おじさんの雑記帳 

「20世紀少年」の感想文そのほか 寺本匡俊 1960年生 東京在住

プラットホーム  (第1107回)

 まだ続き。「静岡連隊物語」の柳田芙美緒さんが、岡田中将の逸話に詳しかったことの傍証みたいなものを挙げます。映画「明日への遺言」の原作「ながい旅」によれば、大岡昇平さんが、アメリカに持っていかれてしまったこの裁判記録が一般に公開されて、ようやく読めたのは戦後三十五年が経過してからのこと。

 報道もされず公的文書もないとあっては、関係者の証言と本人が書き残したものしかない。その最後の日々を知る関係者となると、当該裁判に立ち合った司法関係の人たち、彼のご遺族や部下、そして巣鴨プリスンで一緒だったBC級戦犯といった周囲の方々に限られる。


 「静岡連隊物語」の短編「帰還前後」の内容は、軍属カメラマンの柳田さんが、インドネシア戦線のスマトラ島から、本土に帰還命令が出たあとのことだ。これがまた明確な理由の心当たりもなく、どうやら軍属記者の従軍が長すぎては気の毒であり、連れ歩く軍人も何かと大変ということのような感じがする。

 もっとも、手ぶらでは返してくれず、大至急、静岡230連隊全員の写真を撮影し、故郷静岡に持ち帰って家族らに見せてやってくれという重い責任を課せられ、撮れるだけ撮って還ることになった。さすがに彼の為だけに交通機関の便宜を図るほどの余裕もなく、一人でまずシンガポールに渡り、陸路サイゴンに移動する計画を立てた。


 シンガポールの駅からは汽車であるが、あいにく、そこまでの旅で「たばこ飢饉」になってしまった。現地軍を訪ね、成田「営兵長」(たぶん、衛兵長のことなので、以下そう書きます)に渡航計画を伝えた後、「何かほしいものはないか」と訊いてくれたので、タバコを所望した。

 成田衛兵長は「むづかしいと思うが、参謀か偉い人に頼んでみるか。」と言ってくれた。出発の間際、汽車が「この世の別れ」のような汽笛を鳴らして走り始めたとき、「その汽車、待て」とホームを走って来る将校一人。成田衛兵長が「ルビークイン」の大箱を抱えてかけてくる。


 「ルビー・クイーン」は当時のベトナム(元仏印)の軍用煙草だそうだ。あやうく遅れかけたのは成田さんの責任ではなく、どの汽車か知らなかったため、探し回ってくれたらしい。

 「感謝感涙」の柳田さんは、「同郷のテアイはいいものだ」と書いている。若くて誠実とも書いている。成田衛兵長は清水、柳田カメラマンは焼津の産で、いずれも今に至るまで遠洋漁業では日本屈指の港町。そして、二人とも静岡連隊の出身なのだ。


 「帰還前後」の後半に、もう一度、「颯爽たる目付きの青年将校」、成田氏が登場する。長いお勤めがようやく終わり、帰国した。そして、やっとで所帯を持ったと思ったら、またも赤紙が来た。私の伯父と全く同じパターンである。

 ただし、戦況は更に悪化し、本土防衛の必要性が増していたため、国内での水際作戦部隊であり、地元を所轄する東海軍に配属となった。成田士官が挨拶に行くと、顔を上げた「東海軍の偉い人」が、ここでも衛兵長を頼もうと快活に言った。衛兵とは昔の番兵みたいなもので、部隊の警備や施設の監視などを行う。

 この成田さんが、映画「明日への遺言」に出てくる成田喜久基中尉だ。これは柳田さんが、一か所だけ下の名前まで書いているので間違いない。そしてその上司が岡田資司令官だった訳だ。そのまま敗戦となり、そろってB級戦犯巣鴨に入れられた。


 私の手元に、古い非売品の冊子がある。静岡の古書店で手に入れた。巣鴨プリズンで岡田元中将の最後の年月を共に過ごした死刑囚たちが、一周忌の記念にご遺族に送るため思い出をなど書き寄せたものを、二十年余り経って後、活字に起こしたものです。

 20年も後だと分かるのは、冊子の中にニ十回忌に集まった「岡田会」の集合写真が入っているからだ。パラフィン紙をかぶせると、写っている人の氏名が分かるようになっている。「成田喜久基」さんもいらっしゃる。


 柳田さんは写っていない。だが、そのパラフィン紙の欄外に、「カメラマン 柳田芙美緒氏(撮影)」と印刷されている。この会合で会った人たちから、柳田さんは戦時中や獄中の司令官の様子を詳しく聴く機会もあったことだろう。
 
 この冊子の最初のページに、昭和二十年の岡田資氏の写真が掲載されている。20年後の集合写真においても、慰霊写真に使われており、軍服ではなく開襟シャツ姿。映画では、手錠をかけられたときの藤田まことが、この姿を再現していた。

 ここまできたら、ついでにあと一回、お世話になった大岡昇平著「ながい旅」を話題にします。





(おわり)
 




千日詣の日。石段のきつかったこと。
(2017年6月23日、東京都港区、愛宕神社にて撮影)







 ふるさとは走り続けたホームの果て
 叩き続けた窓ガラスの果て

      「ホームにて」  中島みゆき








出典 「ああ岡田司令官」 成田喜久基 編 (昭和五十年)








































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