おじさんの雑記帳 

「20世紀少年」の感想文そのほか 寺本匡俊 1960年生 東京在住

グラン・トリノ 【前半】  (第1149回)

 2008年公開のアメリカ映画。クリント・イーストウッド監督・製作・主演。最初に、上映されたころ観て、最近、三度目を観た。登場する神父さんが何度か口にする「生と死」についての映画だ。未見の方は、先に映画をご覧になることをお勧めします。

 私の人生も半世紀を何年か過ぎた。若いころは将来に向けての人生設計とか夢とか希望とかいったものを漠然と人生なのだと思っていたのだが、ここまで歩んでくると、もう過去というか思い出というか、過ぎ去った物の蓄積が人生のように思えてくる。あとは残りの時間をどう使うか、たった一つの命をどう使うか。


 一つの死に方についての映画といったほうが、鮮明で良いかもしれない。出来事としては、葬式で始まって、葬式で終わる。主人公は、かくしゃくとしてはいるが、もう幼子とは言えない孫が何人もいる男で、どうやら二人きりで暮らしていたらしい相棒の妻を喪った。二人の息子夫婦ともうまくいかず、「何もかも気に入らない」人物と家族に評されている。

 彼は血を吐く病いを病んでいる。劇中、やたらと唾を吐くのだが、単に行儀が悪いだけではなく、どうやら痰が絡む病気らしい。ときどき咳が出て血を吐く。とりあえず、ビールと煙草で不摂生な一人暮らしの無聊をかこっていたのだが、近所に騒動が起きた。しかも、彼が積極的にそれに関わった挙句、若い姉弟を悲惨な目に遭わせてしまう。それは容易に償えるようなものではなかった。


 あらすじは、取りあえず、この辺で切り上げる。映画の題名は、アメリカの自動車会社フォードのセダンの車種に由来する。2008年の製作といえば、荒川の演技が銀盤に映えたトリノ・オリンピックの二年後にあたる。あそこには、フィアットがあるな。

 私がアメリカで駐在員をしていた1980年代後半、すでに米国社会には日本車が浸透しつつあった。私自身は古いハリウッド映画に出てくる、あの無駄に大きくて横に平たいアメ車に乗りたくて無理して買い、5年近くで10万マイルを超えた。軽い故障が何度かあったが、よく走った奴で、今となっては懐かしいばかりの仲間だった。


 日本車は燃費も良いし、故障も少ないとあって、女性や老人の運転用に好まれ、一家の第二、第三の車という感じで売れていた。ホンダのアコードが爆発的に売れていたころで、米国産の車もモデル・チェンジのたびに、イタリア車や日本車のように、丸っこく小さくなっていったのを覚えている。

 アメリカの自動車産業は、その名もモータウンというあだ名で名高いデトロイトを中心に栄えてきたが、外国勢に押されて、この映画が作られたころには、ビッグ・スリーと呼ばれていたGM、フォード、クライスラーがそろって経営危機に陥り、2009年、クライスラーがチャプター・イレブン(日本の民事再生と同様)を申請したのには驚いた。


 2012年、前にここでも書いたのだが、アメフトの全米一を決めるスーパー・ボウルのCMスポンサーにクライスラーが手を挙げ、登用したのがクリント・イーストウッドだった。全米が泣いたとまで報道された映像は、今も動画サイトで観ることができる。このCMの中で、イーストウッドデトロイトを励まし、称賛したが、同市は翌年、大都市なのに破産した。

 この映画は、アメリカ人なら風景で分かるかもしれないが、舞台設定がどこなのか、はっきり出てこない。わずかに、主人公のコワルスキーが病院で精密検査を受けたあとに渡されたカルテに、住所か生誕地か分からなかったが、デトロイトと書いてある。


 おそらく、この町で生まれ育ち、今なお暮らしているようなのだが、周囲は有色人種ばかりになっている。近所も病院もバーも、不良少年たちも。彼がそのことに、うんざりしているのはよくわかるのだが、特段、差別的な行動に走るわけでもなく、独り言で毒づいては痰を吐く。

 しかし困ったことに、向かって右の隣家の「イエロー」または「ネズミ」、「米喰い虫」たちは、大家族制のうえに来客が多く、いやに馴れ馴れしい。妻亡き今、彼は放っておいてほしいのだ。悠々自適のためなのではない。戦争で受けた心の傷を、引っ掻き回されたくないのだ。


 1950年代前半に三年間、従軍した朝鮮戦争で、「13人以上」を殺した。軍令ではなく、自分の意志でそうしたと、隣家の少年タオに語っている。タオは優しく大人しい少年で、悪い従兄がアタマを務める若造ギャングに目を付けられ、「組」に入るためのイニシエーションを強制する彼らに逆らえなくなってしまう。

 この通過儀礼が、隣家のコワルスキーの愛車、グラン・トリノの盗難であった。見事に失敗する。相手は老いたりとはいえ、タオに語ったところでは、1951年からアメリカ陸軍の第一騎兵師団に所属し、今もその徽章を銃とともに保管している物騒な男であり、また、かつては唯一人、作戦行動から生還したこともあるという猛者であった。


 彼から見えれば、タオたちモン族も、朝鮮民族も変わりあるまい。戦争で17歳の子をスコップで叩き殺したのを、今も気に病んでいる。イニシエーションに失敗したのだと知った老人は、この小僧を鍛えようと老後の余力を注ぎ込む。

 材料はいくらでもある。庭堀りから始まって、洗車、近所の家屋の修理、「男同士の口の利き方」とやらまで、実地で教え込む。タオは頑張った。コワルスキーは、自分の工具も使ってよいと認め、その次には、建設会社に口をきいて、金がないから学校に行けないというタオに仕事も紹介した。根が親切なのだ。

 別の表現をとれば、おせっかいでもあり、早く娘を口説けとけしかけている。デートの際は、グラン・トリノを貸してやるとまで約束した。タオは中学生ぐらいにしか見えないが、まあ、いい。後の展開からして、コワルスキーが遺言を書いたのは、たぶんこの頃だろう。

 彼のグラン・トリノは1972年に、彼自身がその組み立てに参加したというクラシック・カーで、連日、磨き上げているから新車同様だ。日常の用事は、もう一台のトラックを運転して済ませている程、大事なものだ。その職業意識において、今なお現役の機械工であり、タオの家では洗濯用の乾燥機を、頼まれもしないのに修繕している。


 うちの祖父は木工職人で、やはり不具合は放置できない性分であったから、借家なのに木造部分はどんどん改築していく。祖父が生きていた間は、年が経つにつれて住まいが新しく住みやすくなっていくという不思議な家庭で育ちました。

 大工さんは専門職以外でも、似たような仕事をすいすいこなす。祖父は屋根より高い竹を買ってきて、こいのぼりの塔をたてたり、台所の流しが金属製のシンクに替わったときは、不要になったコンクリート製の流し台の排水口をセメントでふさぎ、巨大な水槽を造った。私が金魚すくいでもらった金魚と、近くの川で採って来たフナを入れて飼った。

 これを猫が狙うのである。今に至るも猫があまり好きではないのは、このときの対決によるものかもしれない。祖父は魚が逃げ隠れるためのシェルターをコンクリート・ブロックで作って巨大水槽内に設置し、どこから持ってきたのか知らないが金網と、毎週日曜日に私をこき使って割る風呂炊き用の薪の木片を組み合わせて、大きな蓋を造った。人類の勝ち。




(つづく)





サクラより、サクラソウが好きな私
(2018年3月3日撮影)



 She said listen babe, I got something to say.
 I got no car and it's breaking my heart.
 But I've found a driver and that's a start.

           ”Drive My Car”   The Beatles





















































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