おじさんの雑記帳 

「20世紀少年」の感想文そのほか 寺本匡俊 1960年生 東京在住

弱い者たちが夕暮れ さらに弱い者をたたく  (第1128回)

 THE BLUE HEARTS の代表曲の一つ、 「TRAIN-TRAIN」の一節。いじめの問題も含め、人間関係における暴力沙汰の重要な側面を鋭く衝いている。

 ハラスメント対策の専門家に聞いた話では、いわゆる「パワハラ上司」は、自身の上司やその上の経営者との間に、何等かの問題を抱えていることが少なくないのだという。簡単にいうと、八つ当たりが起きる。

 
 学生時代を京都で過ごしたこともあり、当時、水上勉の随筆をよく読んだ。どの本に、どう書かれていたか一字一句まで覚えていないが、おおむね次のような趣旨のことだった。

 「老人と子供は仲が良い。彼らは大人の社会から、疎外されているからだ」。疎外とは時代を感じる言葉だな。漫画「20世紀少年」でいえば、”ともだち”になる二人がこのタイプで、理由はともあれ他者から疎まれ、仲間外れにされ続けている(と思い込んでいる)。


 心理学・心理療法の「交流分析」では、人は全く他者との関わりが無い状態よりは(これを強制するのが、例えば独房)、たとえネガティブな刺激であっても、交流の継続を望む。フクベエとサダキヨが典型。交流分析の専門用語で「ゲーム」という。

 子供は弱い。体力や知力の限界だけではなく、まだ衣食住を確保する方法を知らず、その機会もない。そういう状況のままで、間もなく社会に放り出されようとしている。何を支えに生きて行けばいいのか、人それぞれだが、ここでは何回か前から手塚治虫に登場願っている。


 手塚治虫著「ガラスの地球を救え」は、自伝的な要素もふんだんにあり、先ず、「ぼくは宝塚という町で生まれました」で始まる。宝塚先生の名の由来。よく聞く地名だが、行ったことはない。その当時の宝塚は、豊かな自然が残っていたらしい。

 引用します。今日は引用が多くなる。できれば本を読んでください。なお、手塚がこれを書いたのは、おそらく昭和の終わりころ、つまり彼の晩年。彼の故郷は、いじめっ子もいたし、戦争が始まったこともあって、昔に戻りたくはないけれど...


 「けれども、いまから思うと、まわりに自然があふれていたことはありがたいことでした。幼いころ、駆けずりまわった山川や野原、夢中になった昆虫採集は、忘れられない懐かしさと輝きを、僕の心と体の奥深くに植え付けてくれたのです。」(中略)

 「ほんの少し以前まではどんな小さな町にも雑木林とか原っぱがあって、ガキ大将といっしょに日暮れまで走り回って遊べる幻想の王国でした。そこは宇宙基地でもあり、探検隊の秘境でもあって、空想がどこまでも広がっていく無限の場所だったのです」。ヨシツネと話が合いそうだ。


 これを「俺が書いた文章だ」と言って見せれば、うちの親は信じると思う。そのまま、「20世紀少年」の第一話冒頭のナレーションにも使える。そして少し後には、「人間がどのように進化しようと、物質文明が進もうと、自然の一部であることに変わりはない」と続く。

 この一節の表題は、「自然がぼくにマンガを描かせた」というもので、鉄腕アトムを引き合いに出しつつ、「たとえロボットの激しい戦いを描いていても、ぼくは自然に根差した”生命の尊厳”を常にテーマにしてきた」という一文もある。

 
 手塚作品における「生命」という概念は、果てしがないほどに広い。「ブッダ」でも「火の鳥」でも、地球や素粒子や異星人や妖怪変化まで、同じ生命の持ち主であり、すべて自然の一部であることに変わりはない。こういう発想は現代人に乏しい。今や絆でつながっているのは、人類と機械だけだ。

 こうして手塚少年は、せっかく生命の大切さに目覚めたのに、中学時代に戦争が始まり、教育も受けられず大阪大空襲で死にかけ、大学では医学部で人の生き死にに直面し続けた。これを思い出だけに閉じ込めておくわけにはいかなかったのは、先述のとおり、いじめがあったからだと本人が言う。


 「幼いころから生命の大切さ、生物をいたわる心を持つための教育が徹底すれば、子どもをめぐる現在のような悲惨な事態は解消されていくだろうと思います。」

 「生命あるもののすばらしさも、またどんな生き物にも必ず訪れる死についても、自然のふところでのびのびと育ちながら、子どもたちは体で知っていくことになるのです。むろん、自然界の残酷な面をも目撃することになるし、ときには子ども自身、小さな生き物たちに残酷な仕打ちをして遊ぶことだってあります。」


 当方もその一人だった。そう言ってもらうと助かる。ここで手塚さんが一例として挙げているのは、「昆虫をちぎったり」というヤン坊マー坊的なものだが、これは共に「生きていく予行演習のようなもの」らしい。「タフに生きることの喜びを教えてくました」という。マーロウと話が合いそうだ。

 「自然というものを”思い出”として持っていない子どもたちに、他人の痛みや生命の大切さを説くのは、ひどくむずかしいのではないでしょうか」。「子供たちは他者を傷つけ、自分たちも満身創痍でありながら、救いを求めているのだと思われてなりません」。


 さて、ここで手塚治虫が語る「自然」とは、その辺にある草木国土、花鳥風月のことであって、サバンナだのグランドキャニオンだのオーロラだのという異境の大自然などではない。ちくと心が痛むのは、子どもたちからそういう機会を取りあげつつ、大工場やマイホームを造ってきたのが我々の世代だ。

 しかし、この私も草花やら小魚やら虫けらやら雲やら、ちまちまと写真に撮って楽しんでいるのは、インスタ映えを狙っているのではなく、そういう作業を無意識にできるくらいまで日常の行動に組み込めば、東京23区内であろうと、自然はそこら中に見つかる。


 とりあえずは、動物園や園芸やプラネタリウムで、予行演習をするのもよい。何でもきっかけになる。ただ、昆虫はちぎれない。次は大人が手を引いて、蚊や毛虫に刺されるのは覚悟のうえ、ちょっと遠出をすればよい。閉塞感が精神保健によくないという点では、大人も子供もない。

 念のため、私は更に弱い者を見つけて叩けば憂さ晴らしができて、いじめが減るから効果的ですなどと推奨申し上げているのではない。手塚さんが主張していることは、大人が子供に強制するものではない。でも、豊かな自然に囲まれている子供は減っているのだから、手助けはしないといけない。手塚治虫は生涯、マンガでそれに挑んだのだ。享年六十一。



(おわり)




これは赤とんぼ  (2017年9月21日撮影)




拙宅バルコニーより、明けの明星  (2017年10月1日撮影)











 ここは天国じゃないんだ
 かといって地獄でもない
 いい奴ばかりじゃないけど
 悪い奴ばかりでもない

    ”TRAIN-TRAIN”   THE BLUE HEARTS












































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