おじさんの雑記帳 

「20世紀少年」の感想文そのほか 寺本匡俊 1960年生 東京在住

できる子  (第1125回)

 勉強ができる子の意味だろう。コミックス第12集に出てくる小学校4年生時代、山根君が落合君をそう呼んでいる。オッチョはケンヂの悪口を言われて不機嫌だが、できる子発言の否定はしていない。何となく二人とも、孤独の影がある。

 オッチョは実際、ヤン坊マー坊にいじめられているときにも、お勉強のできる子と言われていたし、当時の小学生で、中学校から私学に進学できる奴といえば、できる子で、親が金持ちの場合だけだ(少なくとも、うちの田舎では)。


 前にも書いた覚えがあるが、勉強に限らず他の子より何かが「できる子」は、特に学年が低いとき、それ程いじめられなかった。今はどうか、知らないが。走るのが早いとか、絵が上手いとか、幼い子は素直な心の持ち主だから、素朴に敬う。

 しかし、段々と大人に近づくに従い、逆効果になることもあるから、これまた万能薬ではない。出る杭は打たれるのだ。この種のやっかみは、かなり陰険ないじめになりやすい。わずかながら私にも被害の経験があり、何十年経っても思い出すたび嫌な気分になる。


 手塚治虫の場合、「ガラスの地球を救え」によると、「ぼくはたいへんな”いじめられっ子”でした」と出てくる。なお、この本の副題は、「二十一世紀の君たちへ」。21世紀といえば、鉄腕アトムの時代だ。明るい未来都市のはずだった。

 手塚少年がいじめられたのは、幼稚園から小学校にかけてで、何故かを一言でいえば、外見です。一般に日本ではお互い、肌の色や宗教といった、集団で明確な違いが際立つことが少なく、このため却って細かい違いをほじくり出しては、いびる。チビとか、デブとか、ハゲとか。


 彼の場合は三つの要素があったようで、まず「本当にやせこけたひ弱な子供」であった。これは、私も同じで、「チビ」は外見上の特徴であるだけではなく、「弱そう」という見立てが付いてくる。十歳ごろまでは学校でも近所でも、背の低さと痩せ方でトップ・クラスだったからなあ。

 そういえば、昔は「弱い者いじめ」と言った。これは本当に、年下の子とか女の子とか、腕っぷしの弱い子をいじめることが多かったため(反省しています)、親や教師に「弱い者いじめをするんじゃない」と、弱い者いじめをされていたものです。

 今の日本は、たぶん「社会的弱者」という言葉をよく聞くところをみると、そして犯罪報道でも実際にそうなのだが、被害に遭うのが小さい子とは限らず、ご老人、障害者のみなさん、一人でいる女の人、がんばっても成績が上がらない部下、自分の子などなど、要するに反撃してきそうもない相手を襲う。あるいは名を伏せてネットでいじめる。弱さの概念が変わった。これが中高年には分かり辛い。


 それに加えて、手塚少年の場合、「天然パーマ」であった。しかも、髪が「こわい」(固い)ため、二か所ほど髪の毛が突っ立ってしまうときがあり、これがアトムのヘアスタイル(角型か?)のモデルになったと本人が言っている。ははあ。

 さらに彼は、ど近眼であった。幼いころから眼鏡で、それでもはっきり見えるのは少し先だけ。ついたあだ名が「60センチのメガネ」で、そのくらい前までが視力の限界だったらしい。これが歌にされて、大勢に歌われた。


 これだけ、そろえば、昔のガキどもの世界では、いじめられるのも避けられまい。ただし、この本を読む限り、現代風に言うと「言葉の暴力」だけで、殴る蹴るとか、小銭を巻き上げたりとかいう、大人なら即刻、警察沙汰になるようなことは無かった様子。

 手塚治虫は、このいじめられっ子体験を、そのまま「三つ目がとおる」に反映させたと語る。時を経て、仕返しをしたらしい。同じころ(私の中学校時代)に連載されていた「ブラックジャック」も、いじめられっ子だった。この医者は大人になっても、いじめたり、いじめられたりしている。また、ピノコがそれを真似している。


 手塚先生ご本人によれば、彼がこの窮地を脱したのは、「”いじめられっ子”のぼくをマンガが救った」という章題からも分かるように、マンガが好きで、上手かったからだというご判断である。

 何かに本当に夢中になっている人というのは、確かに、緊張感がその表情や言動に、にじみ出るものだから、邪魔するとうるさそうだという意識がわくのは、大人も子供も変わりが無かろう。毎日、描いていたらしい。


 そして、上手かった。晩年、手塚治虫が「ぼくはデッサンの勉強をしたことがないので、絵が下手だ」という趣旨のことを言っていた記憶がある。確かに型破りではある。ゴッホは、美術学校を追い出されている。アルタミラや錦絵の時代に、デッサンもへったくれもあるまい。革命児に技能は要らない。

 この才能を、彼はひたすら磨き続け、ものすごくできる子になって、他を圧した。ありきたりだが、独りで頭を抱えていても解決する問題ではない。時間と手間がかかるが、エドモン・ダンテスも言っている。待つこと、そして、希望を持つこと。念のため、三十六計逃げるに如かず、というときもある。

 長くなったので次回に続けますが、ここから先の話は大人の課題で、手塚少年は周囲にも恵まれた。ただそれは単なる僥倖ではなく、本人の奮闘努力が招き寄せたものでもある。




(おわり)



暑さ寒さも彼岸までだ  (2017年9月20日撮影)














 Nowhere Man,
 don't worry.
 Take your time,
 don't hurry.
 Leave it all
 till somebody else
 lends you a hand.
    
    ”Nowhere Man” The Beatles




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