おじさんの雑記帳 

「20世紀少年」の感想文そのほか 寺本匡俊 1960年生 東京在住

風立ちぬ  (第1117回)

 確かスタジオジブリのアニメ映画を、リアル・タイムで観たのは「カリオストロの城」が最初で最後。今回もレンタルでDVDを借り、宮崎駿監督の「風立ちぬ」を今更ながら初めて観ました。

 堀辰雄の小説「風立ちぬ」は遠い昔の高校時代、図書館で借りて読んだ覚えがある。気が滅入りましたね。あの小説が発表されたのは1936年で、二・二六事件があった年。堀越二郎氏が飛行機の設計に励んでいたのと同じころだ。そのころ結核は不治の病でありました。


 ジブリのアニメは、闇や暗さを持っているもののほうが好きで、ナウシカとかトトロとか、非ディズニー的な作品のほうに魅力を感じる。たぶん作風からして、水蒸気の多い日本のくすんだ風景に適しており、この「風立ちぬ」のような青空や高原には不向きだと思う。まるでハイジだ。

 一方でさすがはジブリの作品、例えば、関東大震災で線路がしなる光景は凄かった。関東大震災は9月1日。二郎さんは、夏休みから大学に戻る途中に被災したのだろう。卒業して、飛行機の製造会社に就職し、設計の担当になる。

 人殺しの道具を造った奴だという批判があるらしい。あの時代、程度の差こそあれ、誰が何をやっても結果的には戦争に貢献するような国家なのだから、どうしようもないではないか。

 事情と経緯があって私は文系に進んだが、父方は代々、木工業の事業経営だったから、あの手の映画を観ると職人の血が沸く。私だってあの時代に生まれ、且つ才能があれば(ここが苦しい)、ああいう仕事をしたに違いない。サバの骨。水圧や空気抵抗にさからって進む流線形の構造を支える骨格。


 また、ヒロインがサナトリウムに入ることについて、どうせ金持ちという妙なルサンチマンを発揮して嫌う人もいる。確かに裕福ではありそうだが、でも当時はお金でも治らない。堀辰雄の医者も診断はするが治療は放棄しており、辛抱するんですな、なんて言っている。
  
 サナトリウムはきっと今の介護施設や老人ホームと似ていて、金持ち用の施設もあったろうが、基本的には貧困対策で、乱暴な言い方をすると後がない人たちのターミナルだったのだ。映画でも静養のシーンが出てきたが、あれが金持ちの特権に見えるだろうか。


 うちの近所に住んでいた正岡子規も、喀血して病院と結核保養所に入れられた。正岡家は、子規の死後、母のお八重が「いつもお金が足りなくて、あの子には苦労をかけた」と泣いたほどの貧乏だったのだ。結核は空気感染する。狭い部屋で大勢、暮らしていた日本の一般家庭においては恐怖の病だった。

 ちなみに、拙宅の近所では、他にも上野の図書館で勉強しながら小説を書いていた樋口一葉も、上野の藝大を出ている春のうららの隅田川滝廉太郎も、結核で亡くなっている。信じられないほど若い。

 ストレプトマイシンが日本で普及したのは先の大戦の直後だから、菜穂子さんも、あと少し長生きしていれば治ったかもしれない。もっとも、あの凄惨な戦争を体験せずには済んだわけだが...。戦争そのものを描かずに、戦争の酷さを訴えるのは楽ではない。


 第二次世界大戦の大きな原因の一つは、これでも経済史専攻なので一言申し上げると、1929年に始まった世界大恐慌である。映画に出てきた銀行の取り付け騒ぎも、あの恐慌の一環で起きた。あれで、先進国が富国強兵合戦を始め、食い詰めた若者が兵隊になる(これは現代でも変わらない)。軍事国家は貧困政策をとるのだ。

 主人公が飛行機の部品を調達し、それが郵便小包で届く場面がある。上司の黒川さんが、「ジュラルミンか」と感心している。このアルミ合金で日本の航空機は軽量化し、長距離飛行が可能になり、操作性が向上した。


 しかし、軍備は真似っこの泥仕合だ。わが故郷の静岡は、サイパンテニアンから空襲のため富士山を目指して飛んでくるB29の通り道にあたり、このため昼間でもときどき上空に見えたらしい。

 住宅地への空襲は、なるべく大勢殺すため、夜間を狙う(原爆は人体実験の観察と撮影のため、昼間を選んだが)。当時小学生だった母によると、憎き敵の飛行機ながら、晴れた日のB29は日差しを受けてキラキラと銀色に輝き、きれいだったという。あれがジュラルミン


 堀越さんのジュラルミン部品を包んでいた新聞紙に、「上海事変」勃発の記事が載っている。しばらく前に観た木下恵介監督の映画「喜びも悲しみも幾歳月」も、前半は戦争が進行中で、最初は上海事変の年だと字幕に出る。1932年。

 上海事件は、その前年に起きた満州事変以降の軋轢が、頂点に達して爆発した事件です。しかも万里の長城の内側に波及した。さらに、上海は欧米各国が占領している租界という名のマイクロ植民地があったから日本は悪役になった。原爆投下の当事者スティムソンもこのとき、ここに居ました。


 堀越二郎が、確か妹さんだったと思うが、ポンポン蒸気船に乗って送っていく場面がある。あれは隅田川です。船の名が「江東丸」になっているし(江東とは、大きな川の東側)、行く先に千住のお化け煙突らしきものが見える。浅草の五重塔も立っている。

 このあたりは、江戸の昔から人口が多く、最初は武家屋敷で(吉良上野介とか松尾芭蕉とか勝海舟とか)、荷風のころには庶民もおおぜい住み、人口密集地域になった。主人公のアパートがそこにあるという設定になっている。1945年3月の東京大空襲では、ここでB29が殺戮の限りを尽くした。浅草寺の塔も焼失している。


 そういえば冒頭、この世のものとは思えない禍々しい船団が空をゆく場面がある。母船らしき巨大な船に、十字の印がある。最初はハーケンクロイツかと思ったが、当時は主人公たちが留学するほど仲の良かった国なので、それはない。

 先日ここで話題にした映画「明日への遺言」に出てくるGHQ軍事法廷では、警備の男たちの腕章に、これとそっくりの十字の印がある。米軍の勲章も、十字をあしらったものが多い。まあ、結局、ハーケンクロイツと出所は同じなのだ。日本はいつも丸印。

 私はあの夕立が降り始めるシーンが好きだな。




(おわり)




オオバコ。映画にも出てきました。
(2017年7月5日撮影)








 帰つて入らつしやるな。さうしてもしお前に我慢できたら、
 死者達の間に死んでお出(いで)。死者にもたんと仕事はある。
 けれども私に助力はしておくれ、お前の気を散らさない程度で、
 屡々遠くのものが私に助力をしてくれるやうに − 私の裡で。

    リルケ 「レクヰエム」  − 堀辰雄 「風立ちぬ」(青空文庫)より






 風はどこへも行きます  「なぜか上海」 井上陽水





























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