おじさんの雑記帳 

「20世紀少年」の感想文そのほか 寺本匡俊 1960年生 東京在住

痛風  (第969回)

 
 今日は番外編。あまり楽しい読み物ではないことを、あらかじめお伝えしておきます。心身の変調で仕事に集中できないので、こうしてブログで気を紛らわすことになった。こんな書き込み癖にも、意外なご利益があったものである。新年早々、痛風の発作が出ました。なるほど痛い。

 21世紀中高年に持病が増えた。私は幼いころから病弱で、そのまま現在に至り、数年の単位で病院に通っている病気が四つ。他にもう諦めて放置しているのが若干数。本日新たに、持病の新顔が加わったことになる。もっとも今回が最初の発作だから、慢性化すると決めつけるのは早いが、再発も多いそうなので、これで終わりと期待するほどこの人生は甘くない。


 周囲には酒のみが多いため、男で三名ほど痛風を患った人がいる。いずれも強烈な痛みに襲われ、救急車、入院、松葉杖などの御厄介になった話を聴いていた。私の場合、ここ三年ほど尿酸値が「7」の危険水域を超え続け、うち2回の検査では「9」を超えて、複数の医師からこのままでは発病も時間の問題と言われていたので自業自得そのものである。

 痛風にならないほうが変だと言われた挙句、しかも悔しいことに教科書通りの経過と症状を呈した。なお、以下はあくまで私個人の状況だから、年齢や性別や体質の違う人には参考になるどころか、不適切な参考事例になりかねないのでご注意下さい。ご心配のことがあれば(のたうち回れば勿論)、専門医に相談してください。

 
 まず、上記の通り尿酸値の高止まりが続いた。胃の調子も今一つだったので、酒を量的には減らしたが、止めたり抜いたりはしなかった。ちょうど忘年会や正月の時期に重なって、付き合いも増えたり続いたり。個人事業(組織でいえば経営者や営業)は、簡単にお誘いを断れない。また最近は、慢性胃炎に加えて肝機能の数値も不良で、消化吸収能力が落ち、それに年齢的な問題もあったろう。

 予兆が出るらしい。私の場合も、両足の親指の付け根辺りが、何となく腫れぼったいと感じたことが最近、幾度かあった。ところが、それを上回る腰痛で連日苦しんでいるため、つい注意が散漫になってしまった。こういう状況で、年末年始に散歩や初詣などで、常に増して運動したものだから、プリン体の結晶とやらが足指で反乱を起こしたらしい。


 1月3日の朝。前の日に2時間ほど歩いて、初詣の神社巡りをした。四つの神社を近所で巡り、多くの神様に例年のごとく、第一に健康、第二に商売繁盛、第三に家内安全という近年の不動のトップ・スリーを祈願したばかりの翌朝に発症した。困る前から神頼みしたのに、これはないだろう。信仰心が薄いと逆効果なのだろうか。

 いやいや、八百万の神がそんなに狭量なはずがない。お詣りがなかったら、もっと悲惨な目に遭ったに違いない。多くの経験者によれば、痛風の痛さは甚大で、かつて産業医の内科医の先生からも、風が吹いて当たっても痛むからこの名が付いたと聞いた覚えがある。風が吹いたら、か。


 もっとも、風邪、中風、風疹というように、漢語の病名・症状名には「風」の語が良く使われており、一説にはこの風は「神経」のような意味で、病気が神経に障って苦しむという意味だという。どちらでも良い。というより、どちらでも困る。

 私にとって不幸中の幸いは、この病気によくあることらしく朝痛くて目が覚めたものの、救急車レベルの激痛ではなく、痛み止めも飲まずに二日間過した程度の症状であったことだ。しかし、酒も外出も止めて丸二日たったのに回復もしない。それに運動したから、突き指や捻挫の心配もあったので、下手な自己流の手当もせずにいた。


 最初の夜は、痛みで一瞬、目が覚めたものの二度寝したので、こんなものかと油断した。次の夜すなわち昨晩は、本日早朝の3時ごろより鈍い痛みの連続で眠れなくなり、そのまま朝を迎えた。今週来週は仕事が溜まっている。もう放置できなくなったので、黒田官兵衛のように片脚を引きづって近所のかかりつけの内科に参りました。

 先生は一目見て、「典型的な痛風」との診断を下された。これまでも、いつか来るよという予告編的な会話を何度か交わしてきたので、お気の毒にという雰囲気はなく、淡々と今後の治療や服薬の説明があり、血液検査と尿検査を受けて帰った。さすがに看護師さんと薬剤師さんは、気の毒そうな顔をしてみえた。動きが鈍く、よほど痛そうな様子だったのだろう。


 重度ではないとは思うが、この通院から戻ったころには青息吐息。慣れない片足歩行で全身がくクタクタ。他方で万一、骨折や肉離れで手術・入院ということになったら、目前の仕事に穴をあけてしまいかねず、率直にいうと服薬と安静が必要とだけ言われたので少しほっとした。気が抜けた。ただし、再発の確率はケガより高いはずである。目先のハードルを一つ乗り越える目途が立っただけだ。

 疲れ切った頭と目で複数の薬の説明書をようやく読み、所定の量を飲んで湿布を貼る。昼食をとり、そのあと疲れと睡眠不足のため二時間以上も昼寝して、仕方がないが今日はもう棒に振った。幸い鎮痛剤はよく効いて、起きてからはそれほど痛くない。ただし、取りあえず痛まないだけであり、治ったわけではない。2週間分の薬が出たので、それくらいの静養期間は覚悟しておいたほうがよい(痛まなくなったら、止めて良いとのことでした)。


 数日後に検査結果を聞きに行く必要もあるし、新年最初の業務をきちんとこなす責任もある。まったく選りによってこの時期に来るかと思うが、何とか体も頭も動く程度の症状で、自宅に戻れたし薬も効いているのだから文句は言えない。

 映画のケンヂは、体がボロボロだと何回かこぼしていたが、全く同感である。思えば既にこの身体を使い始めて半世紀が過ぎ、ろくにメインテナンスもせず、バージョン・ダウンの年齢になって、あちこち故障が出るのも当たり前だ。少し労わらんといかんな。先人の苦労に耳を貸さなかった罰でございましょう。冴えない話しで済みません。




(この稿おわり)





奈良は飛鳥寺の空。
(2015年12月27日撮影)





この時期、一番元気な花は水仙だな、やっぱり。
(2016年元旦撮影)





 Yes, how many ears must one man have
 before he can hear people cry ?

    ”Blowin' in The Wind”  Bob Dylan






































.