おじさんの雑記帳 

「20世紀少年」の感想文そのほか 寺本匡俊 1960年生 東京在住

永遠の0 【後半】  (第1121回)

 前回の続き。これから好き勝手なことを書きますが、判断材料のほとんどは小説に書かれている事柄。また、神風特攻隊が一人残らず志願制だったのかどうか知らないが、物語ではそういう設定になっているので、その建前に従う。実際、上官の無理を断って、激戦地に送られたという噂話は幾つか聞いたことがある。

 宮部は過労であったろう。中国戦線で搭乗員になり、そのまま終戦直前まで、世界各地で命のやり取りをしているのだし、ラバウルでも大変な激務だった。最後のころは教官になったり、ベテランということで直掩の仕事に就く。今度は若い人を死地に送らなければならない。身がもたない。

 
 映画やドラマには時間の制約があるので仕方がないのだが、妻子との物語に相当の分量を割いたため、逆に戦場の彼の様子が削られている。なんだか映像だけ観ると、生き延びるためには何でもする(何もしない)かのような印象を持つ人がいるかもしれないが、彼は大変な後輩や部下思いの軍人だ。戦争中の軍人だから、優しくするのも味方だけだが。

 それが、次々と目の前で死んでいく。それを手助けするような責任を果たさなければならないとしたら、心身ともに消耗するのは当然のことだろう、きっと。宮部は零戦とともに老いた。


 過労は柔軟な思考や、広く長期的な視野をもって考える力を奪う。極端な結論を出しやすい。これは私たちも日常的に経験することで、夕方、疲れて長時間の会議などすると、ろくな結論は出ない。宮部は別人のように見えるまでに衰弱している。

 ちょっと脇道に逸れると、特攻隊作戦の立案・強行も含め、あるいは、あれほど沖縄や広島や長崎を犠牲にしてまで、ずるずると降伏を遅らせたのも、末期の戦争指導者たちの戦争疲れという側面はあると思う。もちろん、そうなる前に決着をつけるのが彼らの責務であり、ああいう結果を招いた責任は果てしなく重い。


 さて、志願制である以上、宮部は特攻に志願したのだ。時機の問題がある。ドラマでは沖縄戦だろうか、1945年6月に戦死という軍歴だったと思うが、小説では終戦の数日前。このほうが、悲惨ではあるが説得力はある。

 すでに長崎に「特殊爆弾」が落ちた情報は、大村や鹿屋の基地にも伝わっている。宮部は叩き上げの特務士官なのだから、もうすぐ戦争が終わるという推測はついたはずだ。それなのに、特攻が行われている。


 いつまでも続きそうな戦争ならどうにもならないが、すぐ終わりそうなら、自分が征くことで、どこかの若者を一人、救うことができるかもしれない。そして、そういうタイミングで、彼が特攻隊員の名簿に、かつて自分の命を救ってくれた教え子の名をみたらどう思うか。

 彼は自分のほかにも、大切な人がいて、我が身の無事を祈り、生還を待ちわびる家族らがいる同僚が周囲にも大勢いることを知った。この小説の世界だけではなく、現実の戦場でも、本当に犠牲になってまで誰かを救けて死ぬ人がいる。宮部は部下や後輩からも教わることのできる人だったと井崎も言っていた。


 あれは死を覚悟した者の目付きではなかったと、景浦が語っている。この男なら、それが分かるだろう。それも、その孫に向かって断言しているのだ。宮部が選んだのは十死零生の特攻ではなく、九死に一生があるかもしれない(そんな確率とすら思えないが)いつもの役割。直掩。

 宮部が特攻を決意してから滑走路に向かったのではなさそうだという感覚は、そのときの景浦との会話の様子からも伝わってくる。そして、最新の五二型から、旧式の二一型に換えてもらった理由はなにか。一つは、それに命の恩人が載っていたからだ。


 それから、もう一つ。二一型は古いが、格闘性能だけは五二型に勝る。事実かどうか知らないが、小説にはそう書いてある。ただ単に突入するだけなら、速度で上回る五二型のほうが適している。でも彼は敵戦闘機と戦うつもりでいたのだ。還れなくても、他の若者が最後の使命を果たす援護ができる。

 私は死後の世界とか生まれ変わりとかいうものを全く信じない。こういう者にとって「永遠の0」とは死のことです。それでも家族なり、戦友の子孫なりが語り継いでくれるのであれば、彼は永遠の戦闘機乗りのままだ。




(おわり)





テニアンの空  (2017年1月15日撮影)

 












 悲しみのない自由な空へ

    「翼をください」  赤い鳥















































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