おじさんの雑記帳 

「20世紀少年」の感想文そのほか 寺本匡俊 1960年生 東京在住

昔の名前で出ています  (第993回)

 この原稿を書いているのは3月3日の夜。本日は、先週末が仕事で休めず久々の代休にした。そして、前から楽しみにしていた世田谷文学館で開催されている浦沢直樹さんの個展を観て来た。天気も好く気分も良かったから、近くの芦花公園の周辺も歩いてきた。蘆花は別のブログに関わりがある。

 かつて世田谷に住んでいたから、文学館も芦花公園も初めてではないし、この辺りは用事でよく歩いたものだ。それにしても文学館は混んでいると聞いていたので、平日の午前中に行ったのだが、それでもかつて見たことのない入館者数であった。さすがの人気である。唐沢さんからの献花があった。文学館の入り口でケンヂ少年のお誘いも受けた。




 この個展のことについては、いつか書く日が来ると思うが、今すぐは止めておきます。逐一思い出して書き出すと、大きく影響を受けてしまいそうだからだ。ただでさえ、会場で資料や原稿などの展示物を観たり、買ってきた本をパラパラと読んだだけでも、相当量の情報が入って来る。すでに前回までを書いた私と、今の私はかなり違う。

 そうはいっても、とうにインターネットやマスメディアで作者や作品についての断片的な話題はたくさん耳にしているので、気付いているだけでも随分、外からの刺激を受けているのだが、それは避けようがない。前置きが長い。感想文なので、このまま続けることにして、購入した本の読書はあとにする。


 映画の続き。路上ライブの前座ともいうべき二階ライブは終わった。そのあと映画は短いシーンが三つほど入れ替わりで出てくる。いずれも、このあとに登場する人物のための予告編のようなものだ。すなわち少年時代の秘密基地の被害、海ほたる刑務所の会話の続き、そして、レナちゃんとケンヂのやりとり。

 秘密基地のシーンは、マルオ少年が双子に放り投げられたという災厄の日で、映画では「ヤン坊マー坊、殺す」と誓ったケンヂが、無謀にも神社に単身で敵討ちのため乗り込み(私は学生時代に、一乗寺下り松の近くに住んでいた時期がある)、戦闘の開始直前に強力な助っ人が現れるという寸法である。

 海ほたるでは、そのとき助っ人に来た子が大人になっていて、漫画家角田氏の質問に答え、本当のことは教科書にも新聞にも、どこにも書かれていないと、本当のことを話してしまっている。そういう態度だから、24世紀ぐらいまでの懲役刑に処せられているのだが、もうすぐ外出の時間である。


 そのあとが歌舞伎町で、レナちゃんはここで働いているらしい。漫画のように渋谷ならまだしも、歌舞伎町のこういうお店に無造作に入ると、私程度の財布と気力体力では、幾つあっても足りない破目に陥ることを覚悟しなくてはならない。

 ただし、ここでのケンヂは単にムボーなのではなく、映画だけご覧の方には伝わっていない話なのだが、要するにケンヂは情報収集のため、自分の職場で商品を購入するフリをする。フリのはず。ここの商品とは、接客サービス業であるため、自ら赴く必要があるのであった。


 映画では唯一の怪し気な場面であるが、この映画はR指定されていないはずなので、幼稚園児でも観て良い。気の毒だが観ても分かるまいし、分かれば分かったで残念な展開になるが止むを得ない。個室は意味ありげに、ピンク系の照明が灯されている。グラビア・アイドル時代と同じ名前で平気ということは、事務所に内緒のこっそりバイトではなく、すっかり転職したのだろう。

 アメリカではブルー・フィルムと呼ぶのに、なぜか我が国ではピンクが斯道のシンボリック・カラーになっており、ピンク・レディも表向きはカクテル名から採ったことになっているか、初期の歌詞や衣装は、この伝統に沿うものであった。彼女らは人気が出過ぎて、お子様向けアイドルになったのが運の尽きだった。


 レナちゃんの商法はその詳細がつまびらかでないが、映画でも壁に貼ってある追加料金のメニューと複数のハンガーから勘案すると、未成年向けの映像化は困難なものであるらしい。ケンヂは全く寄り道をする余裕がなく、単刀直入に用件に入っているのだが、サングラスを外したため、お尋ね者であることがあっさり分かってしまった。

 普段は女性に乱暴なことをするような主人公ではないのだが、逃げられては会話ができないので押さえつけた。動転した敷島レナちゃんであったが、やがて肩の力を抜き、さらには開き直った。ケンヂは父親の情報を得たかったのに違いないのだが、娘が見せた写真はお父さんの設計による「何だこれは」であった。


 20世紀の終わりごろ、途上国にいた私は初めて出張者に、デジタル・カメラを見せてもらったのを覚えている。そのまえに出た使い捨てカメラ(後に、名前が環境に優しくなくてけしからんということで、レンズ付きフィルムという奇妙な名称になった)も充分、驚きの新製品だったが、デジカメの比ではない。写真の形態から撮影・保存の方法に至るまで一変した。

 おかげさまで、出張が劇的に便利で多忙になった。何より、安く大量に写せる。私は苦手だが、編集までできる。それまでは暗い部屋で、プロや経験者が化学反応を利用して紙に印刷するプロセスを進めていたのだが、今やわざわざプリントする人は少なかろう。私自身、最近では証明書や履歴書に貼るため、人相の良くない証明写真を撮ったことぐらいしか覚えがない。


 しかし、メモリー内のデジタル写真では、例えばサダキヨがいきなり訪問しても、関口先生がその場で即座に「お前だろ」というような一期一会の対応が難しい。これと同様の事態に備えたのか、レナちゃんはテロリストに、紙に焼いた写真を見せている。そうでなければ、何故ここにそれがあるのか分からない。この仕事には使えない被写体だと思うが。それに、親不孝な娘。

 昔のアナログの写真や映像は、素人が編集するのは至難の業であると思う。少なくとも当時は、みんなそう信じていたはずだ。だからこそ、映写機で見たオッチョも、この写真を見せられたケンヂも、その得体が知れないものの、これがヴァーチャルではないことを直感している。写っているのは昔のボウリングの球と似ているが、どうやらもっと巨大らしい。


 ケンヂはこのような展開を想定しておらず、早く仲間を集めないと遊びの時間が始まっちゃうよという予言まで聞かされて、途方に暮れている様子である。この頓狂な話を信じて集まってくれるのは、せいぜい秘密基地の仲間だけだろう。困るのは、どっちにしろ多勢に無勢。そして、お相手の”ともだち”も、その一員であるおそれがある。

 その候補者の筆頭は、当時きわめて高価な国際固定電話で呼び出さないといけない所にいるらしい。しかも、何度かけても出ない。いっとき疑ったその男を、やっぱり考え直して呼ぶことにした理由は明らかにされていない。でも、かつて、大事なときに駆けつけてくれたことを思い出したのだ、きっと。それにロックと映画が好きな人に、悪い奴はいないはず。






(この稿おわり)







梅が満開でした。芦花公園駅のそばにて。
(2016年3月3日撮影)










 Oh, what dear daughter beneath the sun could treat a father so?  

   ”Tears Of Rage”  The Band


 日の本に生まれし娘が、父に向かって何たる仕打ちぞ。
 ザ・バンドウッドストックで演奏したボブ・ディランとの共作、「怒りの涙」。
 デビュー・アルバム ”Music from Big Pink” の収録曲。









追記: 前回、話題にしたばかりのジョージ・マーチンがお亡くなりになりました。ご冥福をお祈り申し上げます。「In My Life」のピアノ、素敵です。


























.