おじさんの雑記帳 

「20世紀少年」の感想文そのほか 寺本匡俊 1960年生 東京在住

映画「主戦場」  (第1202回)

f:id:TeramotoM:20190806171921j:plain 上野にて


これからしばらくは、あまり愉快でない話題が続きますが、ご一読いただいた方はご容赦ください。八月は、そういう月なのだ。子供の頃は、セミとトンボと草っぱらの夏休みだったのに。

子供のころからの映画ファンだが、映画館まで足を運ぶには相応の体力と時間とお金が要る。このため、最近すっかりご無沙汰していたのだが、近ごろ話を交わした若者らに、映画は映画館で観るものであり、よく観に行くと言われてしまったので、この暑いのに張り合うことにした。本日、観て参りました。第一弾は暑さも、いや増す宮益坂で、問題作「主戦場」。ミキ・デザキ監督。


f:id:TeramotoM:20190806173332j:plain 青山通りにて


探した限りでは、近場の都心だと渋谷の小さな映画館「シアター・イメージフォーラム」で上映しているだけだった。青山通りは若者が溢れており、夏休みとはいえ多いなと思っていたら、どうも青学のオープン・キャンパスと日時がぶつかったらしい。

観客は十数名で、大半が私と同年代で男のほうが多く、また、すぐ後ろに若い娘さんが二人座っていて、最後のほうで泣いていた。本作の課題はただいま、ややこしい政治問題になっているし、おそらくその複雑さからして、私ら高年齢者の生きているうちに、すっきりと解決しない予感がする。だから、若い人に観て欲しい。


このブログでは、相手が漫画でも映画でも小説でも絵画でも、感想文は詳細に触れるので、まだご覧になっていない方はご注意ください。理屈はもう少し頭の中を整理してから書くつもりなので、今日は印象に残ったことを忘れないうちに書きます。

先の戦争における慰安婦の問題は、現状、日本と韓国、加えてアメリカなどの第三者も交えての主戦場になっており、もはや国際法と金銭解決だけでは、容易に片付かない様相を呈している。別の言い方をすれば、教条と感情が絡んでおり、感情の整理ができるのは政治家の腕の見せどころだが、現状これが無残。


私がいわゆる従軍慰安婦問題の「現場」に偶然、居合わせたのは、1990年代半ばのフィリピンだった。ウィンドウズが普及する前の情報は、ネットで検索しないほうがよい。無いから。当時も、詳しくは覚えていないが慰安婦問題が各国で荒れていて、そのころ出張で出かけたマニラでは、日本大使館の周辺に座り込みをしている彼女たちを見た。

見ただけでは済まされず、大使館に用事があったので、かきわけるように進むほかなかった。南国の灼熱の太陽が照り付けるアスファルトの上で、おそらく何百人ものご婦人方が黙って座っている。ただし、正直言ってこのときは、単なる驚きで終わった。最初で最後の出張と分かっていたので、そのままにしてしまった。


それが他人事でなくなったのは、もう何年か前だろうか、なぜか米国にも例の少女像が据え置かれたというニュースに接したときです。私はその土地を知っている。カリフォルニアで働いていた1980年代の後半、そこに上司や先輩が何人か住んでいて、週末の夕食会によく呼ばれていたからだ。

静かで治安のよいところだと聞いた。米国暮らしは治安が重要です。その上役たちもお子さん連れの長期駐在だったため、安全な場所を選んだのだろう。どこで買ったか忘れたが、その地にある高等学校のネームが入ったTシャツを長いこと着ていた。去年、どうしようもなく、ほつれてしまい記念に写真を撮って処分した。

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三十年もお世話になったこの青いシャツの胸にあるのが、そのカリフォルニア州グレンデール市の名だ。冒頭でテキサス親父が写っていた場所です。いったい日韓の揉め事が、なぜ加州の郊外都市に波及しているのか、未だに理解できない。現地の政治的な利害得失に利用されているのではないか。本当に黙り込んでいる当事者抜きで進めているなら、ちょっと無礼な話ではないのか。

私も広い意味で、この慰安婦の件の当事者です。親戚や祖父が経営していた工場の勤め人が、併せて十名近くは戦死している。そのうち、一番、私にとって縁が近い伯父(父の兄)は、二回、兵隊にとられた。初回が1939年からの中国大陸、二回目が1944年のマリアナ諸島テニアン(推定)。新婚だったのに、戻って来なかった。


いま何年かかけて伯父の情報を集めようとしてきたのだが、戸籍や陸軍の定型的な資料以外は、まったく見つからない。このため、どこで何をしていたのか、特に1944年のいつ、どこで、どのように戦死したのか全く分からない。

こういう状況だから、伯父は間違いなく戦争の被害者であるとともに、疑いたくないのだけれど、何等かの加害者であったかもしれない。そういう証言が、私の蔵書の中にも、少なからずあるのに、全く日本軍に違法な暴力行為はなかったということは申せません。そして正直に言うと、あの少女像の映像を見るたびに、身内を責められている気がして気分が悪い。


ただし、逆に日本人兵士はみな英雄だという靖國的論法も余計なお世話であるし、みんな残虐だったかのように、がなり立てる人たちも私の敵です。映画の舞台が、論争の戦場になっているのは、お互い右と左に分かれたまま反目しあっているからで、そもそも妥協も調整もいっさい許せないらしい。それはそれで横暴だと思う。

対中国の戦闘だけで、十五年間もある。太平洋戦争が始まってからは、戦場が格段に広がった。それぞれの時機、それぞれも場所に、様々な戦争があり、暮らしがあったのだから、有給か無償か、自発的か強制か、一概に言えるような話ではない。ただし、全員が好きで売春を続けていたとは到底思えない。謙虚さのない反論が醜い。


否定派の中に、国家は謝罪してはいけないと断言していた者がいたが、どういう論拠なのだろうか。謝ったらもう終わり、というようなことを言っていたが、もう何べんも謝っているし、何がもう終わったのだ。アメリカですら、謝ったことがある。

ちょうどグレンデールにも通っていたころ、ロサンゼルスで、かつて太平洋戦争中に強制収容所に入れられていた日系一世のご老人二人に会った話は、遠い昔にここに書いた覚えがある。一人は同僚のご尊父、もう一人は偶然バーで隣の席に座った老人で、元気に話しかけて来たから六十代ぐらいかと思ったが、八十代半ばと仰った。


ちょうどそのころ、映画「主戦場」にも出て来たのだが、レーガン大統領が戦争中に、強制収容所に入れた日本人への謝罪と賠償を定めた法律に署名して、記者会見を行った。私は英語を覚えるために、TVのニュースをよく観ていたので、偶然それをみた。

その話題を持ち出し、「ちょっと遅くないですか、ずいぶんお仲間も亡くなっているでしょう」と青臭い議論を吹っ掛けたのだが、ご両人とも他の話題では雄弁だったのに、このときだけは静かに微笑んでいるだけだった。お前に分かるか、ということだ。それだけは、分かる。


平凡な解釈をすれば、両当事者が何とかこの辺でなら終わりにできるというところまで、努力と工夫を重ねたうえで、時間が解決するという道が、通常はあるはずだ。しかし日韓の慰安婦問題と、いわゆる徴用工の問題は、どうも悪化する一方ではないか。

いずれも、両当事者がもう寿命でこの世を去りつつある。そして戦争を知らない世代になって、国籍を問わず、どちらの側に立つにせよ、自分の都合の良い資料や証言を基に、主張しているようにしか思えず、これでは各種の事態を総まとめにした問題解決はおぼつかないと思う。


何時までもこの調子で反目し続けているようでは、露骨な言い方をすれば、私のような戦死者の親族を持つ者にさえ、これは論者の快楽と商売のためにやっているのではないかとさえ感じる。まして、何も知らない後の世代に訴えるものがあるのかどうか。

今回はかくのごとく云いっぱなしで申し訳ないが、作品の出来栄えとは関係なく、非常に後味が悪い。監督さんは若いのに、よう頑張ったものだと思う。こういう世代が登場するというのは心強いが、「喧嘩を売った」以上これから大変だろうけれど、今後のご活躍を期待申し上げます。




(おわり)



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ムギワラトンボ  (2019年8月5日撮影)



 麦わら帽子はもう消えた
 ・・・・
 畑のトンボはどこ行った

   「夏休み」  よしだたくろう
























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