おじさんの雑記帳 

「20世紀少年」の感想文そのほか 寺本匡俊 1960年生 東京在住

AI  (第1101回)

 人事や雇用に関連する仕事をしているので、最近「AI」や「人工知能」という言葉に接することが多くなった。何でも、人から仕事を奪う心配があるらしいぞ。ラダイト運動が、また起きるだろうなあ。うちの近所のラブホテル「愛」のローマ字表記と同じ。

 この「AI」が、私には何だかよくわからない。コンピュータやロボットと、どこがどう違うのだ。コンピュータの、もともとの意味は計算機だが、今やブログまで書ける。何をやらせても、私よりうまい。もちろん設定や作業が必要だが、人間の教育より、はるかに楽だ。


 どうもそれらしきものというと、将棋を指す奴だな。将棋は中学校以来やっていないが、テレビのニュースに写ったりすると、つい眺める。綺麗な畳が敷かれた和室に、和装の二人が静かに座っている。風情があって宜しゅうございます。そういう場に、C3POみたいのが出てこないでほしいのだ。

 私がこういうのに対して持っている印象が悪いのは、SFの小説や映画の影響が大きい。「2001年宇宙の旅」、「ブレードランナー」、「ターミネーター」、「ハイペリオン」。どいつもこいつも、人さまに逆らう。ときどき、逆らうものに対し逆らうものまで出てくるから、始末に負えない。


 当然であろう。人工なのだ。我々が持つ悪、肝心なときに限ってやらかす大失敗、用事があるものにしか関心を示さない視野の狭さ。こういったものが、人間のつくるものに、仕込まれないはずがないではないか。

 こうして、どうでもよいことを書いているわけがあって、先日来、暇があると「20世紀少年」の傑作、「ヴァーチャル・アトラクション」が人工知能にあたるのかどうか、考えていたのだ。結論、出ません。AIが何なのか、それを決めつける前に、結論が出るはずがないことだけは分かった。


 ちょいと頭の体操。ヴァーチャル・アトラクションは、外形的には単なる機械類とステージとヘッドギアであり、外部にいる人間にとっては、毒にも薬にもならない。問題は中身なのだが、ただし機械の中に踏み込めるわけではなく、「ニューロマンサー」と同様、こちらの本物の脳神経と直接、機械が繋がる。

 ヴァーチャル・アトラクションとのやりとりは、「現実のようで現実じゃねえ」ものなのだが、大半の夢と異なり、繋がった回路が切断されても、鮮明に記憶が残る。つまり、記憶も私たちの現実と呼ぶならば、終わったあとで現実になる。現実に介入してくる機械。


 連中には野生動物の本能や生老病死がない。人間的な理性も感情もない。親近感を抱けるはずがないではないか。ディックの怪作「アンドロイドは電気羊の夢を見るか」をハッピー・エンドという人がいるが、私は全くそう思わない。

 あんな人間と、あんなアンドロイドが増殖したら、まさにこの世の終わりだ。では、ラララ科学の子、鉄腕アトムはどうか。子供向けなので愛嬌がある。生みの親、手塚治虫に「ぼくのマンガ人生」という本がある(岩波新書)。講演録を編集したものらしい。延々と引用します(適宜、改行)。


 前にも述べましたが、「生命の尊厳」はぼくの信念です。ですから、僕の作品の中にはこのテーマが繰り返し出てきます。『鉄腕アトム』がぼくの代表作と言われていて、それによってぼくは未来が技術革新によって幸福を生むというようなビジョンを持っているように言われ、たいへん迷惑しています。

 アトムだって、よく読んでくだされば、ロボット技術をはじめとする科学技術がいかに人間性をマイナスに導くか、いかに暴走する技術が社会に矛盾をひきおこすかがテーマになっていることがわかっていただけると思います。しかし、残念ながら、一0万馬力で正義の味方というサービスだけが表面に出てしまって、メッセージが伝わりません。


 手塚先生は、これに続いて「0マン」も「ブラック・ジャック」も「火の鳥」にも、同じテーマをじゅうぶん書き込んだのだと語っている。人間の尊厳というと、思い出すのはドクター・キリコだ。ブラック・ジャックとは方法論が正反対なのだが敵ではない。

 「火の鳥」は、最初の物語でいきなり、ハルマゲドンとカタストロフィが描かれる。人工知能の行き付く先に、人間の尊厳が尽きるときがくる。AIはブラック・ジャックや我王のように悩まない。たぶんAIは速魚を救わない。この週末、東京は暑くてメダカの仔がたくさん生まれ、私は機嫌が良い。





(おわり)






岡本太郎 「森の神話」  (2008年2月2日撮影)













 人間守って  「鉄腕アトム











































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