おじさんの雑記帳 

「20世紀少年」の感想文そのほか 寺本匡俊 1960年生 東京在住

エーゲ海の真珠  (第956回)

 漫画や小説が映画化されるときの楽しみと言えば、配役とか別建てのシナリオとかあれこれ興味は尽きないが、特に色彩と音響は、漫画の絵や言葉の表現にも限界がある以上、映画の大事な見どころの一つであります。漫画はごく稀にオール・カラーがある程度。そして漫画で音楽は不可能だ。楽譜が出てきて、楽譜が読める人は違うのだろのだろうが。

 本作の場合、特にロック・ミュージックがたくさん登場するが題名しか出て来ないし、肝心の「ボブ・レノン」も歌詞とコード進行しか分からない。その点、この映画化により愛読者は初めてケンヂおじちゃんの唄のメロディーを聴けたし、T.REXの「20世紀少年」ほか幾つかの古いロックを初めて聴いた方もみえるだろう。ありがたやありがたや。


 しかし、映画の第1章「終わりの始まり」の冒頭においては、制作会社と配給会社の名前、続いて「日本テレビ開局55周年記念作品」という売り口上の字幕とブタさんロゴが映し出される背景に流れる曲はロックではなく、「何が魅惑のムード音楽だ」と主人公に酷評された古典、ポール・モーリア指揮の「エーゲ海の真珠」であった。

 欧米の指揮者というと、カラヤンフルトベングラーのような怖い顔を思い出すのだが、ポール・モーリアは穏やかな床屋さんのような顔つきの紳士であり、よほどこの国で売れたと見えて、よく来日していたものである。漫画の連載が終わる少し前に亡くなっている。


 この「エーゲ海の真珠」は当時おそらく全国の中学高校の吹奏楽部で演奏されていたであろう、無数のポール・モーリア楽団の代表曲の一つ。私の好みでもないが、かと言って聴いていて死にたくなったり、レコードを叩き割られたりする程の駄作とも思えないが。

 そもそも原題が指揮者の母国語フレンチで「PENEROPE」(女性の名)と当時のレコード・ジャケットも印刷されているのに、なぜ邦題は「エーゲ海の真珠」なのだ。1970年代、日本ではエーゲ海が好かれていたのだろうか。地中海なんて月より遠い感覚であった。それなのに「エーゲ海に捧ぐ」が芥川賞を受賞し、「魅せられて」が大ヒットした。女は海だそうだ。


 私は青少年のころ、ギリシャ神話と北欧神話が好きで本でよく読んだものです。神々に人間味があっていい。そのため、このブログでもギリシャ神話の話や、北欧の神話や伝承からの借り物が多い「指輪物語」のエピソードが良く出てくる。ペネロペはギリシャ神話の登場人物。

 スペイン語でも似たような発音のようで、「ヴァニラ・スカイ」のころのペネロペ・クルスの美貌は比類なきものであった。英語では「ペネロッピー」になり、小学校の高学年のころ「ペネロッピ―絶体絶命」という他愛もない米国産アニメをTVでやっていたのを覚えている。


 神話のぺネロペは、ラオコーンに見破られた「トロイの木馬」の発案者だった悲劇の英雄オデュッセウスの妻であり、貞節でたぶん真珠のようにお美しい奥様であった。確かにトロイアアテナイエーゲ海を挟んで対岸にあるのだが、ずいぶん思い切った意訳をしたものである。

 映画は1973年、第四中学校の静止画から始まる。漫画のプロローグの三話のうち、後の二つは省略されているが、なんせ「終わりの始まり」なんだから、これだけは外せないのだ。校舎は如何にも当時の公立小中学校らしく全国統一規格風。校庭脇の蛇口の列が懐かしい。「エーゲ海の真珠」を流すビクターのスピーカーが映る。


 教室のシーンで最初に出てくるのは漫画と同じで(利き腕が逆だが)、威勢よく昼の弁当を食う少年である。漫画も映画も最初の登場人物はこの男子中学生なのだ。意味ありげだが、しかし顔に見覚えは無い。ケンヂと並んで当日一番の重要人物だった者は、この時間帯、のんびり昼飯を食っている場合ではない。季節は不明だが夏服。

 その次がエロガキの必需品とされていた「平凡パンチ」である。表紙に印刷された名前がクロース・アップされている麻田奈美は、イチジクの葉に替えてリンゴの実ひとつ、ほぼイブと同じお姿で被写体となり、その写真一枚で今はなき平凡パンチの名を出版史・写真史に刻んだのである。


 表紙の隅っこに「よしだたくろう」の名がある。最初のうちは平仮名だったのです。1973年の騒動については、かすかだが記憶がある。続いて「昨日の荒井忠、観た?」という女子の会話。全員集合は土曜日だったのだが...。最年長とはいえ早くに亡くなった。

 そのあとようやく、放送室である。すでに気の毒なメガネの放送部員は猿ぐつわに足かせをはめられており、しかも侵入犯にレコードやジャケットを投げつけられている。暴行に器物損壊、そこまで憎まれてしまった「エーゲ海の真珠」のジャケット写真が、宝石ではなく西洋人女性の顔になっているのは上記の事情による。


 記憶があいまいだが、確かに中学生のときの昼休みは、こういう音楽ばかりだったような気がする。小学校ではさすがに先生が選んでいて、ビゼーアルルの女に出てくる「メヌエット」とか、何度曲名を聞いても覚えられないが「アマデウス」で施設に入っている老サリエリが口ずさんでいたモーツァルトの曲が流れていた。

 高校では放送部員も過激で、プログレッシブ・ロックが連日鳴り響き、嫌いな人は毎日毎日、ELPキング・クリムゾンなど聴かされて、さぞやうんざりしていたに違いない。ようするに放送室を制するものが世界を制すという結論に、とうとうケンヂが至ったのが終わりの始まりだったのだ。






(この稿おわり)







夏の終わりは、さるすべり。麹町にて。
(2015年9月5日撮影)
















  都会で流行の指輪を贈るよ
  君に君に似合うはずだ
  いいえ、星のダイヤも
  海に眠る真珠も...

          「木綿のハンカチーフ」  太田裕美













































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