おじさんの雑記帳 

「20世紀少年」の感想文そのほか 寺本匡俊 1960年生 東京在住

昨日から世界はドンパチ禁止  (第1033回)

 昨日の続きです。子供のころは庶民の会話に、仏教用語があふれていたように思うのだが、最近はすっかり廃れて来たような観がある。例えば、「縁起でもない」。悪い冗談や、要らぬ心配や、面白い予言などを言い続けていると実現してしまうおそれがあるのだ。

 フロリダの大量殺人が起きる前に、これをやった。きっかけは大した話ではなくて、拙宅の書棚に並んでいる文庫本の「華氏四五一度」というレイ・ブラッドベリの小説名が目に入った。そういえば、マイケル・ム―アが「華氏911」を発表したとき、レイおじさん、怒っていたなあと思い起こしたのだ。


 連想が働いて、同監督の「ボウリング・フォー・コロンバイン」も思い出した。私の愛読漫画にはボウリングの神様が登場し、縁起でもない夢ばかり見ては往生しているのだが、今もって訳が分からないのは、あの小僧どもが同級生たちを撃ちまくる前に、ボウリングに興じていたというムーア監督の報告である。

 そんなことを何となく考えていたら、まず、アメリカで若い女性の歌手が、ファンの行列に並んでいた男に射殺されたという痛ましい事件をネットで知った。歌、歌ってる奴を撃つな。なあ、ジョン。やっぱり、いなくなって淋しいよ。戦争はもう終わりだと歌ってたじゃないか。


 そのすぐあとに、フロリダの事件が伝わって来た。早くも犯行に使われたのと同じ型の銃なるものの画像が、テレビのニュースに映っている。「ああ、M16だなあ」と思った。正確には、翌日の新聞によると、M16を「民間向けに」改造したAR-15という、より扱いやすい銃で全米に300万丁ぐらいあるらしい。持ち主がディア・ハンターばかりとは限るまい。

 M16は、カンボジアで見た。もっとも、首都プノンペンでは当時(1990年代後半)、ロシア製のカラシニコフのライフル、AK-47を兵士や警官が持ち歩いていた。オウムが「レザーぢゅう」のごとく、作り損ねた銃だ。ロシアで購入や訓練をしていたことを最初は否定していたらしいが、幹部がご丁寧にも「AK」を「アーカー」と現地語で発音したため御用となった由。


 これに対し、M16は同国第二の都市で、タイ国境に近いバッタンバンに出張の際にたくさん見た。どうやら資金源や調達ルートが異なるらしい。なぜ、銃の名まで分かったかというと、少し前まで現役の下士官だった現地採用の部下が教えてくれたからだ。ベトナム戦争の映画によく出てくる米国陸軍の制式軍用銃である。上手く撃てば、銃弾一発で二三人倒せると言っていた。体験談じゃないだろうな。

 この部下ともう一人の別の部下は、そのころ最終段階を迎えていたカンボジア内戦の一時期、敵同士で同じころ同じ地域にいたらしい。二人に、戦場で会ったことがあるんじゃないかと訊いたら、「メイビー」と言って笑っている。一人は銃を今も三丁持っていると語っていたものだ。こういう職場でパワハラ上司にはなれない。


 AK-47を一度、警護の警察官に持たせてもらった話をずっと前にここでも書いた。ずっしりと重くて長い。そして、撃ちたくなる。何かを。優れて機能的な道具は、使ってくれと誘惑するものだ。幼い子供だって小さいボールを手にすれば投げるし、大きいボールが転がっていたら蹴るだろう。

 しかし、あの大きさと重さでは、一般人(治安当局者以外)が外出時に持ち歩くのは無理だし、それどころか屋内でも、いきなりピストルやナイフを持った奴が入って来たとて間に合うまい。アメリカのライフル協会は、護身用に不可欠と言うが、保身用の間違いだろう。金儲けと心理の両面で、頼りにしているのだ。それが統計上で300万丁。数十人に一丁ぐらいか。


 AK-47もM16も、正確な定義は知らないが、一般に「自動小銃」と翻訳されている。小銃なんていうと可愛らしく聞こえる呼び名だが、機関銃などよりは小さいという程度問題であって、実際は上記のごとく、私が手にしたことのある最大の殺人兵器である。こんな言葉までデフレか。

 カンボジアの英字新聞は、AKをアソールト・ライフルと書いていた。調べたら、その辞書では和訳が「突撃用戦闘銃」となっていた。これは自らの命を守るためのものというより、遠くにいる誰かを、敵か味方かは構わず、撃ち殺すのに適している。そういうものがアメリカではインターネットで注文できて、普通の人が普通に買い取りに行けるのだな。


 流石に日本では、銃による犯罪は少ない。そのかわり相手が丸腰であることも分かっているので、抵抗しそうもない女子供や年寄り、あるいは立場上、反撃できない駅員さんなどを狙って、自分の安全だけは確保しつつ、粗暴な犯罪に走る者が後を絶たない。凶悪犯罪は件数的には昔より減ったとのことだが、質的に変わってはいまいか。

 十数年後にご家族から聞いた話だが、アメリカにいた当時、私を恨んだ人間が自宅で金庫から拳銃を取り出し、「テラモトを殺す」とその家族に言ったそうだ。そいつは私の職場も知っており、その気になれば、できただろう。なぜ諦めたのか知らない。こんなの撃ってムショ入りでは、割りに合わないなといったところか。


 食料について安全安心と騒いでいる国に生まれて、どれほど運が良かったか、こういう機会に考えておかないといけない。民主主義、主権在民とは聞こえがいいが、世の中の在り方を自分たちで決める責任があるということだ。問題解決の手段として、暴力を容易に用いる社会になったら、国家権力も喜んでマネするだろう。

 アメリカでもカンボジアでも、アメリカ人は世界で一番、危険な駐在者だと言われていた。そばに住むなとまでアドバイスされたことさえある。それほどまでに、世界中から恨みを買ってきているということだろう。本当に大丈夫ですか、集団的自衛権の積極的な行使。今後の相手が、洗脳やらリモコンやらで、ムショ入りを心配しない人たちだったら困る。





(この稿おわり)





花  (2016年6月4日撮影)





 
 お袋からやっと 解放されたっちゅうに
 今度はあの娘が リモコンしようとしている
 でももうあの娘と 別れることはできない
 他の男にやるのなら 殺した方がいいのだ

   「ねどこのせれなあで」  泉谷しげる










































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