おじさんの雑記帳 

「20世紀少年」の感想文そのほか 寺本匡俊 1960年生 東京在住

20センチュリー・ボーイ  (第957回)

 映画では「うるせえ」というのが主人公の第一声である。しかも相手は無抵抗の婦女子であった。続いて彼が大人になったあと(でも、漫画で言うとヴァーチャル・アトラクションの最終場面より前のはずだ)、「何かが変わると思った」という回顧談が入る。「俺が聴きたいのは...」という生徒ケンヂの声の背景に、私も使っていたナガオカのレコード針が写る。

 もっとも映画では自動式であるが、私の実家で中学3年生のとき初めて買ってもらった小さなステレオは手動式であった。ごくまれにレコード盤の上に落としてしまう。結果は悲惨の一言に尽きる。特に大事にしていた「ストロベリー・フィールズ・フォーエヴァー」の真ん中あたりに落としたときは泣きそうになった。

 ところが何たる天の配剤か。針は横滑りせず落ちた場所で止まった。このため一箇所だけ大きな雑音が入ったにとどまり、しかもそこは間奏の部分で、さらにジョン・レノンお得意の変拍子のリズムにぴったりの場所だった。半分負け惜しみだが、打楽器が一叩き増えたようなものである。このため、今や同曲を別の音源で聴くと、違うヴァージョンのように聞こえる。本当です。


 「...この曲だ」と叫び続ける中学生、「第四中学に初めてロックが鳴り響いた」と大人のケンヂ。教室にマーク・ボランのリフが鳴り渡ったが、弁当少年も会話女子(なんだ、ばかやろうと仰っている)も平凡パンチ視察団も、はなから音楽は二の次のようで、エーゲ海の真珠だろうと、T.REXだろうと気にも留めない。

 「でも何も変わらなかった」と悔しげに語るケンヂさんだが、映像は中学校の廊下でのスカートめくり事件に切り替わっている。これだけは、ロックに力を得た可能性があろう。ところで、この凶行は複数犯によるもので、実行犯以外は廊下に寝そべって見ている。共犯と言うより見物人か。木戸銭のようなものを払っているようにも見える。


 ずっと昔に書いたが、私たちの場合、こういう悪さは小学校高学年で卒業し、中学では全くやった覚えがない。暫く前に、十数歳年下の女性3名と夕食(イヤミ用語でいうと、おフランス料理)を共にする機会があった。そろって才色兼備、第一線で働いている。私は単なる添え物幹事のようであった。

 そう結論付けざるを得ない理由がある。ディナーの話題が途中から何故か、彼女たちが中学高校で使っていたブルマーを対象とし始めた。その材質、はき心地、短パンとの違い、チョウチンと呼ばれた別ヴァージョンの評価等々、私だけ参加しようのないテーマが延々と続く。現役の男と認識されていないのは明らかであろう。


 途中で割り込みたくなり、会話の区切りを見計らって、「十代になって女子がスカートの下にもブルマーをはくようになってから、スカートめくりのやり甲斐がなくなった」という正直な感想をはさんでみた。

 しばし沈黙のとばりが降り、一人が「そうやって成長したのね」とポツリとつぶやき、もう一人が「私は体育の授業がある日だけはいてた」と何のフォローにもならないコメントを添えて、この場面は終わった。みんな長い付き合いなので、「相変わらず死ななきゃ治らないね、このおっさんは」と顔に明記されているのが見えた。来世で会おうじゃないか。同じ小学校に通おうね。おじさんは懲りない。


 失礼。ヴォーカルが始まる直前辺りから、ケンヂ少年は必殺ホウキ・ギターを奏で始める。後年、彼はリード・ヴォーカル兼リード・ギタリストになるのだが、60年代のロックの時代を支えた強力なバンドはけっこう分業体制が敷かれていて、この両者の兼務はそれほど思い出せない。

 全盛期の(ずっとそうか)ジミ・ヘンドリクスか、スローハンドになり始めたころからのエリック・クラプトンくらいしか思い浮かばない。マーク・ボランは、その数少ない例外の一人である。B.B.キングは、忙しくて両方一緒なんて無理だと言っていた。


 シングル・レコードのジャケットが写る。デザインは漫画と同じであるが、それに加えて有難いことに映画はカラーである。これは本物か? それともCGか? 小道具さんが作ったにせよ、本物と同じ配色なら構わん。どうせ映画は「天然色」という名の添加物入りの画像なのだから。

 曲名の配色がグラディエーションになっている。なかなかお洒落だ。グラム・ロックと聞くと、反射的に思い出すのは「お化粧」なのだが、T.REXの前身バンド「ティラノザウルス・レックス」は、手元のロック史の本によると、1967年に結成と書いてあって、けっこう古い。


 しかも「20世紀少年」はこの放送室ジャックの1973年に発表されているから、当時のバンドにしては長続きしていると言ってよかろう。67年といえばモンタレーのポップ・フェスティバルとサージェント・ペパーズの年だ。2014年から15年にかけて常盤荘のカンナの部屋を彩ったサイケデリック・ブームの草創期である。

 グラムはサイケが最後に咲かせた一花のようなものだろうか。このあと穏やかな「産業ロック」の時代が来て、我慢できない連中がパンクで卓袱台をひっくり返した。20世紀の大英帝国は、日英同盟から始まり、ロックとミニ・スカートで文化の爛熟期を迎えた大国のあるべき姿を示した。がんばろう、日本。キーワードはクールではなくて、しつこいがロックである。


 ジャケットに目を戻すと、曲名は英語で「20th CENTURY BOY」となっていて、本国でもそうだったのか知らないが、なぜか大文字・小文字がゴッチャになっている。この程度は愛嬌の部類で、問題は邦題である。

 日本語は「20センチュリー・ボーイ」となっている。20番目の世紀ではないのだ。かといって複数でもないから、20個の世紀でもない。まあいい、ロックだ。続いて貴重な「まんはく」の映像が流れる。1970年。わたしが「そうやって成長した」ころのお祭り騒ぎであった。





(この稿おわり)






今年は気温が下がっても、ハイビスカスが頑張っている。
(2015年8月25日、バルコニーにて撮影)













 20世紀で懲りたはずでしょう?   「ピースとハイライト」 サザンオールスターズ
























































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