おじさんの雑記帳 

「20世紀少年」の感想文そのほか 寺本匡俊 1960年生 東京在住

5月10日 香港  (第1267回)

いま香港では当局とデモ隊の衝突が激化しており、この先どうなるか分からない混乱の状態です。このブログでは、できるだけ同時代の雰囲気や自分の感想を書き残しておきたいので、中間報告的にこれまでの香港について書きます。

香港には一度だけ、1990年代の半ばに、二泊三日の観光一人旅に行った。1997年の返還直前だったから、地名や店名はまだ英語やアルファベット表記が多く、どこが九龍半島香港島でネーザン通りなのか、確かめ確かめ歩いておりました。それが今はネットのマップを見ても、妙な漢字表記ばかりで昔日の面影なし。


返還された時は、まだインターネットも普及していないカンボジア国にいたため、ほとんど記憶が無い。ただし、一国二制度というものになったのは知った。その後、6月4日の天安門事件の日は、香港で追悼集会が行われていることも聞き及んだ。

その香港の名がニュースに頻繁に出始めたのは、去年(2019年)のことだったと記憶しています。法令の名は知らないが、香港で逮捕されると身柄を大陸中国に送られるおそれありという、新法に対する反論、抵抗、そしてデモンストレーションに発展して、暴力沙汰まで起きるようになった。


これが一時期、中断したのは、すでに書いたように香港では早期に、中国における新型肺炎の流行をキャッチした。SARSの被害が甚大だったこともあって、政府もデモ側も、いったん矛を収めたようです。もちろん熾火は消えていない。

今年5月、再燃しました。まだ新型コロナウイルスは消えていませんが、一方で新規感染者が減り、他方で香港警察の取り締まりが厳しくなり、さらに「国家安全法」という大日本帝国的な法律が、直接、香港にも適用されるという話になって、今や再び大騒ぎになっています。


5月11日付の日経新聞によれば、再び抗議活動が活発化したのは5月10日のことで、多くの逮捕者を出したとのことだ。香港の民主化運動を合法とする法律を、いつもながら正義の味方のつもりのアメリカが作った。

その米国でも後に人種差別の問題で巨大な抗議運動が起き、香港ではこれも後日の話題だが、今年6月4日の追悼集会は禁じられた。COVID-19は、健康問題を超えて、社会問題になり、外交問題にもなってきた。

騒乱と疫病について、直接の因果関係を証明することなどできないが、人心が荒み、国家権力が覇道を歩み始め、暴力が横行し、経済活動が縮小する。人間様は、事あるごとにこれを繰り消してきて、今また現在進行形で、どこかに向かって進んでいる。


前に台湾のところでも書いたように、先の戦争で日本は香港を戦場にした。自分が生まれる前のことは関係ないという人もいるだろうが、返すべき借りがないか、考えてみるのも無駄なことではない。

私のタイムラインには、ときどき周庭のツイートが流れて来る。「もう3回拘束・逮捕されましたよ。今は保釈中で、出境できないし、週2回報告のために警察署に行かないといけないし、夜間外出禁止令もある。私が本当に行方不明になる時は、香港が完全に中国になった時ですね」。彼女はなぜ日本語を使うのか。


私の田舎、静岡の連隊を含む日本陸軍は、香港島を基地にして立てこもるイギリス軍と交戦した。その場にいた人の手記が手元にある。今は、私も載ったフェリーが往復している九龍半島香港島の間は、平和だったころ現地の中国人の小舟が行きかっていたそうです。

ようやく砲声が絶え、戦闘が終わり、日本人が凱歌を挙げていたころ、その海峡には彼が数え得ただけで何十もの木船が沈み、中国人の死体がいくつも流れては去っていったと書いている。内心威張るのは自由だが、日本のおかげで今のアジアの繁栄があるという主張をするのは控えた方が良い。



(おわり)



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それでも新緑の候は来た  (2020年5月9日撮影)






























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