おじさんの雑記帳 

「20世紀少年」の感想文そのほか 寺本匡俊 1960年生 東京在住

新憲法のプリンシプル  (第1319回)

 拙宅にある「白洲次郎 占領を背負った男」(北康利著、講談社)という書籍を読むと、白洲さんは「プリンシプル」という英単語が好きだったようだ。私は中等教育でこの単語を習ったが、なかなかカタカナ英語として定着しないようである。

 原理原則、主義信条といった多くの訳語が辞書に載っている。幅があり過ぎて、日本国民には使いづらいのだろうか。ところで十年ほど前、なぜか白洲次郎のブームが起きた。この本も、そのころ出版されたものだ。

 当時の私は、彼の妻である白洲正子の本なら十冊ぐらいは読んでいたと思うが、彼女の夫の名前は認識していなかった。この本を読み、関連のテレビ番組を見たりしたが、今一つ掴みどころのない人物で、私にとっては今もって良く分からんお人である。


 明日(2016年8月8日)は天皇陛下の「お言葉表明」の放映があるらしい。私自身もどこかで使っているかもしれないが、「生前退位」という表現はおかしくないか。社長だろうと生徒会長だろうと、死んだら退位できない。古代中国や徳川時代武家は、お家断絶の回避や後継者争いのため、死んでから退位扱いというのがあったそうだが、現代の皇室ではあり得ない。

 さらに、次代は法的に確定しているのだから、退位というより「譲位」と呼んだ方が実態に即しているように思うので、これを使います。さて、上記の本によると、GHQから最初に日本の新しい憲法を準備するよう委託されたのは、元首相の近衛文麿であったらしい。


 結局、近衛はGHQに見放され、A戦犯として告発され自害した。私が青少年のころ、服毒自殺(あるいは毒殺)といえば青酸カリと子供でも知ってる代名詞だったが、近衛さんの最期の影響が大きいのは間違いないと思う。

 近衛元総理が、外国人記者との会見において、新憲法の目指すところを語っている場面に、次のような発言が出てくる。「新しい憲法では天皇からほとんどすべての大権を取り離す」。「天皇退位の条項を挿入することもありえる」。

 前者は大筋で、そのとおりになった。他方で後者は実現しなかった。この当時、戦勝国側からは昭和天皇の処刑だの皇室の解体だの、言いたい放題の要求が寄せられていた。近衛さんは多分、退位という形で最悪の事態を回避しようとしていたのではないかと推測する。


 このあと、改正憲法案の作業や占領軍との折衝は、白洲を含む別グループが担当することになった。本のタイトルの「占領を背負った男」の活躍場面だ。この本の帯には、「マッカーサーを叱り飛ばした日本人」という勇ましい惹句まで載っている。

なお、本書は歴史書ではない。城山三郎吉村昭の作風と似たセミ・ドキュメンタリーの小説である。多数の参考文献が羅列されており、よくお調べになっている。この本は今なお語られている新たな憲法が、GHQなりアメリカなりに押し付けられたものという趣旨の指摘が随所に出てくる。

 また、「次郎」の残した文章などから、そのことを伺わせる箇所も引用されている。1946年3月に英文版を基に作られた「憲法改正草案要綱」が公表されたときの白洲の手記はこうなっている。仮名遣いは私が現代語に改め、句読点も適宜付している。


 「興奮絶頂に達し、正午頃より総司令部もやっと鎮まり、助かること甚だし。かくの如くして、この敗戦露出の憲法案は生まる。『今に見ていろ』という気持ち、抑え切れず。ひそかに涙す」。1952年になって、雑誌「新潮」には、こんな文章を載せた。

 「終戦後、六七年間、小学校の子供にまで、軍備を持つことは罪悪だと教え込んだ今日、無防備でいることは自殺行為だなんていったって誰も納得しない。これは占領中の政策にも、責任がないとは言えない」(後略)。彼は第9条第2項には強い反対意見を持っていたようだ。


 では、第1項についてはどうか。1969年の雑誌「諸君」において、こう書いている。「新憲法のプリンシプルは立派なものである(中略)。マックアーサーが考えたのか幣原総理が発明したのかは別として、戦争放棄の条項などその圧巻である。押し付けられようが、そうでなかろうが、いいものはいいと率直に受け入れるべきではないだろうか」。

 論旨は明快である。日米安保改定の直前の時期にあたる。最後に、ちょっと作為的なものだが、白洲次郎がなぜか一大ブームとなった2000年代半ばの年表を作ってみる。

  2005年10月: 自民党憲法草案」発表。
  2006年4月: NHKその時歴史が動いた」で「マッカーサーを叱った男」放映。
  2006年7月: 安倍官房長官美しい国へ」発行。
  2006年8月: 上記「白洲次郎 占領を背負った男」発行。 
  2006年9月: 小泉総理退陣、安倍内閣発足。
  2006年10月: 核実験を行った北朝鮮に対し経済制裁発動。
  2007年1月: 防衛省設置(元防衛庁)。

 どこまでが偶然なのか、私には分からないが、せめて、知らないうちに脳が怠けているおそれもあるので、時々こうして体操しておくに限る。白洲次郎に「プリンシプルのない日本」と言われて久しい。だが、当人も評価しているように、憲法の少なくとも或る部分は、その数少ない例外だ。





(おわり)




近くの小学校の朝顔  (2016年7月31日撮影)