おじさんの雑記帳 

「20世紀少年」の感想文そのほか 寺本匡俊 1960年生 東京在住

プリンセスの信頼  (第1035回)

 この下書きを書いている前日に、イギリスで国民投票があって、EUからの離脱を支持する票が、残留を希望する側を上回った。負けた首相らはがっかりだろうが、それにしても民意がこうも真っ二つになるとは、しかも、雇用不安や難民といった深刻な事態が背景とあっては、勝った方も喜んでばかりはいられまい。

 先日、パラリンピックの記事など読んでいたときに、ずっと前ここで話題にしたダルトン・トランボの「ジョニーは戦場へ行った」を思い出した。同じ作家が「ローマの休日」の脚本を書いたとは思えないという感想を残した覚えがある。今でも不思議に思う。


 二次大戦が終わってから1950年代にかけて、欧米は共産主義陣営の台頭に戦慄したらしい。実際、朝鮮やベトナムで戦争が起きて、20世紀後半の国際社会は二大陣営の派閥抗争で大変な騒ぎになった。その初期にハリウッドで起きた赤狩りは、私が物心ついた60年代になっても、よく話題になっていたものだ。トランボもレッド・パージの被害者である。

 主な彼の作品集をみれば、異色なのはジョニーのほうではない。「ローマの休日」だけが浮いてみえるような感じがする。トランボは、本当にお姫様の賑やかな休日だけを描きたかったのだろうか。例によって、好きな深読みで楽しむことにする。


 映画の最後に、記者会見が行われる。それまで周囲に操り人形のごとく振り回されていたアン王女は、印象に残った場所はどこかと記者に訊かれて、諸国歴訪の直後なのに、台本に反して決然と、「なんてったってローマよ」という感じの発言をし、御付きのおじさんたちを驚かせている。

 さらに、ヨーロッパ諸国の連携は、この経済の混乱に役立つだろうかという質問が取材陣から出ると、それを肯定するとともに、人と人とのつながりも大切だと信じていますとお答えになられた。これもアドリブである。この場に居るだけでも驚きだったアメリカ人の記者が、そのご信頼はいつか正しかったという裏付けがなされることでしょうと、プライバシーとの掛詞で感想をお伝えしている。


 プリンセス・アンは、単なる観光旅行で外遊したのではない。最初のうちは、いかにもロイヤル・ファミリーの使節らしく、いずれも立憲君主国であるイギリスとオランダを訪問したことが、映画冒頭の「パラマウント・ニュース」で伝えられている。

 しかし、その次は共和国のフランスだ。エッフェル塔の写真が出てくる。パリでは、彼女の国やヨーロッパ諸国の通商に関する国際会議にご臨席されたという意味のアナウンスがある。このため、最後の記者会見では、前述のような国際政治に関わる質問が出て来たのだ。


 映画「ローマの休日」は、1953年に封切られている。その前年には、イギリスで王様が交代しており、その日から今日に至るまで、女王陛下は君臨すれども統治せず、さすがは大英帝国国家元首というほかない。彼女の長女が、はねっかえりでお騒がせのアン王女(実在のほう)だった。

 昨日のニュースによれば、EUはその前身も含めると、1952年に創始されたものだという。戦後の混乱と東西対立を目の当たりにした西欧の国々が、連携を計り始めたのだ。アン王女(架空のほう)が、パリやローマでその議論に巻き込まれたヨーロッパ諸国の団結の動きとは、この映画の制作年からして、その運動をモデルにしているに違いない。


 そんな話題を脚本の最初と最後に据えたトランボの意図は分からない。ともあれ、祖国から放り出された彼の創作活動を支えていたのは、ハリウッドの大資本ではないだろう。国家間の条約だけで、難局を乗り切れないだろうとプリンセスは言った。その信念が正しかったかどうか、半世紀以上の時を経て、欧州はこれから身をもって示さざるを得なくなるだろう。特に、イギリス、逃げ切れると思うか?

 特報と大金を放棄した二人の記者は、トランボの分身なのかもしれない。





(この稿おわり)







ギター状の武器








 早く逃げろよ 早く逃げろよ
 このままいると ヤケドをするよ
 後ろを振り向くな あははは

   「女はそれを我慢できない」 アン・ルイス









花菖蒲 (2016年6月3日撮影)
























































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