おじさんの雑記帳 

「20世紀少年」の感想文そのほか 寺本匡俊 1960年生 東京在住

じっと我慢の子であった  (第1126回)

 昨日の続きです。前々回、いじめの問題には即効性のある万能薬などないと、いきなり身もふたもないことを雑に書いたので、少し気になっておりました。とはいえ、やはり無いものは無い。いじめは人間関係の中で起きる。完璧な予防方法があるなら苦労はない。

 結局は、多くの人の話を参考にして、みんなで考えるほかない。そう思って、ここ何回かかけて、手塚治虫の例を挙げている。そんな大物の真似などできるかという意見もあるかもしれないが、以下のとおり、その気になれば誰でもできることだと思う。ただし、一人で解決しようとしないことです。


 前回は手塚少年が、周囲に恵まれていたと書いたところで終わりだった。具体的には、母親と教師、そして自然環境。まず一般論として、母親と教師、もう少し広げて家庭と学校というのは、得てして、いじめ問題については今日、対立構造で報道されやすい。そのため、多くの人が悪しき影響を受ける。

 要するに、すぐスキャンダリスティックな責任問題に発展してしまう。学校が放置したとか、教育委員会が隠ぺいしたとか、しつけは家庭でやるべきだとか、モンスター・ピアレンツのせいで教育現場が荒れているとか。


 そういう事柄は、個別事情としては有るはずで、解決の段階では、個々に検討やら反省やらが必要になるのだが、ここでは予防策を考えているのだ。初めから、教師の責任、親の問題と言い合っていたら、防げるものも防げない。

 私の大雑把な持論ですが、成人するということは、周囲の大人が寄ってたかって子供を大人に鍛え上げるということだ。だから18歳成人に反対があったとき、どこで書いたか忘れたが、18歳になれば働いたり、親元を離れて大学に行く人が大半なのだから、それまでに大人にしておくのが周囲の責務というものです。


 抽象的な話はこの辺でやめておいて、手塚治虫が「ガラスの地球を救え」で書いている中身に戻ろう。まず、母親の存在が大きい。毎日いじめられて帰宅する息子に、ただひたすら「きょうは何回、泣かされたの?」と訊き続けたらしい。

 これは習慣になっており、治少年も数えて報告する。母は「なかなか偉い女」で、情けないなどと怒ったり叱ったりせず、かといって過保護でもなく(すぐに相手の親や職員室に怒鳴り込んだりしないということだ)、「つらかったろうねえ、がまん、がまん、がまんなさい」を日々、くりかえしていたそうだ。


 子供もそう言われれば甘えもできず、がまんするしかない。手塚は別の箇所で、この母親が威張りんぼの夫(手塚さんの父上)に対して、「ひたすら忍従」の毎日であったと書いている。母は身をもって、対処のしかたを自分なりに示していたらしい。

 受け身だけではなく、積極策にも出る母であった。息子の小遣いが、好きなマンガに消えるのを認めていただけではなく、絵本替わりに面白おかしく、そのマンガを読んでくれた。マンガ本は200冊くらいに達したらしい。ここだけは、フクベエの部屋のようだ。


 さらに、このマンガを読みに子供たちが遊びに来るのを歓待し、誕生会も開いて呼んでくれた。これには両親や弟妹も参加して騒ぐ。こうなったら、いじめっこも当面は手が出ないという寸法であった。柔よく剛を制す。

 「20世紀少年」は、母親との関係性が良く描かれていて、フクベエや山根やカツマタ君やヤン坊マー坊には母親どころか家庭の気配すらない。いじめられていても、ドンキーやサダキヨには母がいる。後年、サダキヨの話し相手は、コンピュータ端末の「お母さん」だった。縁を切るのに、ナガシマのサイン入りバットを台無しにしている。


 大学生のときのことだと思うが、手塚治虫が医者かマンガ家のどちらになるかという、かなり極端な進路の悩みを抱えていたとき、母は「マンガが好きならマンガ家になりなさい」と言ってくれたと書いている。

 手塚治虫は私の両親と同じく、昭和ヒトケタの世代。私のころだってマンガといえば教育ママから毒物扱いされていたのだが、その一世代前の日本中が貧乏だったころに、そういう進路指導をするとは超人ではなかろうか。言うまでもなく、母が勧めたマンガ界は、まだ手塚治虫が登場する前のマンガ界である。世界を変えた母だ。


 もう一人、寄ってたかって漫画家をつくった人が、小学校五年生のときの「乾先生」。綴り方の先生、つまり作文の指導をするのが専門の教師であるが、この作文の時間中に、手塚少年は飽きもせず級友に見せるマンガを描いていたところ、或る日とうとう、先生に見つかってしまったそうだ。

 乾先生はノートを取り上げた。一冊、丸ごとマンガであった。先生はそのノートを、職員室内で回覧し、あとで返してくれた際、「お前は大人になったらマンガ家になる」と予言した。大当たり。


 先生によると、作文はこじんまりと仕上げるものではなく、好きなことを好きなだけ書くという教育方針であられた。これをマンガにも準用し、描きたかったら放課後でも描け、終わらなかったら家に持ち帰って描け、仕上げたら持ってこいと「雑誌の編集者みたいなこと」まで言った。

 この先生と母が人生の恩人だと書いている。好きなものを勉強するのだから、上達する。そのうち、「一種の特殊技能と見なされ、学校でも一目置かれることになった」。乾先生は母と同様、きっと日ごろから手塚君のマンガ描きを見ていたに違いない。別に保護者と連携などしていなかったと思う。

 「親や教師など大人が子供に与える力は、子どもの側にとっては圧倒的なものがあります」と、この本で手塚治虫は語っている。そして彼は、子供に圧倒的な力を及ぼす職業を選んだわけだ。選んだというより、創ったといったほうがいいかもしれない。次は自然についてです。



(つづく)



久々に野生の「マッカチン」を見た。
(2017年9月20日撮影)









 口で言うより手の方が早い
 馬鹿を相手の時じゃない

   「柔」 美空ひばり








































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