち侵略。

 しかし、この目的と手段はセットで永久に放棄されているので、第2項の目的は別途さがす必要がある。これは先ず「永久にこれを放棄する」ため、と読む。さらにいえば、戦争を放棄するという手段によって、「国際平和」(第9条第1項)あるいは「平和の維持」(前文)という目的を達するということだろうから、結局、第1項全体が目的で、第2項が手段と位置付けて良いのではないかと思う。そうする。


 第2項に定められた戦争放棄のための「手段」は二つあり、(1)陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。(2)国の交戦権は、これを認めない。(1)について、余談から入るが、陸海空は何故いつも、この順番なのだろうか。この順で軍隊ができたのか。

 それはともかく、私が気になるのは「その他の戦力」である。陸海空軍以外の戦力って何だ。海兵隊については、かつて霞ヶ関で軍事関係の外交を担当している方に、直接伺ったことがある。長かったご解説を乱暴にまとめると、陸軍の機能も併せ持った海軍の上陸部隊で、軍艦に例えれば上陸用舟艇のようなものだという。広義で「陸海」に含まれる。地下も「陸」が使う。


 素人が思いつくものというと、映画の観過ぎである私の場合、CIA、KGB、MI6、モサドといった諜報機関だな。彼らは映画によると、単に情報の収集・分析だけではなく、「工作」という戦争の裏技のような荒業を行うらしい。CIAはアメリカ軍には属さず、その職員は普通の国家公務員の身分だが、立派な戦力なのだろう。

 現行の憲法では、この工作機関も戦力なら持てない(はずです)。でも「総とっかえ」になれば持てるだろう。また、軍があるなら勝つために持つべきだろう。また、おそらく今後の世界で、一番怖いのは、サイバー攻撃だ。文書の流出程度では済まなくなる。これは映画の観過ぎではないと思う。


 手段は(1)の「戦力を持たない」だけで十分な気がするが、さらに(2)では交戦権すら国は持たないという。これはさらに、具体的なイメージが湧かない。アインシュタイン博士は、第四次世界大戦の武器が棍棒と投石になるだろうと予言した。彼の予知は当たるからなあ。そういう「はじめ人間」のような交戦も禁止されている。矢吹丈の「両手ぶらり」戦法が永久に続く。

 改憲論の主眼は、こんな手段で、高尚な目的が果たせるはずがないということらしい。また、改正草案で前文が大幅に書き換えられているとおり、国際平和は、時に「美しい国土を守る」事態も想定しなければならず、「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して」いる場合ではない。その具体策は次回以降に、第9条の二で調べることにして、第2項の改正案をみる。

 「前項の規定は、自衛権の発動を妨げるものではない」。短いだけに一見、シンプルである。しかし、「妨げるものではない」というのは、法令の用語としては頻繁に使われるが、一般の国民は日常会話どころか仕事の書類でも使うまい。


 ここは明確に、例えば「国は必要に応じ、個別的自衛権および集団的自衛権を行使する権利がある」と、言ってしまってはどうか。議論は紛糾するだろうが、その前の説明の手間は大幅に省ける。ここで何を言いたいのか、解読するために、当家の蔵書である「契約用語 使い分け辞典」(新日本法規)のお力を借りる。

 まず、宿題にしておいた国連憲章第51条の「個別的又は集団的自衛の固有の権利を害するものではない」に出てくる「害する」は、同書に「侵害する」という項目があって、「他人の権利・自由を損なうこと」である。これは難しくない。


 では、「妨げない」はどうか。「この限りでない」と同じような意味だそうだ。解説は「ある事項について、その前に出てくる規定の全部又は一部の適用を除外する場合に用いられる表現です。」とある。全部を除外というのは、前の項を全部否定するのではなく(当たりまえ)、ある例外的なケースにおいては、前項のルールの全部か一部は、法律で「どうこう言わない」ということだろう。

 さらに、補足があり、こちらのほうが頼もしい。いわく、「妨げない」は、消極的な注意喚起のための規定であり、積極的に新しい法的効果を生じさせるものではありません。法的効果が生じないとは、上記の「法律でどうこう言わない」をエレガントに言ったもの。実例で試してみます。現行の憲法第59条に出てくる。


  第五十九条  法律案は、この憲法に特別の定のある場合を除いては、両議院で可決したとき法律となる。
  2 衆議院で可決し、参議院でこれと異なつた議決をした法律案は、衆議院で出席議員の三分の二以上の多数で再び可決したときは、法律となる。
  3 前項の規定は、法律の定めるところにより、衆議院が、両議院の協議会を開くことを求めることを妨げない
  4 参議院が、衆議院の可決した法律案を受け取つた後、国会休会中の期間を除いて六十日以内に、議決しないときは、
    衆議院は、参議院がその法律案を否決したものとみなすことができる。

 

 法律がどう出来上がるのかということを定めた大事な条文です。第1項に原則として衆参両院で可決すること、第2項が「衆議院の優越」の一つで、参院で否決されても衆院の三分の二以上で再可決すれば成立。第3項は第2項に関連して、意見が割れたら衆院が「両議院の協議会」(通称は、「両院協議会」)を、開催しなければならないときもあるし、場合によっては開催されるときもある。

 後者の「場合によって」が前記の「消極的」という表現の示すところで、つまり、必ず開催しなければならない(積極的)という訳ではない。詳細は参議院の資料をご参照ください。
http://www.sangiin.go.jp/japanese/annai/chousa/rippou_chousa/backnumber/2010pdf/20101101089.pdf


 憲法に戻ります。改正草案の「自衛権の発動を妨げるものではない」という定めは、第1項ではああは云っているが、それは原則であり、例外として場合によっては「自衛権の発動」もあり得るということだ。でも、その「場合によっては」が何なのか、誰が決めるのかは、ここでは示されていない。

 それに関する規定は後ほど出てくる。自衛権の発動が必要となる「場合」は多種多様だろうが、決定権の所在は明確でなければならない。多種多様だからといって、抽象概念のままで終わる訳にもいかない。


 例えば、今の自衛権の範囲は「必要最低限」の行使だから、飛んできたミサイルを撃ち落としたら終わりだろう、多分。でも、次のミサイルが襲ってきたとき、必ずしも撃ち落とせるとは限らない。報道によれば、これが現実の懸念となってしまっている。

 では、アメリカの国防を真似て、早いうちに敵のミサイルの発射施設を壊そうという発想が、私だって出てくる。今は持っていないが、そのための軍備があるなら使いたくなるだろう。自衛という名の先制攻撃。あるいは将来のために、実力行使による警告となると、制裁と呼ぶか。感情的になると復讐。やりすぎるおそれあり。

 自国民を守るためと言うのは、金科玉条にしやすい。これに歯止めが効かなくなると、「目には目を」を超えて、例えば空襲で非戦闘員を皆殺しにし、原爆を落とすことになる。当時アメリカは日本国内の捕虜収容所がある都市を除いたという話を聞いたことがあるが、では、私たちは拉致被害者をどうする? 私は外交を強調したけれども、国交がない国はお互い、いきなり直接行動に走りやすいだろうな。


 この項の改正について、自分なりの結論を出したいが、これでは無理だ。今の自衛隊で十分ではないかという主張もあるが、軍事は機密が多いから個々人で判断したくても、情報公開には限度があるあろう。専門用語も多い。それに自衛隊は戦闘行為の実績がない。これは強調すべきだと思うが、一人も外国人を殺していない。このため事例検討はできない。

 多くの人にとって、東日本大震災ほかの災害救助において、自衛隊の活躍と実績を知るにつけ、あれほどの被害となると人員・輸送・兵站・通信・予算などにおいて、軍隊並みの組織力が必要になるということに異論はないと思う。

 
 自衛隊違憲であるという法律論を無用とは言わないが、自衛隊がなくなると困るのは違憲論者でも同じであるはずです。第2項が自衛隊の現状を説明しきれないのは、少年少女でも分かる。改憲はこの混沌を整理し、乗り越えていかなければならない。次からは改正草案が、いかにしてその混沌を乗り越えようとしているのかをみる。

 軍隊は下手をすると、「暴力装置」になる。対外的に、だけではない。古今東西、国内でも軍は取扱い注意の筆頭だろう。生理学的にいえば、免疫異常のおそれのようなものだ。逆に、軍隊が暴政を駆逐したようなケースも歴史に数多くあるはずだ。でも先の大戦で先祖に大勢の戦死者を出しておいて、日本人が楽観論にひたる訳にはいかない。そして私は最近、報道の偏向が気になります。悔しいけれど、取り止めも無く終わります。





(おわり)






入道雲と押上タワー
(2016年8月3日撮影)









































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